インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

物体<>意識

2011-11-29 06:29:23 | 考えるインディオ
 明後日から12月なので、そろそろ今年の総決算をしなければならない。今年は、インディオ通信的には全然飛躍をしなかったが(むしろ…)、人間的には夢の中やら精神状態やら、未知の領域に踏み込んだ年であった。やはりカスタネダを全巻そろえて学ぼうという態度が、何かを変えたのかもしれない。

 われわれ人間は、そこに確固たる物体が存在すると考えているが、実際にはイーグルの放射物を見ているに過ぎない……ような文章が頭の中でっているわけで、わけが分からないのであるが、世界が巨大なエネルギー体であり、そしてそれは意識体であるとするならば、肉体というものも一種の「意識の現れ」ということになるのであろう。

 部屋が乱れていると、ぐちゃぐちゃであるという現実と同時に意識の現れであり、それが磁場を作り出し、人間に影響するのだろう。ただ意識だけが、存在する。物体の背後には意識が存在している(肉体の背後にはエネルギー体が存在している)。

 ただ、こうやってグダグダ書いているけれども、この意識は半ば書き手の過去の体験やらによって捻じ曲げられた意識であるので、あまり相手にはスーッと通らないわけである。

 読み手は「おかしいぞ」と思いながらもとりあえず読んでいるわけであるが(?)、読んでも何も知恵が得られるわけでもない。他人の総決算を見たところで、面白いわけがないが、まあ、これを書いている物体の背後には意識が存在しているわけで、ブログを書くための題材にしているわけである。

 とりあえず総括するに、今年はカスタネダの意図する無限の領域へ意識を引っ張られる一方、38年間の過去の意識の総体(無意識)が立ちはだかって、大して飛ばなかったということか。

 これはある意味、これまでの人生という皿にのった食べ物が、まだ咀嚼されていないから、記憶を取り戻したり、意識を思い出したりするという行為が必要だということなのかもしれない。噛めば噛むほど味が出る人生、というわけでもないが、甘さ、辛さ、苦さ、かたまりを噛んで分解する作業が、まだまだ不足しているのかもしれない。

 そういえば、さっき調べて、
「Ctrlキーを押しながらマウスのホイールをくるくる回せ」ば画面の字が拡大することに、やっと気づいたわい(これが唯一役立つ情報だったり)。