ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

伝説の研究機関のPalo Alto Research Centerの後継組織であるPARCの話です

2011年01月26日 | イノベーション
 米国カリフォルニア州にあるPARCという研究開発企業のビジネスデベロップメント・シニアディレクターのジョン・ナイツ(John Knights)さんの話を伺いました。1月22日に掲載した「ベルギーのIMECは、なぜ強いのか」という話にいくらか関連すると思われる話を拝聴しました。


 ジョン・ナイツさんはもちろん右側の方です

 PARC inc はカリフォルニア州のパロアルトにある研究開発主体の企業です。2002年に、複写機大手企業である米ゼロックス (XEROX) の完全子会社となり、外部組織から委託研究開発を請け負ったり、特許などの知的財産の高付加価値化(バリューアップ)、事業化に向けた基盤づくりなどと多様な事業を展開しています。ジョン・ナイツさんの肩書きが「ビジネスデベロップメント・シニアディレクター」となっているのは、事業開発を担当しているからです。つまり、単なる研究開発ではなく、事業化の基盤技術まで担当し、研究開発成果の価値を高めるビジネスを展開しています。日本の研究機関とはひと味もふた味も異なる組織です。これにはPARC incの前身組織であるPalo Palo Alto Research Centerの歴史的な経緯による反省を反映していると思います。

 Palo Alto Research Centerは、1970年にゼロックスが「アーキテクチャー・オブ・インフォーメーションの創出」という目標の基に開設した研究開発機関です。ここは通称“Palo Alto”(パロアルト)と呼ばれ、現在のコンピューター・サイエンスなどの基盤概念や基盤技術をつくり出した伝説の研究開発機関です。

 有名なのはグラフィカルユーザインタフェース (GUI)というマンマシン・インタフェースの概念をつくり出すなど、現在のパーソナル・コンピューター(パソコン)の基本概念と基盤技術を産み出した研究開発機関であることです。これにスタンフォード研究所が考え出したマウスを加えて、パソコンの原型となる試作機「Alto」をつくり出しました。このAltoに触発され、スティーブ・ジョブズ(アップル・コンピューターの創業者)が「Lisa」「Macintosh」を開発するきっかけとなったといわれています。コンピューターの未来像の一つとしてパソコンという概念をつくり出したといわれています。1973年ごろの話です。

 このほかにもPalo Alto Research Centerはイーサネットやレーザープリンターなどの研究開発やユビキタス・コンピューティングの基盤研究など、現在、製品化されているものの基盤技術の多くを提供しています。このPalo Alto Research Centerが当時の近未来の製品像をいくつも提案できたのは、自由闊達(かったつ)で開放的な研究環境があり、当時の精鋭の研究者が精力的に競い合って研究開発したからといわれています。以前に、日本の某大学の有名教授から「当時のPalo Altoでの研究開発は秀才や異才が切磋琢磨し合うものすごい所だった」と伺ったことがあります。その方の研究者としての原点とおっしゃっていました。

 2002年にゼロックスの完全子会社のPARCとなり、研究開発を中核とする企業として医療技術、ユビキタスコンピューティング、知的システムなどを研究開発しているといわれています。現在、PARCは多岐にわたる研究開発を行い、約2500件の特許を保有しているそうです。これらの技術と知的財産を基に、「30社以上の新事業を生み出す基盤やきっかけをつくってきた」そうです。知的財産を高付加価値化し、新規市場や画期的な技術基盤を開拓するなどの新産業創成に貢献しているそうです。PARCが研究開発に加えて、事業化まで担当するのは、パソコンやインターネットの基盤技術を生み出しながら、ゼロックスの事業強化には直接的には貢献しなかったことに対する反省があるとみられています。

 2011年 1月 24日から25日の2日間にわたって独立行政法人工業所有権情報・研修館(INPIT)主催の国際特許流通セミナーが東京都港区のホテルで開催されました。そのパネルデスカッションに登場したジョン・ナイツさんは、シリコンバレーなどを含むサンフランシスコ湾地域が盛んにイノベーション創出に成果を上げている理由を説明しました。

 この地域は人口700万人の中で、大学や研究機関、ハイテクベンチャー企業などのハイテク産業に関与する人が90万人集まっているとのことです。カリフォルニア大学(University of California、州立大学)は5校のカレッジを持ち、学生数が8万2000人、カリフォルニア州立大学(California State University、総合州立大学システム)が4校のカレッジを持ち、学生数が8万7000人、カリフォルニア・コニュニテー大学が25校のカレッジを持ち、学生数が44万1000人と、大学群がそろっている。特に、カリフォルニア・コニュニテー大学は40歳以上の学生が22%と、再教育の場を与えていると説明しました。

 ここで衝撃的な事実は、ハイテク産業で働く人の50%は米国以外から来た人であり、同様に学生の50%も米国以外の出身であることです。そして、シリコンバレーの住民の50%が自宅では英語を話さない人であるということです。シリコンバレーのハイテク産業を支えているのは、半数は外国人あるいは外国出身者という事実です。この結果、「大学も企業も文化の多様性が大変高い」とナイツさんは説明します。このことを日本の大相撲にたとえてみると、日本人よりも外国人の方が多い関取衆が現在、日本の国技を盛り立てている状況に似ているように思います。日本の主要な大学や研究機関、企業の研究所で働く高度専門職の半数が外国出身者になると、大相撲のように活性化するかもしれません。

 さらに、企業の経営者が大学の教員になる、あるいはその逆などと、企業と大学間の異動しやすさが、イノベーション創出のカギになっていると説明します。


 具体的には、スタンフォード大学のジョン・ヘネシー学長はMIPSコンピューターの創業者でありCOE(最高経営責任者)出身です。グーグルのCOEのエリック・シュミットさんはUCバークレー校やスタンフォード大学で教えています。旧ネットスケープの創業者でありCOEであるジム・クラークさんはスタンフォード大学教授出身です。「大学と企業を行き来きする異動しやすさがイノベーション創出のカギになっている」と説明します。なかなか考えさせる指摘です。

秋ケ瀬公園でルリビタキに出会いました

2011年01月25日 | 季節の移ろい
 荒川河川敷きに広がる秋ヶ瀬公園(あきがせこうえん)の森の奥で、ルリビタキに会いました。埼玉県さいたま市の荒川沿いの県営秋ケ瀬公園の森の奥でのことです。

 秋ケ瀬公園の上流側である羽根倉橋付近にはハンノキの森が広がっています。木漏れ日がいくらか入る、少しうっそうとした森です。野鳥観察愛好家や自然観察愛好家以外は、あまり足を踏み入れない森の小道です。

 森の奥に小さな池が数個あり、その中の一つにカワセミが住み着いています。飛ぶ“宝石”であるカワセミを撮影するため、野鳥観察愛好家の方々が集まっています。高価な望遠レンズ付き一眼レフカメラをがっちりした三脚の上に固定した方が20人ぐらい集まっています。まるで、記者会見のように、望遠レンズ付き一眼レフカメラが並んでいます。望遠レンズだけで、たぶん30万円ぐらいする高価な機種も少なくなく、高級一眼レフカメラの品評会の様相を呈しています。

 この人混みを避け、もっと奥の小さな池の方に進みました。人影が無い小道を行くと、高価な望遠レンズ付き一眼レフカメラを手持ちで構えた方が一人いました。珍しい野鳥を撮影している感じなので、気配を消して静かにしていると、藪からルリビタキが飛び出しました。




 幼鳥から2、3年目の羽根が美しく色づき始めたルリビタキでした。


 私が手動で数枚撮影する間に、高価な望遠レンズ付き一眼レフカメラを構えた野鳥観察愛好家の方は、モータードライブ付きで「ダダダダダ」とマシンガンのようにシャッターを切ります。画像データを記録するメモリーがすぐに一杯になりそうな勢いです。

 ルリビタキは、これまであこがれの対象の野鳥でしたが、今年に入って2回目の遭遇です(第一回目は埼玉県長瀞町の宝登山山頂で遭遇しました。詳しくは、2011年1月3日掲載のブログをお読みください)。野鳥観察愛好家の方に聞くと、ルリビタキは「秋ケ瀬公園ではまったく見かけない訳ではないが、あまり見ない野鳥の一つ」とのことでした。「こんなに逃げないのは珍しい」そうです。ビギナーズラックでした。

 荒川の土手の草むら近くでは、ツグミなどが多数いました。


 地面にこぼれた野草の種を食べている様子でした。ひょっとして、タゲリに会えるのではと期待したのですが、いませんでした。ビギナーズラックはそう簡単に続きませんでした。

さいたま市の荒川河川敷きの秋ヶ瀬公園で野鳥を見ました

2011年01月24日 | 季節の移ろい
 埼玉県さいたま市桜区の荒川河岸に広がる秋ヶ瀬公園(あきがせこうえん)は多くの人がいろいろと楽しんでいました。2011年1月23日の午前は風もあまり無く、おだやかないい日でした。

 森と草むらが豊かな公園です。少し歩くと、人気が無い所には、野鳥のシジュウカラ、コゲラ、ムクドリ、ツグミ、モズなどがいます(カラスも結構います)。

 歩き始めて、最初に出会った野鳥の群れはカワラヒワでした。20羽ぐらいが地上と木の梢の上の間を行き来しています。




 カワラヒワの特徴である羽根の黄色があまり見えません。

 小道を歩くと、少し前の木の梢から少し遠くの梢に移る野鳥はモズです。2、3羽のモズが道案内のように、進行方向に少し飛びます。


 ギーという独特の鳴き声はコゲラです。


 1本の低木の幹にコゲラが飛んできました。幹の陽光の陰側にコゲラが1羽留まりました。黒と白の縞々の羽根が見えます。後で、野鳥観察愛好家の方に伺ったところ、あこがれの野鳥であるアカゲラも数羽いるとのことです。

 荒川河川敷なので、カモ類やシギ類も何羽か見ました。あまり詳しくないので種類は分かりません。大きなサギであるアオサギが1羽、空をゆうゆうと飛んでいきました。

 さいたま市の荒川左岸(下流に向かって)にある秋ヶ瀬公園は、荒川にかけられた羽根倉橋と秋ヶ瀬橋間の南北約3キロメートルを中心とする県立公園です。散歩(イヌの散歩も含めて)やサイクリングで雑木林の周りに続く小道を楽しむ人や、野球やサッカー、テニスなど楽しむ人、模型飛行機を飛ばしに来ている人、バーベキューをしに来ている人など、さまざまです。

 高価な望遠レンズ付きの一眼レフカメラと三脚を抱えた方が何人かハンノキ林に入っていきます。いくらか奥に小さな池が数個あり、そこに住んでいるカワセミがお目当てだそうです。20数人が高価なカメラを載せた三脚を並べていました。

 今日はアリスイという珍しいキツツキの仲間がいるということが伝わり、多くの野鳥観察愛好家が集まっているそうです。野鳥観察の方に人気のある野鳥です。

 約1時間散歩しました。日ごろの運動不足を少し解消する程度です。平和な時間を過ごすことができて、幸せでした。

「ベルギーのIMECは、なぜ強いのか」というイントロ話の続きです

2011年01月23日 | イノベーション
 ベルギーのIMECの強さの秘密で感心する点は、不断の努力を続けた賜(たまもの)の結果であるということです。政府からほぼ独立した研究機関として、自立するだけの成果を上げている点も感心することの一つです(正確な事実関係は後日説明します)。


 ベルギーは現在でも国内に電気・電子系の大きな企業はないようです。欧州で大きな電機系企業はベルギーのお隣の国であるオランダのフィリップスです。ベルギーの地方政府であるフランダース政府(Flemish Government、カタカタ表記と異なります)は1982年に地元に電機系企業を興す「マイクロエレクトロニクス産業プロジェクト」を企画しました。その目的は、地元に就職先となる企業を育成し、人材が他の地域・国に流出しないようにするためです。

 フランダース政府は当時、米国で地域振興で成功し始めていたカリフォルニア州のシリコンバレーを手本に選んだのだそうです。お手本となったシリコンバレーも、スタンフォード大学の教授が出資して学生にベンチャー企業としてヒューレット・パッカード社を設立さるなど、同大学のキャンパス内の敷地を“スタンフォード・インダストリアル・パーク”としてベンチャー企業を創業させたり、新興企業を誘致したりしたのが始まりといわれています。当時はカリフォルニア州の大学を卒業すると、米国東部にある企業に就職するのが普通だったため、カリフォルニア州にも就職先をつくるのが狙いだったそうです。

 このマイクロエレクトロニクス産業プロジェクトの実施責任者として、地元のルーベン・カソリック大学(Katholieke Universiteit Leuven)の教授のグループを選らんだのだそうです。昨年12月にIMEC関係者の方から、当時、プロジェクトに参加した大学教員が20人程度並んだ写真を見せていただきました。

 この教員グループは、ベルギー国内には参考となる企業や研究所がないため、海外の企業や研究所を訪問し、当時の最先端の半導体技術を学んだそうです。1982年当時は日本は半導体立国を自称し、日本の大手企業各社は半導体のDRAMのシェアを合計で50%近くを握る半導体王国でした。このため、米国の半導体企業のインテルはDRAM事業から撤退するまで追い込まれ、CPU事業に乗り換える事業転換を図っていました(インテルは1971年に世界初のマイクロプロセッサーである「4004」を発表しています)。

 ルーベン・カソリック大学の教員グループは海外で半導体を勉強する相手先の一つとして、三菱電機の当時の尼崎工場を選びました。三菱電機にお願いし、半導体製造のいろはを約1カ月間にわたる研修で学んだそうです。その研修では「クリーンルームの中で、防塵服を着て半導体製造の工程を学ぶこともあった」そうです。

 実は似たような話を日産自動車の方からも伺ったことがあります。1970年代には、米国のGMやフォード・モーター、クライスラーは日本の自動車メーカーの技術者が教えを請うと何でも教えてくれたそうです。日産の方が、エンジンブロックの鋳造技術で分からないことがあり、フォードの某工場で教えを請うたところ、基礎から何でも教えてくれたそうです。当時の米国の自動車メーカーの技術者は日本の自動車メーカーが将来、ライバルになるとは夢にも思わなかったようです。

 ルーベン・カソリック大学の教員グループは1984年にNPO(非営利組織)として現在のIMECを設立し、半導体の研究開発を始めました。地元に半導体系の企業を起業させるという目標に向かって、努力を続けました。世界中の電機企業が共同研究相手として選ぶ存在になるまで、IMECは努力を続けました。

 似たような構想は、当然、日本にもありました。しかし、日本では成功していません。だからこそ「ベルギーのIMECは、なぜ強いのか」というテーマを解くことが重要なのです。日本がイノベーション創出のやり方を学び、それなりの存在感を示すことができる国になるためにです(来週ごろには、「ベルギーのIMECは、なぜ強いのか」の素案を書きたいと考えています)。

「ベルギーのIMECは、なぜ強いのか」という難問のイントロ話です

2011年01月22日 | イノベーション
 「ベルギーのIMEC」は日本の電気・電子系研究開発者のあこがれの的の研究開発拠点です。世界中の主だった電気・電子企業が共同研究相手に選ぶ実力者だからです。IMECは、英語表記で「Inter-University Microelectronics Center」の略称で、“マイクロエレクトロニクス先端研究所”とでも訳す研究機関です。

 日本のパナソニック(旧 松下電器産業)やエルピーダメモリ(東京都中央区)などの多数の日本企業が半導体の共同研究相手にIMECを選んでいます。今を時めく韓国のサムソン電子(Samsung Electronics)もIMECを共同研究相手に選んでいます。最近では世界中の約550社の電気・電子企業がIMECを共同研究の相手に選んでいるそうです。


 代表的な半導体であるDRAMの「トップ5の大手メーカーがそろって、IMECと強力な共同研究を展開している」と、IMECは胸を張ります。このトップ5の第5番目が日本のエルピーダメモリです。

 「ベルギーのIMECは、なぜ強いのか」という課題に取り組んでいる大学の教員・研究者やジャーナリストを数人知っています。経済産業省や文部科学省などの行政系の担当者も何人か知っています。こうした方たちが「ベルギーのIMECは、なぜ強いのか」というテーマに熱心に取り組んでいる理由は、日本の大学や公的研究機関が(日本の)企業から信頼される共同研究の相手先に選ばれる可能性を探るためです。そして、日本でイノベーションをどのように起こし続けるのかに答えるテーマに深く関係するからです。

 例えば、この数年にわたって経産省と文科省系が研究開発拠点として構築推進を進めてきた「つくばイノベーションアリーナナノテクノロジー拠点(TIA-nano)」は、ベンチマークの一つとしてIMECを考えているそうです。

 TIA-nanoは平成22年(2010年)6月に産業技術総合研究所(AIST)、物質・材料研究機構(NIMS)、筑波大学、日本経済団体連合会の4機関がナノテクノロジーの研究開発拠点として構築するという合意をしました。今はやりのオープンイノベーションの研究開発拠点を目指しています。この拠点形成には2008年度と2009年度の2年間に約360億円の予算がつぎ込まれています。


 このTIA-nanoが今後、大きな研究開発成果を上げるように、「IMECがどうして研究開発相手に選ばれ続けているか」を、何人もが調査・研究しています。経産省と文科省の担当者や大学の教員・研究者がIMECを研究していることは、当のIMECもよく知っています。2010年11月16日にIMECは東京都内のホテルでIMECが目指す研究開発などを説明するセミナーを開催しました。
 共同研究の主要なクライアントが多い日本で、代表・COEであるリュック・ヴァンデンホッフ(Luc Van den hove)さんは、同セミナーでIMECが2025年までに目指すものを説明したとのことです。


 その会場では、リュック・ヴァンデンホッフさんは、ある質問に対して「日本の行政府がIMECのコピー版の研究開発拠点をつくっても、良い結果にはならないだろう」という趣旨の発言をしたといわれています。ここ数年、日本から何人もIMECの強さの秘密を探れる視察員(研究者)がベルギーのIMECを訪問していることを知ってのことです。IMECコピー版をつくるよりも、日本の公的研究機関はIMECと共同研究を図り、強力に協力していきたいという趣旨のようです。実際に、2010年11月19日にTIA-nanoの主要メンバーである産総研はナノテクノロジーやエレクトロニクスなどの分野で協力関係を結ぶ包括的研究協力覚書(MOU)にサインしたと発表しています。

 「ベルギーのIMECは、なぜ強いのか」というテーマはなかりの難問のようです。これまでに何人もがIMECの強さの秘密を分析をしています。しかし、その分析を基に、日本の大学や公的研究機関がIMECを参考にして優れたイノベーション態勢を構築したと評価する声は聞こえてきません。「ベルギーのIMECは、なぜ強いのか」というテーマは簡単には解けない難問です。このため、何回かにわたって考えてみることにします。