人気ミシテリー作家の伊坂幸太郎さんの最新刊の単行本「フーガはユーガ」を再度、読み終えました。
この単行本「フーガはユーガ」は、2018年11月10日に実業之日本社が発行したやや風変わりなミステリー作品です。
この単行本「フーガはユーガ」の主人公は、常磐風雅(フーガ)と優雅(フーガ)という一卵性の双子の兄弟です。仙台市の郊外に住んでいます。
この双子の兄弟は、誕生日のある時間になると、フーガとユーガがお互いに瞬間移動し、入れ替わるという不思議な能力を持ってます。
フーガは小学校2年生の時に、小学校の自分のクラスで、国語の授業を受けていました。漢字テストを受けていて、鉛筆で答えを書こうとしたら、算数の授業を受けていて、黒板の前で答えを書くところでした。
たまたま、この日はフーガとユーガの誕生日の日で、ある時間にお互いに身体が瞬間移動して、フーガはユーガが受けていた算数の授業を受け続けます。
小学生のフーガとユーガは、実際には何が起こったのかは、あまり理解できません。たまたま、家が貧しく、似たような洋服を著て、授業を受けていたために、2人が瞬間移動し、入れ替わったことに、教師もクラスメートも気がつきません。
このフーガとユーガの実の父親は機嫌が悪いと、つまらないことで自分の小さな子供をいじめるという最低の父親です。そして、実の母親も、その夫のいじめを止めない、ダメな母親です。
この単行本「フーガはユーガ」は、伊坂幸太郎さんの作風としては、こんな理不尽ないじめを取りあげて、この双子の救いようがない子供時代を描く、やや変わった作品です。
今年3月に東京都目黒区で当時5歳の女児が、救急搬送され敗血症で亡くなった事件がありました。その女児が亡くなった原因は父親からの虐待を受けたことでした。そして、母親はそのいじめを黙認したことを受けて、保護者責任者遺棄致死罪で起訴されています。
こうした両親からの虐待を受けている子供が実際に増えたことから、政府は子どもへの虐待防止体制として、子ども家庭総合支援拠点を現在の106市町村から大幅に拡大する計画です。これを実現するために、現在の児童福祉司3240人を2022年には5200人まで増やす計画です。
こうした児童虐待が目立ち始めた風潮を受けて、伊坂幸太郎さんはある意味ではSF(空想科学小説)的な物語を書いたようです。
この話の後半では、仙台市で大学生になった優雅がコンビニでアルバイトをしていると、実の父親がコンビニ店にやって来ます。この時に、運が悪いことに、親しいハルタ君という少年とその若い母親も入店してきます。
この酷い父親は後日、ハルタ君に「優雅の父親だ」といって近づき、母親のハルコさんと一緒に誘拐します(とんでもない話の流れです)。
この誘拐されたハルタ君とハルコさんを救うために、ユーガは実の父親のアパートに乗り込み、台所にあったプライパンで父親をたたきます。実は、この日は双子の誕生日だったために、途中でユーガはフーガはユーガに入れ替わる瞬間移動が起こってしまいます。
実は、この小説の本当の悪役は、高杉という青年です。仙台市に住む高杉は、女子小学生をひき逃げしたり、男子小学生を誘拐して自宅に軟禁したりと異常な行動・犯罪を続けます。
この辺りの話の流れは、感覚的には理解できない、共感できない部分です。そして、制作プロダクションのディレクターを名乗る高杉と、フーガとユーガは知り合いになります。
話は、ユーガが高杉のアジトになっている邸宅に侵入し、高杉に猟銃で撃たれます。この日も偶然、双子の誕生日だったために、ユーガはフーガに入れ替わります。
猟銃で撃たれた瀕死状態のユーガは、フーガに入れ替わり、見た感じは生き返ったフーガは高杉を倒します。
こうして、この小説の流れを短くまとめると、荒唐無稽です。しかし、現在も自分の子どもを虐待する親がいたり、他人の子どもをいじめる“想定外”の大人も現実にいる時代になっています。
最近の児童虐待の実態がふつうの人には理解できないように、この小説の話の流れも、なかなか共感できない不思議な世界になっています。
この最新刊「フーガはユーガ」は、伊坂幸太郎さんの作風である、かなり奇妙だが、妙に明るい作風とは異なる作品になっています。
なお、この伊坂幸太郎さんの最新刊「フーガはユーガ」については、弊ブログの2018年12月11日編で軽く紹介しています。
この単行本「フーガはユーガ」は、2018年11月10日に実業之日本社が発行したやや風変わりなミステリー作品です。
この単行本「フーガはユーガ」の主人公は、常磐風雅(フーガ)と優雅(フーガ)という一卵性の双子の兄弟です。仙台市の郊外に住んでいます。
この双子の兄弟は、誕生日のある時間になると、フーガとユーガがお互いに瞬間移動し、入れ替わるという不思議な能力を持ってます。
フーガは小学校2年生の時に、小学校の自分のクラスで、国語の授業を受けていました。漢字テストを受けていて、鉛筆で答えを書こうとしたら、算数の授業を受けていて、黒板の前で答えを書くところでした。
たまたま、この日はフーガとユーガの誕生日の日で、ある時間にお互いに身体が瞬間移動して、フーガはユーガが受けていた算数の授業を受け続けます。
小学生のフーガとユーガは、実際には何が起こったのかは、あまり理解できません。たまたま、家が貧しく、似たような洋服を著て、授業を受けていたために、2人が瞬間移動し、入れ替わったことに、教師もクラスメートも気がつきません。
このフーガとユーガの実の父親は機嫌が悪いと、つまらないことで自分の小さな子供をいじめるという最低の父親です。そして、実の母親も、その夫のいじめを止めない、ダメな母親です。
この単行本「フーガはユーガ」は、伊坂幸太郎さんの作風としては、こんな理不尽ないじめを取りあげて、この双子の救いようがない子供時代を描く、やや変わった作品です。
今年3月に東京都目黒区で当時5歳の女児が、救急搬送され敗血症で亡くなった事件がありました。その女児が亡くなった原因は父親からの虐待を受けたことでした。そして、母親はそのいじめを黙認したことを受けて、保護者責任者遺棄致死罪で起訴されています。
こうした両親からの虐待を受けている子供が実際に増えたことから、政府は子どもへの虐待防止体制として、子ども家庭総合支援拠点を現在の106市町村から大幅に拡大する計画です。これを実現するために、現在の児童福祉司3240人を2022年には5200人まで増やす計画です。
こうした児童虐待が目立ち始めた風潮を受けて、伊坂幸太郎さんはある意味ではSF(空想科学小説)的な物語を書いたようです。
この話の後半では、仙台市で大学生になった優雅がコンビニでアルバイトをしていると、実の父親がコンビニ店にやって来ます。この時に、運が悪いことに、親しいハルタ君という少年とその若い母親も入店してきます。
この酷い父親は後日、ハルタ君に「優雅の父親だ」といって近づき、母親のハルコさんと一緒に誘拐します(とんでもない話の流れです)。
この誘拐されたハルタ君とハルコさんを救うために、ユーガは実の父親のアパートに乗り込み、台所にあったプライパンで父親をたたきます。実は、この日は双子の誕生日だったために、途中でユーガはフーガはユーガに入れ替わる瞬間移動が起こってしまいます。
実は、この小説の本当の悪役は、高杉という青年です。仙台市に住む高杉は、女子小学生をひき逃げしたり、男子小学生を誘拐して自宅に軟禁したりと異常な行動・犯罪を続けます。
この辺りの話の流れは、感覚的には理解できない、共感できない部分です。そして、制作プロダクションのディレクターを名乗る高杉と、フーガとユーガは知り合いになります。
話は、ユーガが高杉のアジトになっている邸宅に侵入し、高杉に猟銃で撃たれます。この日も偶然、双子の誕生日だったために、ユーガはフーガに入れ替わります。
猟銃で撃たれた瀕死状態のユーガは、フーガに入れ替わり、見た感じは生き返ったフーガは高杉を倒します。
こうして、この小説の流れを短くまとめると、荒唐無稽です。しかし、現在も自分の子どもを虐待する親がいたり、他人の子どもをいじめる“想定外”の大人も現実にいる時代になっています。
最近の児童虐待の実態がふつうの人には理解できないように、この小説の話の流れも、なかなか共感できない不思議な世界になっています。
この最新刊「フーガはユーガ」は、伊坂幸太郎さんの作風である、かなり奇妙だが、妙に明るい作風とは異なる作品になっています。
なお、この伊坂幸太郎さんの最新刊「フーガはユーガ」については、弊ブログの2018年12月11日編で軽く紹介しています。
ここに書かれている子どもへの親の虐待や、学校でのいじめなどの題材が暗い流れです。、これをどう感じるかのによって、この作品の好き嫌いが決まると感じました。
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
伊坂幸太郎さんの最新作「フーガはユーガ」で題材として取りあげた両親による子ども虐待や校内での凄惨ないじめ、パワハラなどのひどさが高まり、大きな社会問題になっています。
その凄惨な事態をミステリー小説に取り込んだ点は読者の評価を二分しています。これまでの作風とは違うことは確かです。
職を求めて、都市部に人が集まり、互いに無関心な世間をつくった結果です。
その悲惨さを描いたのが最新作「フーガはユーガ」です。
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
日本は昭和の高度成長期に、地方から都市部に若者が移動し、企業などに勤めて、日本の高度成長を支えました。
この時に、それぞれの地方にあった3世代などの大家族制度が崩壊し、子育ては若い夫婦が担当しました。この時に、子育ての文化を学べない方がいくらか登場し、子育てができない方がでました。周囲に親や親戚もいないので、自分勝手な子育ての仕方は崩壊します。
今の一見、便利な文明には危険が潜んでいます。
自分の子どもを虐待するという行動は、以前は考えられないことでした。
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
日本は昭和30年代までは、2世代、3世代の家庭が多かったのですが、その後は1世代ごとに暮らすようになりました。この結果、祖父・祖母からの生活の理恵が、孫世代に伝わらなくなえいました。
さらに、固定電話から携帯電話、スマートフォン、タブレットと情報通信技術が進化し、祖父・祖母世代と孫世代の共通基盤がなくなりました。
ある意味ではとんでもない社会基盤です。人類の未来は予想を超えるように、進んで行きます。