ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

埼玉県川島町にある遠山記念館の日本建築の粋を凝らした建屋を見学しました

2013年04月15日 | 旅行
 埼玉県比企郡川島町にある遠山記念館の贅沢を極めた日本建築の建物を見学しました。遠山記念館の建物は、川島町のひなびた田圃(たんぼ)や畑などが広がる田園の中に立っています。

 東山記念館の美術館の西側に、東棟、中棟、西棟が渡り廊下でつながった建物群として立っています。

 重厚な長屋門から入った入り口部分から右手に見える美術館です。


 
 今回の主役は、この美術館ではなく、美術館の左側に立つ建物群です。東棟、中棟、西棟で構成されています。東棟は、茅葺(かやぶ)きの屋根が印象的な、豪農風の建物です。



 この東棟は、農家だった生家を復元する意図があったそうです。内部には、広い囲炉裏の間などが配置されています。

 東棟と渡り廊下でつながった中棟は、来客を接待するための格式のある書院造りの大広間がある建屋です。



 中棟の2階部分はふだんは非公開ですが、4月13日は特別公開され、これを目当てに多くの見学者が来場しました。

 中棟の2階には洋風の二つの応接間を中心にいくつかの部屋で構成されています。



 中棟の2階の洋風応接間から見下ろした、日本庭園です。大きな石などを配した日本庭園には、5月の節句向けに鯉のぼりが飾られています。庭木として、マツやウメ、サクラ、ツツジ、サツキなどが配してあります。



 東棟側から庭園に入って、中棟側を見た構図です。



 西棟は母のために数寄屋造りの座敷などを設けた建物です。

 西棟は家族や親しい親戚や友人とくつろぐための建家で、部屋が多数あります。中には、蔵に設けられた大きな金庫の扉部分が見える場所もあります。

 日興證券の創立者である遠山元一さんは、故郷である川島町に母の住まいとして、この日本建築の建物群の建築を依頼しました。この日本建築の建物群は、木材、壁、建具や畳などに厳選された素材を用い、大工や左官などの建築の匠(たくみ)たちが技を尽くしたものです。株などで大儲けした遠山元一さんが、金に糸目をつけないで日本家屋の建設を依頼して建てられたのが、東棟、中棟、西棟の建物群です。

 ある建築設計士の方は「今、こうした建築物を建てようとしても、ここまでいい素材を集めることもできないので、もう事実上は建てることができない極みの建物だ」と解説します。

 この東棟、中棟、西棟の一連の建物は、建設に2年7カ月かけて、昭和11年(1936年)に竣工しました。合計の建築面積は約690平方メートルと広大です。

 東山記念館の塀の外側には、お堀の役目を果たす大きな池などがあり、夏にはハスの花が咲いて、美しいそうです。

 第2次大戦の時に、焼夷弾の爆撃などの戦禍を被らなかったことが奇跡のように感じました。

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2 コメント

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遠山元一氏 (深谷住民)
2013-04-15 09:30:45
日興證券の創立者である遠山元一氏は、経団連の役員を務めるなど証券業界のドンでした。
戦前・戦後に証券業界で活躍した時には、他人を泣かせたこともあったと想像できます。後年の面構えは悪人ズラです。
金に糸目をつけずに建てた日本建築は素晴らしいですが、その影に痛めつけられた人の怨念も感じます。
人は消えても、建物の素晴らしさが永遠なのは、遺跡だからでしょうか。
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遠山記念館 (彼岸花)
2013-04-15 15:36:10
遠山記念館の東棟、中棟、西棟の建物群は、大工などの技法の素晴らしさを堪能できます。
左官の腕前では、中棟、西棟の壁仕上げに様々な左官の技法を取り入れている点が特筆すべきことです。西棟への渡廊下の壁なども見事です。
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