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ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

日本経済新聞紙の「私の履歴書 横川竟  11 『スカイラーク』と命名」を拝読しました

2018年09月14日 | 日記
 2018年9月12日に発行された日本経済新聞紙の朝刊の最終面に載った「私の履歴書 横川竟 11『スカイラーク』と命名 各1億円の生命保険に加入」を拝読しました。

 日本経済新聞紙の9月の「私の履歴書」には、すかいらーく創業者の横川竟(きわむ)さんが執筆されています。

 9月12日の「私の履歴書 横川竟 11」は、昭和45年(1970年)7月7日に第1号店をオープンした話です。

 その1号店は「国立店」と名乗ります。実際には、府中市にあったのですが、イメージを優先したためです。

 日本経済新聞紙のWeb版である日本経済新聞 電子版では見出し「1号店誕生 『スカイラーク』と命名 各1億円の生命保険に加入」と載っています。



 「スカイラーク」という名前は府中市の「鳥」がヒバリであり、それまで経営していた小型スーパー・食品店のことぶき食品の第1号店が府中市のひばりヶ丘だったことから「スカイラーク」と命名します。

 後に、このカタカナ表示は「すかいらーく」とひらがな表記に変更されます。

 この1号店は「国立店」を出店するには、まず土地だけで5000万円かかり、従兄弟にも出資してもらいます。さらに、小型スーパー・食品店のことぶき食品のメインバンクだった田無市(現西東京市)の田無市農協から融資を受けます。

 この田無市農協の融資を出す条件は、創業した横川4兄弟の各人が1億円の生命保険に加入することでした。当然、生命保険に加入しますが、その保険料の毎月の支払い金額が高く、生活費を前借りするなど苦労します。

 さらに、横川4兄弟が経営する小型スーパー・食品店のことぶき食品も並行して経営してほしいとも言われます。このため、横川竟さんは、すかいらーくの商品開発を担当しながらことぶき食品の経営も担当します。

 9月13日の「私の履歴書 横川竟 12」は、第1号店は当初はさっぱり人が入店せず、困る話です。

 この13日の日本経済新聞 電子版では見出し「サクラ 不振の1号店を支援 小学生の作文で人気広がる」と載っています。



 ランチタイムの昼間はある程度、お客が来ますが、夜がさっぱり人が来ません。当時は郊外レストランが珍しかったからです。

 そこで、夜はことぶき食品の従業員が“サクラ”としてお客を演じます。

 この流れは、昭和46年(1971年)のお正月に大きく変わります。当時は正月三が日を閉めているレストランが多く、唯一開いているかいらーく1号店にお節料理に飽きたお客がやって来たのです。

 さらに、国立市の小学生が「すかいらーくでの食事」という作文を夏休みの作文として書いて、小学校で朗読し、次第に存在が知れ渡って行きます。

 長野県から上京した横川4兄弟の郊外レストランチェーンはなんとか動き始めます。

埼玉県比企郡川島町の広大な田んぼの中に、ダイサギなどの群れがいました

2018年09月14日 | 季節の移ろい
 埼玉県比企郡川島町出丸下郷の辺りは、広大な田んぼが一面に広がり、稲穂が黄金色になっています。その稲穂が頭を垂れている田んぼに、ダイサギなどが集まっています。

 この川島町出丸下郷の北側を流れる荒川がつくり出した水田地帯です。昔は荒川の流れが大雨などで変わる河川敷きだったと思います。川島町には、荒川に合流する入間川などのいくつかの川が流れているので、「川島町」という地名になっています。多くが水田向きの土地柄です。

 この川島町出丸下郷の田んぼでも、稲穂が黄金色になっり、稲刈り作業が始まっています。



 その広大な田んぼの中の休耕田部分などに、 ダイサギなどが集まっています。







 ダイサギやコサギが数羽ずつ、休耕田部分など集まっています。一番近くにいるダイサギなどの集団の一つです。



 ダイサギやコサギは時々、飛び上がって群れを入れ替えています。




 
 突然、稲穂が頭を垂れている田んぼの上空にシギと思われる群れが飛んで来ました。40羽から50羽ぐらいの大群です。ハトより少し大きいぐらいのシギです。





 このシギと思われる大群は上空を周り続け、近くの田んぼには降りずに、飛び去りました。

 後で、野鳥観察愛好家の方に、「シギらしい大群を見た」というと「この時期に考えられるのは、ムナグロの群れでは・・」とのコメントでした。

 もう一度、この幻のシギらしい大群に遭遇してみたいです。