ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

“水都”大垣市の大垣城外堀の“船下り”を偶然、体験しました

2011年04月19日 | 旅行
 濃尾平野の北西部に位置する岐阜県大垣市は“水都”と呼ばれていることを体感しました。大垣市は湧き水が豊かで、現在でも多くの井戸が現役で使われてるそうです。

 大垣城がある大垣公園は、ちょうど、いろいろな種類のサクラの花が満開でした。なかなか絵になる風景です。



 大垣城を守る外堀は、水門川の流れを生かしたお堀です。この外堀の自然環境を守る一環として、4月上旬から中旬までイベント「水の都 おおがき船下り」が開催されました。大垣市観光協会が主催しています。その船下りの出発地になった高砂町の船着き場を偶然、通りかかりました。「まだ乗船できますよ」と教えていただき、乗船させていただきました。





 外堀の船下りコースは、お城の北側から西側を南方向に下り、「四季の広場」と呼ばれる水門川の船着き場までの片道コースでした。川の流れに従って下っていきます。

 ソメイヨシノ(染井吉野)やヤエザクラ(八重桜)、コブシなどの並木が両側に並ぶ水路を、お二人の船頭さんが前後で棹(さお)をさして、船を動かします。水路の水深は60~70センチメートルぐらいの感じで、水草が生えています。棹をさして船をこぐのは重労働です。棹をさして小舟を操る技能を持つ方が減っているそうです。

 この船下りは「乗船券」が必要な有料のイベントですが、一艘当たり乗客数は大人4人までなので、採算は採れていないと思います。船頭の方々は、アユやサツキマスなどの漁業従事の方などが中心となったボランティアだそうです。船も自前のもので、このお祭りの期間だけ提供しているそうです。外堀の環境維持を目的としたイベントだそうで、水質をきれいに保つことで、ホタルなどを呼び戻したいとのことでした。魚影は見かけなかったのですが、アユやサクラマスが住んでいるそうです。

 小舟は「武者溜橋」などの城下町らしい名前の橋をいくつもくぐります。下船した「四季の広場」の下流は「船町道標」「住吉燈台」などの船町港の跡地でした。



 住吉燈台は、江戸時代の元禄年間(1688~1674年)に伊勢湾の桑名市とを結ぶ海運のターミナルだった名残です。この辺りは船問屋などが建ち並んだそうです。明治時代には、蒸気船も就航するほど、繁栄したそうです。水難対策も織り込まれていると想像しています。



 濃尾平野は木曽川、長良川、揖斐川などの堆積作用によって陸地化した沖積平野です。大垣市一帯は地下水盆が形成され、湧き水(自噴水)があちこちで出現する「水都」です。大垣市などは、江戸時代から水門川に加えて揖斐川や杭瀬川などの河川を利用した舟運が盛んだったそうです。実際に大垣城近くの水路を見て、そのことを実感できました。小説家の司馬遼太郎がライフワークとして書き続けた「街道を行く」シリーズなどでは、どう描かれているのか興味が高まりました。