ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

ノビタキの鳴き声が八島湿原に響き渡りました

2010年05月31日 | 旅行
 5月29日午前に長野県の霧ヶ峰高原に行ってきました。「初夏以外の霧ヶ峰を見てみたい」との単純な動機で行ってきました。草原はまだ早春の状態で枯れ野色の中に、若緑色が少し混じり始めている感じでした。ポツポツとある桜(山桜か富士桜では?)も咲き始めのものがほとんどでした。

 関東一円は雨模様との天気予報でしたが、長野県は曇り時々晴れとの予報でした。アプローチの女神湖から白樺湖までは雲がやや厚く垂れ込めて、少しあやしい天気模様でした。「晴れてほしい」との望みを持ちながら、霧ヶ峰高原に入って行くと、次第に陽光が差す感じになり、北西側に位置する八島湿原に到着するころには、晴れ模様になりました。運が良いようです。車も少なく快調に進みます。

 八島湿原はさまざまな動物・植物が豊かな湿原で、天然記念物に指定されています。植物は約400種類が育っているそうです。初夏を彩るコバイケイソウの新芽が多数勢いよく湿原の淵に出ていました。7月中旬以降になると、ヤナギヤンなどのいろいろな高山植物が次々と鮮やかに咲く野草のパラダイスです。


 湿原の入り口の眼下に、「八島」と名付けられた由縁の島々が池の中に見える高台があります。その高台付近に、野鳥が一羽飛んできて低木の梢の上に留まりました。



 初夏の高原を代表する主役の一つであるノビタキの雄でした。梢の上で澄んだ声で鳴いています。「いきなりノビタキに会えるとは、なんて運が良いのだろう」と思いました。

 羽根は黒と白の美しいコントラストの中にお腹のオレンジ色がきれいな野鳥です。すぐ側に、羽根が褐色の雌もいました。ノビタキはスズメ目ヒタキ科ツグミ亜科の野鳥で、4月から5月にかけて東南アジアから日本に飛んで来ます。夏に本州の高原や北海道で繁殖します。渡りの時期は雄も羽が褐色になるそうです。八島湿原で出会った雄はもう“夏服”に衣替えを済ませて美しい羽根になっていました。


 以前に、7月の八島湿原で、ノビタキ観察をお目当てにした野鳥観察の集団にお会いしたことがあります。湿原とその周囲の斜面の低木の間を行き来するノビタキを撮影するために、かなり高価そうな一眼レフカメラをのせた三脚を並べていました。「ノビタキとホウアカを狙っている」とのことでした。残念ながら、ホウアカはまだ見たことがありません。

 近くの梢の上に地味な灰色のウグイスが留まって鳴いても、感心がない様子でした。鳴き声はしても、姿をあまりさらさないウグイスを観察できて、私は満足でした。ウグイスを間近で見ることは意外とないからです。すぐ側の藪の中で鳴いていても、姿を見ることは滅多にありません。

 その時は、ノビタキのペアが4~5組も現れ、こちらにある雄が留まれば、あちらで別のノビタキが留まるとの状態だったため、キョロキョロと視線を忙しく動かしていました。カメラで何枚か撮影しました。初夏の草原の中に、ノビタキの雄が見事に写っていました。

 2008年10月に、渡り途中のノビタキを観察する野鳥観察のグループに京都市でお目にかかったことがあります。京都市左京区のJR嵯峨嵐山駅から徒歩10分ぐらいの旧嵯峨御所の大覚寺に行った時に、大沢の池近くでバードウオッチング用のスコープ(望遠鏡)を構えている一団に会いました。「どんな鳥が観察できるのですか」と尋ねると、「渡り途中のノビタキ」との返事でした。この時は、残念ながらノビタキには会えませんでした。

霧ヶ峰高原の八島湿原の周辺には、「御射山」という地名が残っています。ここには、鎌倉時代に武士が流鏑馬(やぶさめ)をした競技跡の遺跡があるそうです。鎌倉時代に、高山のこんな奥地まで来て馬を走らせていたのかと思うと、それだけで十分な修行だった気がします。途中の山中はなかなか厳しい道だった思います。

 八島湿原周辺は黒曜石(こくようせき)の産地としても有名です。八ヶ岳には黒曜石の産地がいくつかあるそうです。石器時代にナイフ形石器などをつくる原材料として日本各地に運ばれたそうです。これも当時の運搬手段を考えると、かなりの苦行だったと想像しています。

 八島湿原から和田峠を経て、和田町を降りていくと、「黒曜」という日本蕎麦屋があります。ここで手打ちの十割りそばをいただきました。山菜の「コシアブラ」「タラの芽」の天ぷらもご相伴(しょうばん)しました。日本の春は山菜を楽しむ季節です。