気ままに

大船での気ままな生活日誌

シューマン夫妻の伝記映画 ”愛の調べ”

2019-10-27 10:42:41 | Weblog

おはようございます。

先日の公開講座”音楽史”はシューマンだったが、そのとき、彼の伝記映画「愛の調べ(Song of Love)1947」が上映された。物語そのものも面白かったが、舞台がドイツのドレスデンやライプツィヒで、当地には6年前に訪ねているので余計親しみを感じた。というわけで、そのときの旅行の思い出(緑色)をはさみながら、この映画の紹介をしたいと思う。

映画は、1839年、ドレスデンのオペラハウスでのザクセン王(アウグスト2世)の御前演奏会でクララ(キャサリン・ヘップバーン)がリストのピアノ協奏曲を演奏している場面から始まる。厳しい父親が横で目を光らせている。大喝采のあとアンコール曲を弾くことになる。父親はリストの曲をと厳命するが、クララは、まだ無名で彼女が思いを寄せているシューマンのトロイメライを演奏してしまう。

このオペラハウスは恐らく、劇場広場のゼンバー歌劇場であろう。設計者ゼンバーの名を冠した、世界的に名高いオペラハウス。2度の焼失を乗り越え、1985年に再建。

ドレスデンは、ザクセン州の州都であるが、かってザクセン王国の都であり、とくに18世紀前半のアウグスト2世(強王)と3世の時代に繁栄し、バロック建築の宮殿や教会がつくられ、また、類を見ない宝物が蒐集された。そのうつくしい街並みは、”エルベ河のフィレンツエ”とまで讃えられた。しかし、第二次世界大戦で連合軍の大空襲により街のほとんどが破壊されてしまった。戦後、徐々に建物の復元などが進み、現在では往時のうつくしい街並みを取り戻しつつある。

クララとロベルト・シューマン(ポール・ヘンリード)の結婚は父親に反対され、裁判所に持ち込まれる。リストの応援証言で、無事、二人は結ばれる。しかし、貧乏なロベルトとクララの新居はアパートの小さな部屋。申し訳なさそうなロベルトに対して、クララは”お掃除が楽だわ”と笑顔を返す。楽しい新婚生活がはじまった。

ライプツィヒに二人が住んだアパートがあり、観光名所になっている。1840年、結婚式翌日から4年間、この建物の2階に住んだ。メンデルスゾーン、リスト、ワーグナー、アンデルセンらが訪問したという。

ライプツィヒにはメンデルスゾーンの(1809~1847)の家もある。家族と共に建物2階の一画に住んだ。メンデルスゾーンは、長年にわたりゲヴァントハウス楽長を務めた。

ゲヴァントハウス・コンサートホール。世界最古(1743)の民間オーケストラといわれるゲヴァントハウス管弦楽団の本拠地。クララは、1828年、ゲヴァントハウスでモーツァルト・ピアノ協奏曲のソリストを務め、プロデビューした。

滝廉太郎(1879-1903)は、1901年から1902年の間、フェルディナンド・ローデ通り7番に住み、ライプツィヒ音楽院で学んだ。

それから何年かがたち、大きな家に引っ越す。シューマンが作曲しているところに赤ちゃんがはいはいして入って来る。そのあと、子供たちが次々に、なんと、7人も!まるで保育園。クララとお手伝いさんはてんてこ舞い。あまりに人使いが荒いと、お手伝いさんは止めてしまう。よくしたもので、そこへ、ロベルトの友人の紹介状を持った青年ブラームス(ロバート・ウォーカー)がやって来る。結局、住みこんで、家事のお手伝いまでしてくれる。シューマンを尊敬するブラームスだが、どうも、クララの美貌にもくらくらしているようだ。

ここで本日の授業はおわり。続きは一か月後の講義のお楽しみとなった。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする