石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

今週の各社プレスリリースから(7/8-7/14)

2018-07-14 | 今週のエネルギー関連新聞発表

7/9 ExxonMobil Rovuma LNG Phase 1 Development Plan Submitted to Government of Mozambique  

http://news.exxonmobil.com/press-release/rovuma-lng-phase-1-development-plan-submitted-government-mozambique

7/10 出光興産/昭和シェル石油 経営統合に関する合意書の締結のお知らせ  

http://www.idemitsu.co.jp/company/news/2018/180710.pdf

7/10 出光興産 当社大株主との間の合意書の締結に関するお知らせ  

http://www.idemitsu.co.jp/company/news/2018/180710_2.pdf

7/11 国際石油開発帝石 オーストラリア イクシス LNG プロジェクト 沖合生産施設における生産開始に向けた作業について  

https://www.inpex.co.jp/news/pdf/2018/20180711.pdf

7/13 Total Total Closes the acquisition of Engie’s Upstream LNG Business And Becomes World #2 LNG Player 

https://www.total.com/en/media/news/press-releases/total-closes-acquisition-engies-upstream-lng-business-and-becomes-world-2-lng-player

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ニュースピックアップ:世界のメディアから(7月13日)

2018-07-13 | 今日のニュース

・米中貿易緊迫、リビア出荷再開を受け原油価格上昇。Brent $74.71, WTI $70.80

 

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BPエネルギー統計2018年版解説シリーズ:石油篇(15)

2018-07-12 | BP統計

 (注)本レポートは「マイライブラリー」で一括してご覧いただけます。

http://mylibrary.maeda1.jp/0446BpOil2018.pdf

 

2018.7.12

前田 高行

 

5.世界の石油精製能力(続き)

(対照的なインドと日本、設備拡張に走るインドと過剰設備解消が大命題の日本!)

(2)   国別石油精製能力

(表http://bpdatabase.maeda1.jp/1-5-T01.pdf 参照)

 世界で最も高い精製能力を有する国は米国で、2017年は1,857万B/D、世界全体の19%の設備を所有している。第二位は中国の1,451万B/D(シェア15%)であり、両国だけで世界の3分の1の精製能力がある。精製能力1千万B/D以上はこの2カ国だけであり、第3位のロシアは658万B/Dである。

 

2011年に日本を追い抜いたインドの2017年の精製能力は497万B/Dで対前年比7.6%増である。一方の日本は前年より7.1%減の334万B/Dとなり両国の差は広がっている。石油消費量でも日本の399万B/Dに対してインドは469万B/Dと日本を上回っている。日本では石油企業の合併により精製設備の集約が推し進められる一方、インドは慢性的な精製設備不足に悩まされており(次項「精製能力の推移」及び主要国の「製油所稼働率」参照)、両国の精製能力の格差は今後ますます広がるものと思われる。

 

 日本に次いで高い精製能力を有するのは韓国(325万B/D)で、さらに第7位以下はサウジアラビア(282万B/D)、ブラジル(229万B/D)、イラン(211万B/D)である。サウジアラビアは原油の生産国であり国内に数ヶ所の輸出専用製油所が稼働、石油製品の輸出により付加価値の増大を追求しているが、それと共に国内の石油製品の需要が急増しているため製油所の新設が相次いでいる。

 

 精製能力を前年と比較すると世界全体では+0.6%とほぼ横ばいであるが、上位10カ国の中ではインド(+7.6%)、イラン(+6.0%)、中国(+2.4%)などが高い伸びを示している一方、日本(-7.1%)、サウジアラビア(-2.7%)などは精製能力が減少している。

 

(続く)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

        前田 高行         〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

                               Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

                               E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp

 

 

 

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ニュースピックアップ:世界のメディアから(7月11日)

2018-07-11 | 今日のニュース

イラク南部バスラで地元住民と警察が衝突。ExxonMobil、PetroChina従業員は西クルナ油田から避難

・OPEC議長のUAE石油相、トランプ大統領のOPEC非難に反論:OPECはやるべきことを実行している


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BPエネルギー統計2018年版解説シリーズ:石油篇(14)

2018-07-10 | BP統計

 

(注)本レポートは「マイライブラリー」で一括してご覧いただけます。

http://mylibrary.maeda1.jp/0446BpOil2018.pdf

 

2018.7.10

前田 高行

 

5.世界の石油精製能力

(アジア・大洋州に世界の精製能力の3分の1が集中!)

(1)   地域別精製能力

(図http://bpdatabase.maeda1.jp/1-5-G01.pdf 参照)

 2017年の世界の石油精製能力は日量9,814万バレル(以下B/D)であった。地域別でみるとアジア・大洋州が3,330万B/Dと最も多く全体の34%を占め、次に多いのが北米の2,208万B/D(22%)及び欧州の1,518万B/D(15%)であった。これら3地域で世界の精製能力の7割を占めている。その他の地域の精製能力と世界に占める割合は、中東(952万B/D、10%)、ロシア・中央アジア(840万B/D、9%)、中南米(622万B/D、6%)、アフリカ(344万B/D、4%)である。

 

 後述する通りアジア・大洋州の精製能力は1990年代に欧州及び北米を追い抜き世界最大規模となったのであるが今後この傾向が定着するものと思われる。

 

 地域別の精製能力と石油消費量(本稿3(1)参照)を比較すると欧州、中東及びアフリカは世界全体に占めるシェアが同じであり、アジア・大洋州及び中南米は精製能力と消費量のシェアの差がわずか1%である。また北米は消費量シェア25%に対して精製能力シェアは22%と消費量シェアの方が若干高く、ロシア・中央アジアは消費量4%に対して精製能力シェアが9%と、精製能力が消費量を大幅に上回っている。

 

 原油は消費地でガソリン、ナフサ、灯油、重油などに精製され消費されるのが通常である(消費地精製主義)。それにもかかわらずロシア・中央アジア地域のバランスに差があるのは、石油消費の先進地であった欧州・ユーラシアが1970~80年代に精製能力を急激に拡張し、その後の石油消費の鈍化により過剰設備を抱えてしまったためと考えられる。

 

アジア・大洋州で精製能力と消費量がバランスしているのは発展途上国が多く、増大する石油の消費と精製設備の新増設が並行しているためであろう。但し後述するように(「製油所稼働率」の項参照)消費と精製能力のバランスは同じアジア地域においても日本が過剰設備の解消に苦心する一方、インドでは慢性的な精製能力不足であるように国によって事情が大きく異なる。

 

(続く)

 

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BPエネルギー統計2018版解説シリーズ:石油篇 (13)

2018-07-09 | BP統計

 

(注)本レポートは「マイライブラリー」で一括してご覧いただけます。

http://mylibrary.maeda1.jp/0446BpOil2018.pdf

 

2018.7.9

前田 高行

 

(OPEC・非OPEC協調減産で上昇に転じた原油価格!)

4.指標3原油の年間平均価格と1976~2017年の価格推移

(図http://bpdatabase.maeda1.jp/1-4-G01.pdf 参照)

 ここでは国際的な原油価格の指標として使われる米国WTI(West Texas Intermediate)原油、英国北海Brent原油及びドバイ原油の3種類の原油の年間平均価格(ドル/バレル)とその推移を検証する。

 

 2017年の3原油の年間平均価格はBrent原油は54.19ドル(バレル当たり。以下同様)、WTI原油50.79ドル、ドバイ原油53.13ドルであり、BrentとWTIの値差は3ドル40セントであった。Brent価格を100とした場合WTI原油は94、ドバイ原油は98である。

 

 これら3原油の1976年以降の価格の推移は2011年から2013年までの間を除きほぼ同じような歩みを示している。ここではBrent原油の動きを見ると、1976年の同原油の年間平均価格は12.80ドルであった。1979年の第二次オイルショックを契機に価格は急騰、1980年には約3倍の36.83ドルに達した。その後景気の低迷により価格は一転して下落、1986年には14.43ドルと第二次オイルショック前の状況に逆戻りしている。

 

 この状況は1990年代も続きBrentの年間平均価格は20ドル前後で推移している。ところが1998年の12.72ドルを底に急激に上昇に転じ1999年は17.97ドル、2000年には28.50ドルとわずか2年で2倍以上に急上昇した。その後一旦下落したものの2003年からは上げ足を速め2004年には40ドル弱、2005年に50ドルの大台を超えるとさらに急騰、2008年の年央にはついに史上最高の147ドルに達し、同年の平均価格も100ドル目前の97.26ドルを記録している。

 

 同年のリーマンショックで2009年には一旦61.67ドルまで急落したが、再び上昇気流に乗り2011年の年間平均価格はついに100ドルを超えて111.26ドルになり、その後2012年、2013年も平均価格は110ドル前後と原油価格は歴史的な高値を記録、これは2014年前半まで続いた。

 

 しかしその数年前から米国のシェールオイルの生産が急激に増えた結果、市場では供給圧力が高まり、Brent原油価格は米国WTI原油に引きずられ弱含みの状況になった。これに対してOPECは2014年6月の定例総会で生産目標3千万B/Dの引き下げを見送ったため市況は一挙に急落、年末にはついに50ドル割れの事態となった。2015年前半は一時60ドルまで値を戻したが、後半はさらに値下がりし、年末には40ドルを切った。2016年に入っても値下がり傾向は止まらず、この結果2016年のBrent原油の年間平均価格は43.73ドルとなりわずか3年間で半値以下に暴落した。

 

 暴落した最大の要因はOPECが減産調整できずサウジアラビアなど主要産油国が増産に走ったことにある。これに世界景気の停滞が拍車をかけ需給バランスが完全に崩れたのである。サウジアラビアは近年の米国シェールオイルの増産が価格崩壊の主要因と見ており、価格を低水準に抑えることでシェールオイルを抑え込む戦術を取ったとされる。

 

 しかしOPECの戦術は功を奏さず、シェールオイルの生産業者が技術革新によりコスト削減に努めた結果、原油市場の供給圧力は収まらずOPEC産油国は財政難に陥り減産の機運が生まれた。そこでOPECはロシアなど非OPEC産油国を巻き込んだ協調減産体制を構築し、2017年1月以降今年末迄合計180万B/Dの減産を実施中である。この間にOPEC加盟国のリビア及びベネズエラが内戦あるいは経済政策の失敗により原油生産が大幅に落ち込み、OPEC全体としての減産量が目標を大幅に下回った。この結果、現在Brent原油は70ドル台まで回復している。

 

 これに加え米国が対イラン経済制裁を再開、各国に対して今年11月からイラン原油の輸入を停止するよう求めており、世界的な供給不足がさらに高まる懸念が生じている。これに対してサウジアラビアは米国の要請に応じて増産体制を打ち出している。世界の原油供給は不確実な要素をはらんでおり、原油価格は当面不安定な動きをみせるものと思われる。

 

(続く)

 

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        前田 高行         〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

                               Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

                               E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp

 

 

 

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"The Peace on The Horizon - 70 Years after The World War 2 in the Middle East"(36)

2018-07-08 | 中東諸国の動向

Home Page: OCIN INITIATIVE

(Japanese Version)

(Arabic Version)

(Table of contents)

 

By Areha Kazuya

E-mail: areha_kazuya@jcom.home.ne.jp

Chapter 4: War and Peace in The Middle East

 

4-8(36) East of Nakba(great catastrophe)

The Arab countries have been disastrously defeated by Israel in the First Arab Israeli War in which Israel aimed for Independence. That was the reason why Arab countries called this war "Nakba (Great Disaster)" and Israel called the War of Independence. The greatest victim was the Arab-Palestinians who lived in Palestine. Approximately 750,000 Jews flowed from all over the world into Palestine after the war. As a result, the same number of Arab-Palestinians were pushed out of the country and became refugees. More Palestinian refugees came in the later Arab-Israeli wars. The number of refugees reached approximately ten million in total. Most of them evacuated to the east neighboring country - Jordan. Jordan was "the east of Nakba".

 

Jordan, however, was the poor country from its foundation. Palestinian refugees had a difficult time in Jordan. Many of them had to migrate to the Gulf countries such as Kuwait and Saudi Arabia, where the oil boom began. They moved from the land of Nakba in Palestine to Jordan and thereafter toward to the east again. This time, Gulf countries became “the east of Nakba”. Palestinian refugees were the diligent workforce in the Gulf oil-producing countries. Palestinians were the same Arabs with inhabitants in the Gulf countries. They could easily communicate by speaking Arabic language. They believed the same religion of Islam as the same Sunni sect. The Saudis and Kuwaitis appreciated the excellent knowledge of the Palestinians.

 

In the Gulf countries, they called migrants coming from abroad as "guest workers" and called themselves as "host countries". Palestinian migrants who spoke Arabic and worshiped together at the mosque on Friday were the best "guest workers" for “host countries”. However, do not be misled by the softness of the word "guest". Palestinians coming to Gulf countries in search for getting a piece of oil wealth were merely migrant workers. Palestinians were given cold shoulder. Inhabitants in the Gulf countries were blind to own faults and abused the Palestinians. Children imitate their parents and teased Palestinian children irrationally.

 

Palestinians, however, had to endure remained silent, otherwise they might lose good salary which was pretty high than their home country. Their status was unstable. The employment contract was depended on the temper of their lords. The lords were easily dismissed migrants and expelled them. Migrants were exactly modern slavery.

 

It is necessary to point out that migrants are different from immigrants. Immigrants are those who emigrated from other countries and acquired the citizenship of that country. Although there might be social discrimination, immigrants have the same political rights and the right of social security same as the original citizens. But migrant “guest” workers are not given such a right.

 

The Palestinians were obviously more educated, experienced and diligent than the Kuwaitis or Saudis. But under the modern slavery system of migrant workers, they had to endure humiliation and continue their duties. They sent the most of their salary to their relatives at home. Someday in the future when they would retire and return to home, it might be their dream to build an apartment and become a landlord, or to open a small shop and become the owner of self-employed business.

 

Palestinians were also enthusiastic about giving university education on children. As refugees living in other countries it was necessary to have excellent knowledge and expertise. The Shatilas and Al-Yassins who were Palestine refugees from Turkam had been working in Kuwait as teacher or doctor, respectively. They were keen on education more than others. The second son of the Shatillas was sent to the United States for studying though their household spending was painful. The eldest son of the Shatillas who had been working at an oil company in Saudi Arabia handed over a part of his salary to his father to support his brother's tuition. The Shatilas expected that their young son got citizenship of the United States after graduating university. Furthermore, the family had hidden agenda that if something happened in the Middle East they would rely on him and migrate to the United States.

 

Father himself did not lose hope to return to Turkam. He had a dream to open a private school in his hometown and spend the rest of his life to teach Palestine children. When he retired a teacher in the late 1970s, he left Kuwait and returned to Jordan. Around the same time Al-Yassin also sent his daughter Rania to American University in Cairo and the family returned to Jordan. He had a doctor's license, so he decided to settle permanent residence in Jordan and changed their nationality from Palestine to Jordan.

 

When the "Black September" incident took place in 1970, the PLO, Palestine Liberation Organization, moved its headquarter to Beirut, Lebanon. Jordan restored a peaceful condition under King Hussein. The Palestinians who emigrated to the Gulf countries returned to Jordan with various expectations in mind. Once the Palestinians had moved eastward from the land of "Nakba" to Jordan and again settled in Gulf countries in eastward. This time they moved westward and back to Jordan. Most of them waited for the day when they could return to Palestine.

 

(To be continued ----)

 

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今週の各社プレスリリースから(7/1-7/7)

2018-07-07 | 今週のエネルギー関連新聞発表

7/2 BP BP starts-up landmark Shah Deniz 2 development in Azerbaijan 

https://www.bp.com/en/global/corporate/media/press-releases/bp-starts-up-landmark-shah-deniz-2-development-in-azerbaijan.html

7/3 経済産業省 新しいエネルギー基本計画が閣議決定されました 

http://www.meti.go.jp/press/2018/07/20180703001/20180703001.html

7/4 Aramco Saudi Aramco rebalances its Asia crude oil benchmark 

http://www.saudiaramco.com/en/home/news-media/news/asia-crude-price.html

7/5 住友商事 米国テキサス州におけるタイトオイル生産・開発権益取得の件 

https://www.sumitomocorp.com/ja/jp/news/release/2018/group/10420

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ニュースピックアップ:世界のメディアから(7月6日)

2018-07-06 | 今日のニュース

・サウジアラムコ、1980年代以降初めてアジア顧客向け価格基準を変更。10月1日からPlatts DubaiとPlatts Omanのハイブリッド方式採用。 *

・トランプ大統領のOPEC増産要請ツイートで原油価格下落。Brent $77.78, WTI $73.98

・米国:イラン革命防衛隊のホルムズ海峡封鎖警告に対し艦船派遣を表明

 

*アラムコ・プレスリリース参照:

http://www.saudiaramco.com/en/home/news-media/news/asia-crude-price.html

 

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BPエネルギー統計2018年版解説シリーズ:石油篇(12)

2018-07-05 | BP統計

 

(注)本レポートは「マイライブラリー」で一括してご覧いただけます。

http://mylibrary.maeda1.jp/0446BpOil2018.pdf

 

2018.7.5

前田 高行

 

(石油自給率が改善する米国、悪化する中国!)

(5)石油の需給ギャップおよび自給率の変化(2000年~2017年)

(図http://bpdatabase.maeda1.jp/1-3-G04.pdf 参照)

(図http://bpdatabase.maeda1.jp/1-3-G05.pdf 参照)

 石油生産国の中でも人口が多く産業規模の大きな国は同時に多くの石油を消費する。例えば米国と中国はそれぞれ世界1位と8位の産油国であるが、消費量では世界1位と2位である。両国を合わせた世界シェアは生産量で18%、消費量では33%に達する。両国とも消費量が生産量を上回るため、米国は1965年以前から既に石油の輸入国であり、中国は1990年代前半に輸入国に転落している。

 

米国の場合2017年は生産量1,306万B/Dに対して消費量は1,988万B/Dであり、差し引き682万B/Dの需要超過で石油自給率は66%となる。1965年に78%であった米国の石油自給率は年々低下し1990年代には50%を切り、そして2000年代は40%を割るなどほぼ一貫して低下してきた。しかし同国の自給率は2007年の33%を底に改善しつつあり、2017年にはついに66%に達している。現在米国は必要な石油の7割近くを自国産原油で賄っていることになる。

 

一方、中国の場合1992年までは生産量が消費量を上回り自給率100%であったが、その後純輸入国に転じている。しかも生産と消費のギャップは年々広がり、2000年に144万B/Dであった需給ギャップが2017年には895万B/Dに拡大している。この結果2000年には69%であった自給率も急速に悪化し、2007年に50%を割り、2017年は30%まで落ち込んでいる。米国と逆に中国は必要な石油の7割を輸入に頼っていることになる。

 

インドも中国同様に年々需給ギャップが拡大している。2000年の同国の需給ギャップは153万B/Dであり、自給率は32%であった。その後需給ギャップは2010年に244万B/Dと年々拡大しており、2017年は383万B/Dに達している。その結果2017年の自給率は18%にまで低下している。

 

近年産油国としての存在感を示しつつあるブラジルは、2000年は生産128万B/Dに対して消費量は203万B/Dで自給率は63%であったが、その後2010年には自給率が79%に上昇、その後更に上昇し2017年の自給率は91%を達成、数年中に完全自給体制になると予測される。

 

一方インドネシアは東南アジアの有力産油国として2000年は自給率127%で余剰生産量を輸出する石油の輸出国であった。しかしその後、国内経済の成長と油田の減退が重なり自給率は急速に悪化、2014年の自給率は51%にとどまり、需要量の半分は輸入に頼らざるを得ない状況に陥った。ここ数年は多少改善の兆しが見られ、2017年の自給率は57%に戻っている。

 

(石油篇消費量完)

 

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