石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

ニュースピックアップ:世界のメディアから(12月30日)

2016-12-30 | 今日のニュース

・原油価格今年最高に。WTI $54.16, Brent $56.41

 

 

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見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(52)

2016-12-28 | 中東諸国の動向

第6章:現代イスラームテロの系譜

 

9.混迷深まる中東

 第二次大戦後の中東はアラブとイスラエルが対立する世界であった。そこでは敵と味方の区別が明らかであり、民族も文化も異なるが宗教(イスラーム)が同じであるアラブ、イラン、トルコの敵はイスラエルのみであり、お互いは味方同士であった。そして米国はイスラエル(敵)の味方であるため、アラブ・イスラ-ム圏は米国を敵とみなした。即ち敵の味方は敵なのである。但し米国は遠く離れているため、シャー体制のイランのように中東一の親米国となる国がある一方、ナセル体制のエジプトはソ連になびいた。

 

 敵、味方の構図を一変させたのが四次にわたる中東戦争におけるイスラエルの圧勝であり、さらにその後のイラン・イスラム革命であった。イスラエルの圧勝によりアラブ諸国内にはエジプト、イラクなどの世俗軍事国家とサウジアラビアなど専制君主国家との間に緊張が生まれた。さらにイラン革命でホメイニ体制のシーア派の政教一致国家が生まれると、スンニ派が実権を掌握するイラク及び湾岸諸国とシーア派のイラン及びシリアとの宗派対立が表面化した。問題を複雑にしたのがイラク及び湾岸王制国家のバハレーンでは少数派のスンニ派が多数を占めるシーア派住民を支配していることであり、他方シリアでは少数派のシーア派アラウィ教徒のアサド(父子)がスンニ派とクルド民族を抑え込んで実権を握るという少数派と多数派の逆転現象が発生したことである。

 

 その結果イラン・イラク戦争はアラブ人対ペルシャ人(イラン)という因縁の民族的対立に加えシーア派対スンニ派という宗派対立の構図が炙り出され、君主制の湾岸諸国が世俗国家イラクを後押しする羽目になった。これに対してイランはシリアを側面支援してレバノンを舞台にシリアとイスラエルの代理戦争を演出、さらにイラク及び湾岸諸国のシーア派住民を使嗾して各国の体制に揺さぶりをかけたのであった。加えてホメイニ憎しの米国は民主主義の理念を棚上げして独裁国家イラクを支援した。

 

 こうして中東地域ではイランとイラクが直接敵対する関係になり、湾岸諸国にとって味方(イラク)の敵(イラン)は敵という訳であり、中東イスラームという一つの地域の中に敵と味方が混在する構図となったのである。かつてのイスラーム諸国対イスラエルという単純な二項対立が宗派を介して複雑化した。逆の立場のイランにとっても同じことがいえる。即ち味方(シリア)の敵(イスラエル)は敵であり、敵(イラク)の味方(サウジアラビアなどの湾岸諸国)は敵である。そして奇妙なことにサウジアラビアにとってイラン、シリアの敵であるイスラエルはこれまで通りやはり敵なのである。

 

 中東戦争まではアラブ・イスラーム対イスラエルの2項対立であったものが、イラン・イラク戦争時代には3項或いは4項対立の様相を呈した。敵の敵が味方か敵か、はたまた敵の味方が敵か味方か、判然としなくなったのである。但し対立は重層化したものの、敵か味方かの区別は国家単位であり、それぞれにとって誰が味方で誰が敵かははっきりしていた。

 

 しかし対立が一つの国家内での政府と反政府組織の軍事的対立となったとき、他国がどちらに肩入れするかで敵と味方の区別がつきにくくなる。まして反政府組織が分裂したり、同床異夢の寄り合い所帯であったりすると問題が複雑になる。IS(イスラム国)が従来の国境を無視して国家樹立を一方的に宣言し、加えて超大国の米露や地域の大国であるイラン、トルコ或いはサウジアラビアがそれぞれの思惑で政府或いは反政府組織に介入すると問題は多項方程式を解くように際限もなく複雑化する。それこそが現在のシリアなのである。

 

(続く)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

       荒葉一也

       E-mail; areha_kazuya@jcom.home.ne.jp

       携帯; 090-9157-3642

 

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ニュースピックアップ:世界のメディアから(12月26日)

2016-12-26 | 今日のニュース

・イラン、北アザデガン含む第2期油田開発国際入札の予定。第1期の中国2社も同じ土俵に

 

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今週の各社プレスリリースから(12/18-12/24)

2016-12-24 | 今週のエネルギー関連新聞発表

12/19 JXホールディングス/東燃ゼネラル石油 経営統合に関する公正取引委員会の審査結果について  

12/19 出光興産 ロイヤル・ダッチ・シェルからの昭和シェル石油株式会社の株式取得完了のお知らせ  

12/19 昭和シェル石油 主要株主である筆頭株主及びその他の関係会社の異動に関するお知らせ  

12/19 Shell Shell completes the sale of its shareholding in Showa Shell to Idemitsu  

12/20 伊藤忠商事 ドイツ最大級洋上風力発電事業参画について 

12/20 丸紅 フィリピン・Puting Bato 火力発電事業への出資参画について  

12/21 JXホールディングス 役員等の人事について  

12/21 JXホールディングス/東燃ゼネラル石油 臨時株主総会におけるJX ホールディングス株式会社と 東燃ゼネラル石油株式会社の経営統合の承認について  

12/21 東燃ゼネラル石油 潤滑油事業会社の設立について  

12/21 Total Total and Petrobras implement their Strategic Alliance through an Assets Package Agreement  

12/22 JOGMEC 英国シェトランド沖P1190(204/13)鉱区におけるIdemitsu E&P Shetland Ltd.の事業終結について 

12/22 三菱商事 米国キャメロンLNGプロジェクトに係るLNG船共同保有事業の推進について 

12/22 三井物産 米国マーセラス・シェールガス事業権益の一部売却について 

12/22 Shell Shell completes the sale of Shell Refining Company in Malaysia  

 

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見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(51)

2016-12-21 | 中東諸国の動向

 

第6章:現代イスラームテロの系譜

 

8.短かった春の宴

「アラブの春」を欧米先進国(特にメディア、インテリ層)は中東・北アフリカ諸国における独裁者の圧政に対する住民の抵抗運動、政治の民主化運動と定義づけた。「春」という言葉が持つ肯定的で開放的なニュアンスを政治の場面で使ったのは、冷戦下のチェコの民主化運動「プラハの春」が多分初めてであろう。それはソビエト共産主義の圧政に対する抵抗運動を象徴する言葉となり、西欧のメディアはこの言葉に自己陶酔した。1968年の「プラハの春」はソ連の介入によりあえなく踏みにじられたが、21年後には同じチェコで「ビロード革命」が発生、翌年には東西ドイツ統一が実現して、西欧諸国は自分たちの信奉する民主主義が絶対的に正しい思想(イデオロギー)であり、「プラハの春」はその先駆けであったと確信したのである。

 

 プラハの春のひそみに倣い西欧諸国は「アラブの春」も必ず成功すると信じて疑わなかった。しかし「アラブの春」がそれ以前よりさらに劣悪な混乱と停滞を各国にもたらしたことは否定しようがない。大きな変革の直後には更なる変革を求める勢力と古き良き時代の復活を求める両極端の勢力が激突し、混乱が発生するのは歴史の習いである。チェコの民主化運動が成就するのに20年以上かかったことを考えれば、「アラブの春」の歴史的評価を下すのは早すぎるかもしれない。今から20年後のアラブ諸国はひょっとして西欧型の民主主義国家に変貌しているかもしれない。それはまさに「インシャッラー(神のみぞ知る)」である。

 

 しかし「アラブの春」を現状なりに評価することも意味のないことではなかろう。筆者の持論である中東の三つのアイデンティティ、即ち「血(民族)」、「心(信仰)」及び「智(イデオロギー)」をベースに「アラブの春」を経験した国、経験しなかった国を含め、アラブ圏各国について眺めてみるといろいろなことが見えて来る。

 

 エジプトの場合、チュニジアで「ジャスミン革命」が成就したとほぼ同時の2011年1月、カイロのタハリール(革命)広場で学生を中心とするデモが発生した。SNSでデモ参加を呼びかける若者たちの声に応じてデモは規模を拡大しタハリール広場を埋め尽くすようになった。彼らは旗を振りムバラク大統領の退陣を求めるシュプレヒコール「ファキーア(もう沢山だ)!」と叫んだ。ムバラク大統領の出身母体である軍の治安部隊は最初のうち動かず、現場の警察官もデモ隊にむしろ友好的な雰囲気ですらあった。実のところ彼らも大統領に「ファキーア」だったのである。

 

 世論に抗しきれなくなったムバラクは2月に大統領を辞任し、その後不正な財産蓄積の容疑で逮捕され刑務所に収監された。その間もデモは続き国家機能がマヒしたため、平穏な生活に戻ることを求める一般市民の声も無視できず治安部隊はデモ隊の解散を求めた。この頃の若者のデモ参加者たちはムバラク退陣を勝ち取った成果でユーフォリア(熱狂的陶酔)状態にあったが、次に何を成すべきかについては明確なビジョンが無かったり或いは意見が分かれていた。

 

 このような一般市民と学生の意識のずれの隙に割って入り存在感を示したのがムスリム同胞団であった。同胞団はムスリム(イスラーム教徒)の互助組織として市民生活にすでに深く根を張っていたが、自由な総選挙の実施が決定されたことを受けて政治組織「自由公正党」を立ち上げ政権奪取を目指した。これに対抗して学生や知識人たちはリベラル政党の樹立を目指した。

 

 しかしリベラル運動の理論家はムバラク政権時代は西欧に亡命し、そこでの自由で安全な生活に慣れ切っていた。彼らは頭でっかちのインテリであり、エジプト国内で圧政に苦しむ一般市民とは意識のずれが大きく団結した組織をつくれなかった。SNSの威力を過信した学生たちもまた大規模なデモ動員こそ可能だったものの結局国民全体を動かす力にはなりえなかった。学生たちは組織力と実行力のあるムスリム同胞団が主導権を握るのを見て、「革命を乗っ取られた」と嘆いた。チュニジア青年の焼身自殺をSNSで広め「アラブの春」の運動をリードしてきた若者たちであったが、欧米では当たり前の民主主義という「智」のイデオロギーがイスラーム社会には根付いていなかったのが原因であろう。中東アラブは今も部族(血)とイスラーム(心)が支配する世界である。

 

 エジプト史上初めてと言われた公正な選挙で圧倒的支持を得たムスリム同胞団の自由公正党であったが、ムルシ大統領の時代はわずか1年余りしか続かなかった。政治経験の殆どないムルシは経済運営で失政を重ね、さらに同胞団の身内を重用する縁故政治で国民の心はムスリム同胞団からすっかり離反した。再び若者のデモが続発し騒然となった。大衆はわずか一年前に自らが選んだ大統領を引きずり下ろし、あろうことか軍政への回帰を選択したのである。軍最高司令官のシーシはクーデタを敢行、ムルシを解任した。ここにエジプトは強権的な軍政に復帰、エジプトの「アラブの春」は2年で終わった。国民はシーシを熱烈に歓迎し、欧米民主主義国家を含めた国際社会もアラブの盟主エジプトの政治と経済が安定することを歓迎したのである。

 

 エジプト以外の中東各国の「アラブの春」はさらに短かく、むしろその後混乱と無秩序のカオスに陥った例の方が多いくらいである。リビアではカダフィが倒れた後、大量の武器が闇市場に流れ、国内の部族同士の内戦に発展した。またイエメンではサウジアラビアの仲介でサーレハ大統領が退場し、ハーディー暫定大統領のもとに新政府が発足したものの、部族社会のイエメンではフーシ派勢力が勢いを増し、サーレハ元大統領も加わって首都サナアを占拠した。ハーディー政権はアデンに逃れ、サウジアラビアなどのアラブ連合軍の空爆作戦で何とか命脈を保っている状態となり、国際社会の平和の基準からはリビアと共に失敗国家の烙印を押されている。

 

 「アラブの春」が失敗国家に終わった例はシリアがその最たるものであろう。同国ではアサド政権、IS(イスラム国)勢力、スンニ派反政府勢力等が四分五裂し、そこに国際社会の勢力争いも絡みまさにくんずほぐれつの覇権争いを繰り広げている有様である。

 

 「アラブの春」とは一体何だったのかという議論が絶えない。否、むしろ「春」などと言う甘味な言葉が誤解を招いたといって良いのかもしれない。欧米諸国は「春」という言葉に自分たちが信じるイデオロギー「民主主義」を重ねた。彼らは民主主義こそ現代社会の唯一絶対に正しいものだと主張する。仮にそうだとすると彼ら欧米諸国は絶対的(と自分たちが信じる)価値を押し付け、世界各国が有する多様な価値を否定していることにならないだろうか。

 

 ともかく今言えることは「アラブの春」は短い宴の春だった、ということである。

 

(続く)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

       荒葉一也

       E-mail; areha_kazuya@jcom.home.ne.jp

       携帯; 090-9157-3642

 

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ニュースピックアップ:世界のメディアから(12月19日)

2016-12-19 | 今日のニュース

・イラク、中国Unipecに原油増販。1月からの生産削減にらみかけこみ販売

・アブダビ、陸上油田操業権益の10%を22億ドルで英BPに譲渡

・アブダビMubadala、英BPの株式2%取得

 

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今週の各社プレスリリースから(12/11-12/17)

2016-12-17 | 今週のエネルギー関連新聞発表

12/12 JOGMEC オーストラリアチモール海域鉱区におけるコスモアシュモア石油株式会社の事業終結について  

12/12 住友商事 アズール・ノース発電・造水事業における発電所完工について 

12/14 JOGMEC/国際石油開発帝石/伊藤忠 ロシア連邦イルクーツク州での石油探鉱事業の一部油田における開発・生産段階移行について 

12/14 国際石油開発帝石 幹部社員の人事異動について  

12/14 三菱商事 ベルギー最大の新規洋上風力発電事業への参画について 

12/14 ExxonMobil Rex Tillerson to Retire, Darren Woods Elected Chairman, CEO of Exxon Mobil Corporation  

12/14 Shell Shell starts oil production from Malikai deep-water platform in Malaysia  

12/15 石油連盟 木村 石油連盟会長定例記者会見配布資料 

12/16 JOGMEC ロシア連邦ロスエレクトロニクス社との覚書締結について 

12/16 JOGMEC/国際石油開発帝石/丸紅 ロシア・ロスネフチ社との覚書の締結について(ロシア周辺海域における炭化水素の共同での探査・開発及び生産に係る協力基本合意) 


12/16 JOGMEC ロシア連邦の石油会社との覚書締結について 

12/16 三菱商事 ガスプロム社と戦略的協業に関する覚書を締結 

12/16 丸紅 ロシア・ノバテク社との覚書の締結について 

 

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ニュースピックアップ:世界のメディアから(12月16日)

2016-12-16 | 今日のニュース

・在庫増・供給過剰感で原油価格下落。Brent $55.37, WTI $52.40

 

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ニュースピックアップ:世界のメディアから(12月14日)

2016-12-14 | 今日のニュース

・原油価格、1年半ぶりの高値。WTI $53.32, Brent $56.27

・トランプ次期大統領、国務長官にExxonMobilのTillerson CEOを起用

・湾岸産油国、顧客に相次いで来年1月以降の減産を通告

・IEA:OPEC-非OPEC協調減産はすぐに市場に浸透する

・伊Eni、エジプトZohrガス田の権益30%を露Rosneftに16億ドルで売却

・イランNIOC、露Gazpromと西部2油田の開発スタディに合意

 

 

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見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(50)

2016-12-14 | 中東諸国の動向
第6章:現代イスラームテロの系譜
 
7.「アラブの春」の訪れ
 イラクのフセイン政権崩壊後もアラブ諸国の多くは強権的な独裁国家或いは世襲の君主制国家のままであり、西欧型の民主主義国家と言えば北アフリカのアルジェリア、中東のレバノン及び米国によってフセイン政権が叩きのめされ民主化にもがいていたイラクだけと言っても過言ではなかった。リビアのカダフィ政権、シリアのアサド政権、イエメンのサーレハ政権、エジプトのムバラク政権、チュニジアのベン・アリ政権はそれぞれ30年前後もの間独裁政権を続けていた。
 
 独裁者は大衆の心をつかむのがうまい。多くの場合独裁者は国家が乱れ国民が社会的経済的な混乱に右往左往している時に颯爽と登場する。混乱に倦み疲れた国民は彼が独裁者であると薄々わかっていながらも、社会に安定をもたらしてくれることを期待する。独裁者は強権的な手法で社会に秩序を打ち立て、さらに人気取りのポピュリズム政策で大衆の心をしっかりとつかむ。国民は熱狂して彼を支持し指導者として終生とどまることを求める。
 
 勿論そこには独裁者による巧妙な世論操作もあるが、大統領の多選を禁じた憲法は圧倒的多数で改正され彼は終身大統領となる。こうなれば国家は独裁者の思うままである。彼の権力基盤は盤石となり長期政権が延々と続く。さらに権力の世襲化も起こる。2000年に父親のハフィーズから息子のバシャールに大統領を引き継いだシリアのアサド政権に続き、リビアのカダフィ、そしてエジプトのムバラクも息子に権力を譲ろうと画策した。
 
 しかし権力は必ず腐敗するものである。政治社会組織にはほころびが目立ち始め経済は長期低落の罠に落ち込む。人気取り政策でパンやガソリン代、水道電気代は安く抑え込まれるため庶民の日常生活は一見支障のないように見えるが、街には失業者があふれ、庶民は明日の見えない閉塞感に襲われる。
 
 そのような庶民の絶望感がチュニジアで2010年12月、ある事件を引き起こした。生活のため已む無く路上で野菜を売っていた失業中の一人の青年に対して警察官が当局の許可がないことを理由に商品を没収した。当時のチュニジアの失業率は14%と公表されていたが、実際にはもっと高く、特に青年層では25~30%と言われるひどい状態であった。生活の糧を奪われた青年は市役所前の広場で抗議の焼身自殺を図った。焼身自殺そのものはイスラーム世界でもさほど珍しいことではなく、そのままであれば地元の新聞に小さく扱われただけだったと思われる。
 
 しかし偶々通り合わせた市民が一部始終を動画に収めてYouTubeに投稿したため騒ぎが一挙に拡大した。SNSは一端ネット上に掲載されると際限もなく拡がる。事件の一部始終をネットで見た若者たちは直ちに抗議活動に立ち上がり、デモを呼びかけた。デモはたちまち首都チュニスから全国に広がった。デモ隊は23年間にわたるベン・アリ大統領の退陣を求めた。デモ参加者の殆どは生まれた時からずっと同じ大統領である。彼らは「もう沢山だ(ファキーア)!」と叫んだのである。燃え盛る反政府デモに押され、ベン・アリ大統領はわずか1か月後政権を放り出してサウジアラビアに亡命したのであった。
 
 チュニジアの政変は同国の国花に因んでジャスミン革命と名付けられたが、革命の火は瞬く間にエジプト、リビア、スーダンなど北アフリカ諸国に燃え広がり、さらにシリア、ヨルダンはおろかGCCの王制国家バハレーンにも及んだ。エジプトの首都カイロのタハリール(革命)広場ではツィッターの呼びかけに応じて集まった大規模なデモ隊と国軍が衝突し多数の死傷者が出た。デモを鎮めようとしたムバラク大統領の演説がむしろ火に油を注ぐ結果となり、ついにムバラク大統領は辞任した(2011年2月)。
 
 西欧のメディアは一連の現象を「アラブの春」と名付けた。アラブの春は独裁政権の圧政下で鳴りを潜めていた中東各国の反政府活動家たちを奮い立たせ、イエメンでもサーレハ大統領が激しい反政府デモに晒され、最後には身内の部族や側近にも見放されて退陣に追い込まれた。反政府デモの指導者であった女性活動家がその年のノーベル平和賞を受賞したほどの高まり方であった。
 
(続く)
 
本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
 荒葉一也
 E-mail; areha_kazuya@jcom.home.ne.jp
 携帯; 090-9157-3642
 
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