1860年から開発の始まったウラジオストク、長い歴史ではないものの、クラシックできれいな街並みが残っているのはうれしい驚きだった。
パステルカラーの建物が多いので明るく
しゃれたアールデコ風の建物も見える。
20世紀初頭、町が赤軍に落ちるまでは日本人もかなり住んでいたそうで、ゆかりの建物もあちらこちらに残っている。
現在アルセー二エフ博物館になっているのは旧横浜正金銀行。
ギリシャ風の柱が並ぶのは旧日本国総領事館、そのお向かいのドーム屋根は旧朝鮮銀行。
繁華街の真ん中にあって大きな時計が目立つリノベーションされた建物には「浦塩日報」の編集部があり
クローバーハウスのお向かいに建つかわいい建物には堀江商店という貿易商が入っていたとか。
木造の住宅などは壊されつつあるミリオンカと呼ばれる地区で、きれいに残されている建物があると思ったらこれは旧日本人小学校。
1922年には生徒が256人もいたのだそうだ。
クラシックな建物とともに、街を歩いていて目に付くのは落書きっぽい壁画。
スタイルはバラバラ、ペナンの壁画ほどうまくもないけれど ちょっとしゃれたこんなのもある。
これは海の近くでいつもお客さんがいっぱいのグルジア料理店の店先。
ビルが大きくて単色で塗っているからでしょうか、スッキリしてますね。
実は前々回の記事に上海からコメント入れたんですけども反映されませんでした。
ブログは読めるんですよ、コメントも書ける。ところが最後のところでアップされなかったようです。
まあ、中国からのアクセスはリスクが高いのでgooの賢明な判断でしょうかね。
おもしろ~い。初めて知りました。
建物は美しいものが多いですね。
広大なロシアでも海へと開けたほぼ唯一の
街ですから やはりそれを誇りとする気配が
感じられました。
パステルカラーも熱帯ではより鮮やかですよね。
北の国でカラフルなのはどんよりした冬を少しでも明るくするためなのかな、なんて思いました。
中国からのアクセスはブログによってはまったくできないところもありますよね。
せっかくコメントいただいたのに反映されないとは、残念でした。
霧のまち様、
浦塩と表記されるといかにも戦前という感じがしますね。
長く外国人立ち入り禁止の軍港だったのでもっと武骨な街を想像していたのですが、いい意味で裏切られました。
同じような建物も西欧と東欧(ロシアは東欧とは言わないかもしれないけど)とはやっぱりどこか違いますね。
意味不明の汚い落書きはうんざりだけど、こういう落書きだったら大歓迎ですよね。
ウラジオがこれからどんな風に変わっていくのか楽しみ。
10年後に訪れたら『○○公司』だらけになってたりして・・・
情報もあまりない時代に海外に仕事に行くってどんなだったのだろう、とちょっとロマンを感じたりもします。
落書きも最近はバンクシーなど「芸術」ですからね。
あちらこちらの町で盛んになっているようですが、それで例の汚い文字が消えてくれれば一石二鳥ですね。
どんどん変わりそうなウラジオ、定点観測したら面白そうです。