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映画「バベル」その2

2007年04月09日 | 映画
(C)2006 by Babel Productions, Inc. All Rights Reserved.

バベル

「遠い昔、言葉は一つだった。神に近づこうと人間たちは天まで届く塔を建てようとした。神は怒り、言われた。 “言葉を乱し、世界をバラバラにしよう”。やがてその街は、バベルと呼ばれた」。(旧約聖書 創世記11章)

モロッコで放たれた一発の銃弾から始まるこの物語は、アメリカ、メキシコ、そして日本という3大陸4言語の国境を超え、ブラッド・ピット役所広司といったキャストたちの演じるそれぞれのストーリーを、最終的にはひとつの物語へと導いていく。

別々に見えた話が最後にひとつになるという同じ手法でショーン・ペンベネチオ・デル・トロ出演の「21g」を撮り、高い評価を得たイニャリトゥ監督は、「この映画の原動力となったのは深い思いやり、哀れみといった現代の人間が忘れがちな感情です。現代人はすぐ黒と白をつけたがるが、本当はその中間の繊細な部分、思いやりや哀れみといったものが必要なのだと思います。登場人物たちはみな善人でも悪人でもない。この映画で描かれる事件や悲劇については悪意を持ってしたことではなく、自分の無知や純粋さから起こしてしまったことなのです」。と、記者会見で語った。

イニャリトゥ監督は「アモーレス・ペロス」で東京国際映画祭の賞を受賞したこともあり、日本に縁が深い。今回、舞台のひとつに日本を選んでいるが、中でも大注目を浴びた菊池凛子の演じる聾唖の少女のヒントは、箱根で見た光景なのだという。ひとつは、障害のある娘を介護する老人から感じた孤独感。ひとつは聾唖の少年や少女たちが一生懸命自分を表現しようとしている姿なのだそうだ。

映画の中で菊池凛子の演じる「チエコ」という少女は、そのヒントよりもさらに複雑な感情表現や状況設定が必要な役で、アカデミーノミネートをされたというのもうなずける。東京中を見わたせるような高層住宅に住み、友人と遊び歩き、物質的には恵まれながらも、聾唖や家庭環境のせいで心が死にそうなくらい寂しいがために、驚くような行動で他人の愛を得ようとするチエコ。そのゆがみや悲しみが際立って表現されていく。
電車の中で、彼女の一糸まとわぬ姿を俗っぽく見出しにした雑誌の吊り広告を見かけたが、きちんと映画を観れば、彼女の演じた「受け入れてもらえない者の心の痛み、孤独」の方がはるかに鮮烈に感じるに違いないと思う。

そして、実際の聾唖者を役に据えようとした監督の考えを変えさせた菊池の演技と、自分以外の女優が受かってしまうかもしれない9ヶ月間の待機中、この役のために手話を勉強し続けていたという熱意がなければ、数々の悲劇の中でやっと一握りの希望を感じさせてくれる役所広司とのラストシーンは生まれてこなかったように思うのだ。
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「バベル」公式サイト=http://babel.gyao.jp<全国東宝洋画系で4月28日よりロードショー >PG=12

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