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気が向いたら書く

010-038の弦

2019-09-25 17:15:50 | ギター
ストラトキャスターを弾いていると、時々「1弦の音が弱いかな?」と思うことがあります。

いつもではないので、弾き方とか、アンプのセッティングにもよるのかも知れませんが、いずれにしても高音弦と低音弦のバランスがあまり良くない気はしています。現在は009-042のセットを使っていて、弾きやすいし特に不満は無いのですが。

伝統的なフェンダーの指板だと、弦高をそれなりに上げないとハイフレットのチョーキングで音詰まりしてしまう訳ですが、高めの弦高と細いゲージが原因なのかな?などと思ってます。

1弦が弱いので、010-046に変えようかと思うこともあるのですが、ボトム側も太くしたらバランスは変わらないわけで、あまり意味が無いような気がします。

そこで気になっていたのが、ジミヘンが使っていたという010-038というゲージ。FenderのRock'n'Rollとかいう名称で70年代くらいまではポピュラーだったようです。ロリー・ギャラガーも使用していました。

現在、その弦そのものは売られていないのですが、同じ数値の弦をFender、ghs、SITなどで販売しています。今回はサウンドハウスで取り扱っていたSITを買ってみました。



このセットは1弦から

010-013-015-026-032-038

となっており、一般的な09-42セット 

009-011-016-024-032-042

10-46セット 

010-013-017-026-036-046

と比べると、6弦と3弦の細さが際立っています。
実際に弾いてみると、高音弦の音量バランスは良くなった気がします。
ただ、現在のナットだと6弦がやや安定感に欠ける感じも。溝に遊びがあるのだと思うんですけどね。
SITゆえ、なのかはよく分かりませんが、弦の張りが安定してる感じはありますね。弦があまり伸びないような。

まあ、しばらく使ってみてリピートするか判断します。

萩原朔太郎 / "ぎたる弾くひと"

2019-09-05 20:07:08 | 日記

ぎたる彈くひと
萩原朔太郎


ぎたる彈く、
ぎたる彈く、
ひとりしおもへば、
たそがれは音なくあゆみ、
石造の都會、
またその上を走る汽車、電車のたぐひ、
それら音なくして過ぎゆくごとし、
わが愛のごときも永遠の歩行をやめず、
ゆくもかへるも、
やさしくなみだにうるみ、
ひとびとの瞳は街路にとぢらる。
ああ いのちの孤獨、
われより出でて徘徊し、
歩道に種を蒔きてゆく、
種を蒔くひと、
みづを撒くひと、
光るしやつぽのひと、そのこども、
しぬびあるきのたそがれに、
眼もおよばぬ東京の、
いはんかたなきはるけさおぼえ、
ぎたる彈く、
ぎたる彈く



萩原朔太郎は「月に吠える」すら読んでいないし、もともと詩そのものに親しんできたわけでもありません。
どっちかというと、小説が好きで。

でも最近、ちょっと現代詩(というの?)に興味がわいています。

先日、たまたま名前を知った、詩人の長谷川龍生氏を検索したら、その数日前にお亡くなりになっていまして(ご冥福をお祈りいたします)。
「これはシンクロニシティってやつか!」と勝手に盛り上がったんですが、その割に詩集とかは読んでないんですけど。ほとんど絶版になってるし、そもそも高いんですよね。図書館にもないし。

そんな時は青空文庫です。
著者の没後50年以上経過し、著作権の消滅した作品のみになりますが、その中で偶然見つけたのがこの「ぎたる弾くひと」です。

都市生活者の孤独と、そのすべての人に向けたやさしい目線。
たそがれどきに、窓際でつま弾かれるのは、たぶんナイロン弦なのでしょう。

今よりすこし、ゆるやかに時間が流れていたのかも知れません。
でも、人のこころの動きはそれほど変わらないのでしょう。


この詩は、朔太郎の生前には発表されておらず、おそらく習作の扱いだったらしいのですが、なんか好きです。
それにしても、光る帽子(しゃっぽ)って、なんだろう?

ぎたる彈く、
ぎたる彈く。