久しぶりにログインしました。
書きたいと思った衝動は大事にしよう。
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映画「ルックバック」を観ました。
休日の昼間に、テレビで「今、話題の作品!」的な紹介をされていて、人気のお笑い芸人の方が熱くレビューしていたのに興味を持ったのです。
原作は読み切りマンガらしいですが、読んだことはありません。
で、観た感想としては、映像表現などは本当に素晴らしいと思います。画の美しさが凄い。時には水墨画のような表現もあったり。
藤野の部屋に「アマデウス」のDVDパッケージがあったり、「バタフライ・エフェクト」のポスターが貼ってあったりという、作品の内容に関わる小ネタも面白かったです。
でも、正直そこまで感動はしなかったし、色々モヤる部分があるけど、クリエイターの方、何かに対して自分をすり減らして打ち込んで、挫折を経験したことがある方には刺さるだろうなと。
世間一般の楽しいことや、人生をうまく泳ぐのに役立つことを投げうって、自分のやりたい道をひたすら走る行為の尊さが表現されているから。
小学校6年生の藤野に、クラスメイトが「中学校でも絵なんか描いてたらオタクと思われるよ?」的なことを言うシーンがあります。これは小学生らしい、思慮の浅い表現ですが、実際に「いい歳して、いつまで夢を追いかけてんの?」というようなことを言われたことがある方にはかなり刺さってくると思います。
その後、京本には画力で勝てない、と分かってしまった藤野はマンガを描くのを「やーめた」と諦めるのですが、このシーンもいい。心が折れる瞬間が捉えられています。
しかしその後、藤野が小学校の卒業証書を届けた際に、京本から「藤野先生!」と呼ばれ、背中にサインをします。超えられない壁と思っていた相手が、自分をリスペクトしていたのだから、嬉しくないはずがない。ふたりはその後、いわゆる普通の世間に目をくれず、一緒に創作活動を続けていき、漫画賞に準入選して報われるわけです。
でもその一方で、ぼくが最もモヤモヤしたのが、藤野と京本の関係性です。というか、藤野にとって京本とは何なのか。京本は、漫画家・藤野にとって最大の理解者であったと思います。でも、これは友情なのか。
京本は連載が決まるまで、自分が美大に行きたいという希望を藤野には伝えられませんでした。そして、伝えられた藤野は「そんなの無理だ」「自分についてきた方がいい」と全否定してしまいます。「頑張って」とも「一緒にやって欲しい」とも言えない。この関係性。
基本的に藤野は常に京本を「引っぱる」存在です。街で遊ぶシーンなどでも何度も表現されますし、言い換えれば、藤野は京本に対して絵の才能は認めているものの、人間としては「上から」見ているのだと思います。
その後、藤野は京本と離れてマンガ家として成功していきますが、アシスタントに恵まれず、最終的にはたった一人で原稿に向かっています。恵まれないというより、藤野が選り好みをしているとおぼしき描写があり、ここでも彼女のエゴの強さがかいま見えます。
そして、事件後に藤野が京本の部屋を訪れるシーン。
藤野はドアを開けることが出来ず、スケッチブックが山積みにされた廊下で、手に取るのは自分のマンガの掲載誌です。そして、自分が描いたマンガをパラパラめくると、なぜか過去に自分が描いた4コママンガが出てきて、それを見て「自分のせいだ」と絶望します。
、、、おこがましくないですか?
他人の人生を、自分が左右したなんて考え方。
ここで正直、「何様だよ」と思ってしまいました。
その後、なぜか足元に落ちていた、京本が描いたとおぼしき4コママンガを見て、部屋に入ります。京本からの「背中を見て(Look Back)」のメッセージを受け取った藤野が見るのは、そこでも(京本は関わっていない)自分のマンガの単行本です。
普通なら、京本が何を描いたのか、何を残したのか、彼女自身の痕跡を見るのではないかと思います。そこらじゅうに、山のようにスケッチブックが転がっているのですから。でも、藤野はそれらを一切見ない。逆に、自分の創作物から京本の痕跡を探しているように見える。
ここもモヤったポイントですかね。
友だちを失ったのではないのか?
一番の理解者(ファン)を失ったのか?
たったひとりの、本当の友だちじゃなかったのか?
どう生きたか、知りたくなかったのか?
なんかすべてが自分本位な目線に感じるんですよね。
「藤」野と京「本」という名前から、原作者藤本タツキの分身であり、右利きの藤野、左利きの京本は鏡合わせの存在なのかなと思います。だから、マンガ家にならず、美大に進んだ京本の姿も「もしかしたら、そうだったかもしれない自分」なのかもしれません。(経歴知らないけど)
表裏一体だから、藤野が京本の内面を知る必要はないのかな。
その後、輝かしい京本との過去を振り返った(Look Back)藤野が、京本の4コママンガをデスクの前の窓に貼り付け、再び創作に没頭していくシーンで映画は終わります。
それでも、全てを糧にして創作に身を捧げていく。
これは「クリエイターかくあるべし」って姿なのかな。
納得はできます。
できるけど、藤野には全面的に共感はできないかな。
そんな感じです。