今夜、紹介者と最後の面談を行った。
本人にしてみれば、いきなり私の脱講願提出に驚き、納得が行かない様子であったが、私の有言実行さを理解して下さっていることもあってか、特に慰留されることも無かった。
今回、紹介者が私と面談を行うことになったのは、寺院側から私が脱講した理由について聞いてきて欲しいと依頼されたからである。
紹介者に対してだ。
もちろん私が辞めるに至った行動の理由は1つだけではない。
いくつかが複合して、それが爆発した形である。
ただ単に組織に対する不満だけというのであれば、何も信仰自体を辞める必要は無く、他支部への移籍を願い出れば良いだろう。
あ?なに?師弟相対?んなもん知るかい!
もちろん最大の理由は、他にやりたいことがあるからである。
組織に不満が無ければ、信仰活動と並行しながらそのやりたいことをやるという選択肢もあっただろう。
私のやりたいことというのは、現時点ではハッキリと答えることはできないが、もし功徳の内容が内容なら、それで叶ってしまうものなのである。
だが、何年もやっていて、それが叶うようなビジョンが見られなくなってしまった。
つまり、叶いそうに無いと思うようになった。
「その人の願いを叶えてしまうと、却って不幸を招く恐れがある。その為、他の福運向上を持って祈念成就に代えることがある」
というのは、願いが叶わなかった時の詭弁や誤魔化しに過ぎないと思う。
前にも書いたと思うが、本当に正しい仏法なら、願いを叶えた上でそこから発生する新たな苦難に立ち向かわせることで更なる罪障消滅を図るというのが正しいと思う。
何しろ、祈念したのは本人なのだから、それが叶った後でそこから新たなる苦難が発生したとしても、それは本人の自己責任だからである。
ところで、どうして私が顕正会に足掛け10年いられたか?
それはその組織が楽しかったからである。
辞める直前くらいになってくると、だいぶマンネリ化してきた感はあったけれどね。
それでも紹介者がコケた際にも、すぐに班長や支隊長がフォローしてくれたりして、そこは頼もしかったな。
もちろん、私まで共倒れされたら困るからと言ってしまえばそれまでだが、でも実際そうなんだから、それを意識してでも助けてくれたことはありがたい。
元顕の武闘派で、顕正会を叩き潰せ!とか言ってる人は理解したくないだろうけど、実は人との繋がりの良い所は、むしろ法華講よりも上だと思うよ。
ま、私がたまたま所属していた組織だけが特殊だったのかもしれないけど。
その辺は逆に運が良かったのだろう。
もし元顕を御受誡させた教化親さんがこれを見ているのなら、いくつかお願いしたい。
元顕は上長からの密な連絡に慣れている。
それが法華講に入ってから、いきなりパタッと連絡が無くなると非常に違和感を覚えるものだ。
毎日してくれとは言わないが、教化子本人が遠慮するまでは、同じように密な連絡をしてあげると良い。
もちろん、真夜中に組織メールを送れとか言ってるんじゃないよ?
私も上手い表現が言えなくて申し訳無いのだが、その辺は桜梅桃李さんなら分かってくれると思う。
それと、役職に就いている方にお願いしたいのは、もう少し組織を楽しいものにして頂きたい。
誓願は月毎だろう?
もちろん毎月達成している支部もあれば、そうでない支部もあるだろう。
達成した時は打ち上げでもやって、パーッと楽しくやるくらいが良いと思う。
逆に達成できなかった時は、次こそ頑張ろうという意味で英気を養う為の……みたいな何かね。
一応ちゃんとお楽しみイベントを行っている支部組織もあるようだ。
多分、法道院さんも、地区単位では楽しくやろう的な所のある地区はあるかもしれない。
だが私が所属した所は、そういうのは無かったな。
「バカ者!法華講組織というのは、楽しむ為にあるのではない!」
というわけではないようだが、でもアメブロ系武闘派の人達は言いそうだよな。
結局のところ、法華講組織が私には合わなかったということだ。
非常に残念な話であるが、もう辞めちゃったんだからしょうがない。
とにかく、境界が変わるまで待っていたんじゃ、いつまで経ってもやりたいことが始められない。
私も35歳。
いい加減に、決断しないと歳だけを取って行ってしまう。
境界を変える為に毎日寺院参詣するくらいなら、その余力をやりたいことに向けたいという判断に至ったわけだ。
本山参詣もそう。
足しげく通わせて頂いたつもりだったが、どうにも変わることができなかった。
本山参詣の余力も、これから始めたいことに使いたいというのもあった。
まとまりが無くて申し訳無いが、んっ?さんの仰る通り、巡り巡ってまた信心を再開しなければならないような時があったら、その時はその時でよろしいかと思う。
私が新しく始めたい活動の最中に、法華講員と出会って折伏を受ける機会があるかもしれないし。
さすがに顕正会員と出会ったら……ま、その時は今までの自分の経験を生かして何とかするさ。
ああ、そうそう。
私のやりたいことというのは、顕正会で信心していたのでは叶うことはまず無いだろう。
何しろ10年いて、そのビジョンが掴めなかったのである。
法華講では……まあ、数年であるが、やはりビジョンは掴めなかった。
恐らくこの中で、創価学会の方が成功率は高いのだろう。
だが私は学会畑を歩いたことは無いので、行ってみなければ分からない。
また、行ったところで結局、法華講や顕正会と何ら変わりは無かったというオチになるのであれば、結局無駄足だ。
とにかく、しばらく無宗教で頑張るさ。
最後に……私の為に祈念して下さった方々においては、こういう形で裏切る結果となってしまい、真に申し訳ありません。
ですが、私は自分の人生を自分で決めたかったのです。
日蓮正宗での信心において、それができなかったのは非常に残念で悩ましい限りでありますが、どうかお許しください。
必ず、成功という形でもって、お応えしたいと思います。
本人にしてみれば、いきなり私の脱講願提出に驚き、納得が行かない様子であったが、私の有言実行さを理解して下さっていることもあってか、特に慰留されることも無かった。
今回、紹介者が私と面談を行うことになったのは、寺院側から私が脱講した理由について聞いてきて欲しいと依頼されたからである。
紹介者に対してだ。
もちろん私が辞めるに至った行動の理由は1つだけではない。
いくつかが複合して、それが爆発した形である。
ただ単に組織に対する不満だけというのであれば、何も信仰自体を辞める必要は無く、他支部への移籍を願い出れば良いだろう。
あ?なに?師弟相対?んなもん知るかい!
もちろん最大の理由は、他にやりたいことがあるからである。
組織に不満が無ければ、信仰活動と並行しながらそのやりたいことをやるという選択肢もあっただろう。
私のやりたいことというのは、現時点ではハッキリと答えることはできないが、もし功徳の内容が内容なら、それで叶ってしまうものなのである。
だが、何年もやっていて、それが叶うようなビジョンが見られなくなってしまった。
つまり、叶いそうに無いと思うようになった。
「その人の願いを叶えてしまうと、却って不幸を招く恐れがある。その為、他の福運向上を持って祈念成就に代えることがある」
というのは、願いが叶わなかった時の詭弁や誤魔化しに過ぎないと思う。
前にも書いたと思うが、本当に正しい仏法なら、願いを叶えた上でそこから発生する新たな苦難に立ち向かわせることで更なる罪障消滅を図るというのが正しいと思う。
何しろ、祈念したのは本人なのだから、それが叶った後でそこから新たなる苦難が発生したとしても、それは本人の自己責任だからである。
ところで、どうして私が顕正会に足掛け10年いられたか?
それはその組織が楽しかったからである。
辞める直前くらいになってくると、だいぶマンネリ化してきた感はあったけれどね。
それでも紹介者がコケた際にも、すぐに班長や支隊長がフォローしてくれたりして、そこは頼もしかったな。
もちろん、私まで共倒れされたら困るからと言ってしまえばそれまでだが、でも実際そうなんだから、それを意識してでも助けてくれたことはありがたい。
元顕の武闘派で、顕正会を叩き潰せ!とか言ってる人は理解したくないだろうけど、実は人との繋がりの良い所は、むしろ法華講よりも上だと思うよ。
ま、私がたまたま所属していた組織だけが特殊だったのかもしれないけど。
その辺は逆に運が良かったのだろう。
もし元顕を御受誡させた教化親さんがこれを見ているのなら、いくつかお願いしたい。
元顕は上長からの密な連絡に慣れている。
それが法華講に入ってから、いきなりパタッと連絡が無くなると非常に違和感を覚えるものだ。
毎日してくれとは言わないが、教化子本人が遠慮するまでは、同じように密な連絡をしてあげると良い。
もちろん、真夜中に組織メールを送れとか言ってるんじゃないよ?
私も上手い表現が言えなくて申し訳無いのだが、その辺は桜梅桃李さんなら分かってくれると思う。
それと、役職に就いている方にお願いしたいのは、もう少し組織を楽しいものにして頂きたい。
誓願は月毎だろう?
もちろん毎月達成している支部もあれば、そうでない支部もあるだろう。
達成した時は打ち上げでもやって、パーッと楽しくやるくらいが良いと思う。
逆に達成できなかった時は、次こそ頑張ろうという意味で英気を養う為の……みたいな何かね。
一応ちゃんとお楽しみイベントを行っている支部組織もあるようだ。
多分、法道院さんも、地区単位では楽しくやろう的な所のある地区はあるかもしれない。
だが私が所属した所は、そういうのは無かったな。
「バカ者!法華講組織というのは、楽しむ為にあるのではない!」
というわけではないようだが、でもアメブロ系武闘派の人達は言いそうだよな。
結局のところ、法華講組織が私には合わなかったということだ。
非常に残念な話であるが、もう辞めちゃったんだからしょうがない。
とにかく、境界が変わるまで待っていたんじゃ、いつまで経ってもやりたいことが始められない。
私も35歳。
いい加減に、決断しないと歳だけを取って行ってしまう。
境界を変える為に毎日寺院参詣するくらいなら、その余力をやりたいことに向けたいという判断に至ったわけだ。
本山参詣もそう。
足しげく通わせて頂いたつもりだったが、どうにも変わることができなかった。
本山参詣の余力も、これから始めたいことに使いたいというのもあった。
まとまりが無くて申し訳無いが、んっ?さんの仰る通り、巡り巡ってまた信心を再開しなければならないような時があったら、その時はその時でよろしいかと思う。
私が新しく始めたい活動の最中に、法華講員と出会って折伏を受ける機会があるかもしれないし。
さすがに顕正会員と出会ったら……ま、その時は今までの自分の経験を生かして何とかするさ。
ああ、そうそう。
私のやりたいことというのは、顕正会で信心していたのでは叶うことはまず無いだろう。
何しろ10年いて、そのビジョンが掴めなかったのである。
法華講では……まあ、数年であるが、やはりビジョンは掴めなかった。
恐らくこの中で、創価学会の方が成功率は高いのだろう。
だが私は学会畑を歩いたことは無いので、行ってみなければ分からない。
また、行ったところで結局、法華講や顕正会と何ら変わりは無かったというオチになるのであれば、結局無駄足だ。
とにかく、しばらく無宗教で頑張るさ。
最後に……私の為に祈念して下さった方々においては、こういう形で裏切る結果となってしまい、真に申し訳ありません。
ですが、私は自分の人生を自分で決めたかったのです。
日蓮正宗での信心において、それができなかったのは非常に残念で悩ましい限りでありますが、どうかお許しください。
必ず、成功という形でもって、お応えしたいと思います。
いいえ、仕事は辞めておりません。
新たな活動を始めるに当たり、特段今の仕事を辞める必要は無いので。
>その様な弱った時点で現れる?人物(勧誘?)こそ?まさに「魔?」でしょう!
そうですね。何を今さらコンチクショー!と思いますよ。
それでまた戻ったら戻ったで、じゃ自分で頑張ってねですよ。
もうお決まりのパターンです。
>くれぐれも、何とかサーフィン?に嵌らない様に御注意ください。
ええ、無限ループにはならないよう気をつけますよ。
私の新たな人生活動において、出会う恐れもまた無きにしもあらずでしょうがね。
今後の注意点は、元の信仰への揺り動かし(リバウンド?)です。何か病気など不具合があると「あ、信心辞めたから罰が出たのか?」など自分で考えてしまう事です。
一般人なら精々「運が悪かったのだ」で済みますが、一宗派の信仰が長いとそのリバウンド?が起こりかねません。
元所属団体の信者達から「きみが信心辞めたから罰が出たのだよ、もうわかったろう?心からお詫び、謝罪して信心に戻ろう!」と御丁寧な?大きなお世話?の励まし?勧誘?されないように注意する事です。
その様な弱った時点で現れる?人物(勧誘?)こそ?まさに「魔?」でしょう!
オウムには元信者さん達と弁護士さんがケアする「カナリアの会」などありますが、正宗系もそう言う元信者ケア団体があるといいのですがね。
くれぐれも、何とかサーフィン?に嵌らない様に御注意ください。
清澄さんに責任はありませんよ。
全ては私自身が決めたことですから。
やりたいことを達成した時、また更に驚かれるかと思いますが、予め御了承願います。
もう投稿やコメを見るたび、胸がかきむしられる思いですよ(´;ω;`)
私も不良信徒なだけに、御祈念が足りなかったのか、力を発揮することができなかった。ごめんね。
この記事の「誓願達成時のお楽しみ」は賛成。
ウチの親父が一番言ってるから。
「苦しんで今月はみんなよく頑張ったね、来月も頑張ろう✊」ってやったら、ひどい目に遭おうが、悪口を言われようが、乗り越えられる。
同じ釜の飯を食う、じゃないけど連帯感も生まれるってもんで。
それと、このコメをご覧になる頃は、いおなずんさんも既知の事でしょうが、創価大学の彼はソフトバンクでした。
しっつれいしました~
愛国 清澄 拝
何だか、色々な球団から指名が来ているみたいですね。
……すいませんが、あまり野球には興味が無いもので。
創価大学の田中君はどこの球団が獲得したのかな。
池袋駅や新宿駅と比べて趣と落ち着きがあって良い。
仙台駅も良かったのだが、改装後は何だか大宮駅みたいな駅ナカがごっちゃにあって、何だか落ち着きが無くなったように思える。
特に、上野駅の低いホームの雰囲気がいいね。
心のこもったコメント、ありがとうございます。
そこまで仰ってくれたのは、んっ?さんだけですよ。
別に、んっ?さんのせいではありません。
全ては私自身で決めたことです。
自立していなかったからこそ、もう少し法華講組織のサポートが欲しかったかなと思いますが、今となってはどうでもいいことですね。
それが百三さんにとって重荷なんではと感じたから。
以前、法華講の方と議論したおり
戒壇様を拝する功徳は御型木様とは違う旨云われた。また、寺院の板曼陀羅がその次で
常住様がその次、御型木様は仮本尊だと。
私は「ふざけた事を云うものではない」
「では、戒壇様を100とすると各々幾つか?」
「分身散体だというのであれば
戒壇様が失われた時、全ての御本尊様の
仏力法力も失くなるのかと問うと、沈黙してしまいました。
それはそれとして、厳しいことを云うようですが
百三さんは自立してないように見えます。
私が「最期は御本尊様と自分です」と書いたのは
頭脳明晰なる百三さんなれば
理解出来ると思ったからです。
誰も訪ねて来なくても、御本尊様が大聖人様が
傍におられると思えば不満等無かったはず。
私の思いが足りなかったんでしょう。
申し訳ありません。