【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

“真摯な時代” の青年たち

2009-06-23 16:16:18 | 心の宝石箱


   梅雨の真っ只中と言いますのに、
  今日は何と “朝から太陽” です。

   庭の木々や草花は、しっとりと
  濡れていて、太陽の光を受けて
  キラキラと輝いています。

   昨、夜半には、それこそ
  バケツの底をひっくり返した
  ような雨が降っていました。

   流石そんな雨は、辛いですね。
  繊細な草花などは、
  お辞儀してしまいましたもの。

   でも、こんな風に雨が上がると、途端に瑞々しく活き々して来たような気がします。
  (写真は気持ちの良い青空です)

   「夕べは、まるでこの世界が荒野のような気がしましたわ。
  今朝は、こんなに日が照っていて本当に嬉しいわ。
  でも雨降りの朝も大好きなの。朝はどんな朝でも良かない事? 
  その日に、どんな事が起こるか分からないんですものね。
  想像の余地 があるからいいわ。
  でも、今日雨降りでなくて嬉しいわ。」

                                           【「赤毛のアン」 第4章】     
 
     さて、途中色々と道草してしまいましたが、
    やっと司馬遼太郎著 「坂の上の雲」 1巻を読了しました。

     斜め読み得意の私ですが、音読しましたので、
    一字一句、読み残しはありません。
    今の所、しっかり頭に入っています。

     そう言えば、ゲーテ に、こんな言葉があります。
    この音読によって少しでも忘れなければいいのですが・・。


 若い時は、興味が 散漫 なため忘れっぽく、
年を取ると興味の 欠乏 のため忘れっぽい。

~「温順なクセーニエン」 より第5集から
  
 ・・・鑑賞する(俳句)者は頭に地図でも描かなければならず、
描いたところでそれは頭で操作されたものであり、絵画的ではない。
 俳句は詠み上げられた時に決定的に情景が出て来ねばならず、
つまり絵画的でなければならず、更に言うならば、
「写生」でなければならない。
  ~「坂の上の雲」 第1巻
 


     1巻では、(先日も少し触れましたが)正岡子規が登場します。
    そして幼友達で、良きライバル、親友の秋山真之。日清戦争。

     小さな村社会でしかなかった日本が、初めて国家というものを意識し、
    列強の国々に抗し、世界に羽ばたこうとした時代です。
         
     極東の小さな小さな島国の日本が、ただ国を強くするという、
    一つの目標に向かって、真剣にぶつかって行きます。

     それは皆一様に、“志”を持ち、純粋で少年のようです。
    不思議な事に、ここでは暗さは微塵も感じられません。

     正岡子規にしましても、闘病(肺結核)しながらの執筆活動。
    それでも、人生を達観していて暗さはありません。

     前述の秋山真之、高浜虚子、夏目漱石等など・・
    多くの友人に囲まれ、精一杯生きています。

     この本を読んで感じる、ここまでの清々しさは一体何なのでしょう。
    印象に残った子規の言葉を記して置きます。 

     絵画的・・本当にそうだと思います。
    写真だって、心に残る写真は、まるで絵画のようですもの。