【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

紫陽花色の空

2008-06-30 17:41:54 | 香る庭の花綴り


   今日は、朝から太陽が・・。
  こんな風に起床時からの青空は、
  久し振りのような気がします。

   そんな朝の庭は、梅雨の期間中で
  あり、少々湿度が高くても雨上がりは
  アン や、その子供達のように・・・
  
   「空気が、ピカピカ
      光っているわ。」

 
  と、言いたくなりますね。
  実際今日は、とても空気が爽やかで、心地良い風が、レースのカーテンを揺らしています。
  その上、後述に近い次のような光景も、繰り広げられているのですから・・。

   “・・・まだ雨のしずくが大粒の真珠のように、
  金蓮花きんれんかの葉に乗っていた。空気は快く爽やかだった。
  熊蜂が小川を縁取って咲く白クローバーの上を
  ブンブン飛び回っていた。・・・”
             【「炉辺荘のアン」 第37章】

   そうそう、↑ の「金蓮花」 は、「ナスタチウム」 の事なんだそうですね。
  先日来から、「アカシヤ」 が 「ミモザ」、「エリカ」 が 「ヒース」・・と、別名があり、
  新しい発見でした。そう言えば、「金蓮花」、我家にもありました。

   今年の梅雨は有り難い事に、何日も何日も雨が降り続くという事が、ありません。
  丁度、いい時に雨が降り、上がる・・。

   “雨が降って・・・降って・・・降り抜いた・・・”
  「世界がもう一度、乾く事があるかしら?」
          
                                       【「炉辺荘のアン」 第29章】
  こんな風に、ならなかっただけでも、幸せですね。



   こちらの薔薇は、昨日の 「雨に謳う薔薇」 でもあり、あの冬の日・・
  毎日、毎日、花開く事を待ち侘びた薔薇です。思えば・・。
  花の色が分かる程度に、少しだけ綻んで、そのまま3ヶ月余り・・。

   とうとう、その花は日の目を見る事は、ありませんでしたが、
  今、こうして盛んに咲いてくれています。

   今だから言える事かも知れませんが、あの日があったからこそ、
  今のこの薔薇がある・・そんな気がします。

   昨日も記しましたが、私は蕾の薔薇も、大好きです。
  そしてこちらは、今まさに、その花を開かんとしている薔薇です。
  何か、もの言いたげで・・でも言えない・・。風情がありますね。

   この薔薇、いつもコメントを頂き、素敵な写真を撮られている、
  【KEN さん】 に、教わった通りに・・? やってみました。
  (背景をもっともっと白くしたいのですが) 
  
   私の腕とカメラでは、これが限界です。

雨に謳う薔薇

2008-06-29 17:21:25 | 四季のスケッチ


   雨の日曜日となりました。
  その雨も、ザ~ッと強く降ったかと
  思うと、音も立てない、
  静かな霧雨だったり・・。

   又時には、短い時間ながら、
  やんでみたり。
  
   そんな事を今日の空は飽きもせず、
  繰り返しています。
  (今は、やんでいます)

   そんな中、昨日は、
  蕾だった、 ピンクの薔薇が、
  一日で 花開きました。

   冒頭の写真の薔薇もそうですが、
  薔薇も雨が似合いますね。

   そして葉っぱが潤っているのか、
  真珠の涙のような・・丸い水滴を作り、
  それは、あたかも宝石のようです。

   葉っぱにも色々あり、全部が全部、
  こんな水滴を付ける訳では、
  ないのですね。
  
   薔薇の葉っぱの上ではその水滴は、
  まるで宝石のようにキラキラ光り、
  今にも、コロコロ転がらんとしている
  かのようにも見えますのに・・。

   他の葉っぱは、ただ濡れているだけ。
  姿、形が美しいばかりでなく、
  こんな宝石を元から授けられているなんて、
  薔薇の薔薇たる、所以(ゆえん) なのでしょうね。

   私は、蕾の薔薇が殊の外、好きなのですが・・薔薇って、
  花首の微妙な傾け方一つで、様々な表情を見せる事にも驚きを隠せません。

   ある時は、格調高い貴婦人に、又ある時は、いたいけな少女にも・・。
  今日の、今にも綻びそうな紅い薔薇は・・少女の方かも知れません。
  又、その日の気分によっても、いかようにもその見方は、変わるのかも知れませんね。

   又々、お隣からの頂き物です。
  (ご主人が山形の方)

   勿論、言わずと知れた、
  山形のさくらんぼうです。

   本当は、もっと頂いたのですが
  意地汚い私の事。

   既に味見? してしまいました。
  とっても甘くて美味。

   去年も頂いたのですが、
  これまで私が頂いていた、さくらんぼうは、
  何だったの・・? と、言わしめるほどの絶品です。

廻り道で見た夢

2008-06-28 17:01:08 | 路傍の花~道草


   朝、早い時間には晴れ間も出ていましたが、その後、真珠色の空から灰色の空へ・・。
  午後からは、ぽつぽつ雨も降って来ました。

   でも、ここ2、3日、思わぬ梅雨の中休みとなりました。
  昨日は、夕方になって庭の木をザクザク・・。
  切り始めると面白くて、辺りが暗くなるまでやっていました。
  
   こんな事になるなら、もう少し早く始めれば良かったと・・
  後悔しきりなのですが、私の悪い癖なのです。
  リンド夫人 の、こんな声が聞こえて来そうです。

   「木も子供のようなものですよ。
  ちょっと背を向けている間に、
  大きくなる事は恐ろしい位だものね。・・・」

                                         【「炉辺荘のアン」 第1章】

 


   さて今日は、買い物帰り、
  久し振りに廻り道して帰って来ました。

   ついこの間までは、春の野の花で、
  一杯だったような気がしますのに、
  ちょっと見ぬ間に、夏の草に取って
  代わっています。

   「草いきれ」 と言うのでしょうか。
  プンと、熱気の籠った草の香りも・・。

   それにしても、写真で見たアンの島、
  「プリンス・エドワード島」 の、一面に
  咲いた、たんぽぽの綿毛の光景が、
  目に焼き付いて離れません。
  たんぽぽも、クローバー の原っぱも、ハンパではありませんね。

   それならと・・。既に時期は、失しているので仕方ないのですが、
  たんぽぽ? と、その綿毛らしきものを? 撮って来ました。
  黄色や白の蝶も飛んでいましたが、そんなに都合良く、止まってはくれません。

   気分だけは・・アンの島? 目を瞑れば・・? いいえ、「想像の余地」
  いうものは、この程度でもいいのです。なんて・・・??

   おぼろ月夜で、クローバー の野から良い香りを乗せた風が、
  小径を吹きそよぎ、老淑女を迎えた。”

                                   【「アンの友達」 2.】

   アンの本を読んでいますと、こんな風に 「クローバー」 や、
  「羊歯」 の香りの事が、頻繁に出て来ます。
  その描写に、いつも微かな違和感を持っていたものです。

   それは、日本でも例外ではありません。
  卯の花 の匂う垣根にホトトギス早も来鳴きて・・」 ~「夏は来ぬ」

   日本の初夏の様子を歌った、小学校唱歌の第1節です。
  この歌が歌われた100年前までは、歌の通り、結構、香っていたようです。

   それが、やはりと言いますか・・。
  大気汚染が原因で草花の匂いの低下が、
  特に最近、著しいと言うのです。

   1800年代には、野生の草の香りは、1キロから2キロ先まで届いていましたのに、
  現在では、僅か200メートルに過ぎないとか。

   それに伴い、蜜蜂や蝶の採蜜行動半径も縮まり、
  昆虫による花粉伝搬の可能性すら減少しているそうです。

   その上、香水から食品に至るまで合成香料に囲まれ、
  生活している現代人の嗅覚は、衰える一方だとか。

   何ともやり切れませんが、我々の撒いた種。
  この辺で本気になって環境問題を考えないと、いけませんね。

ゆっくりでも、いいですね~♪

2008-06-27 17:17:43 | リラのお気楽ユメ日記


   起床時こそ、真珠色の空でしたが、
  時間の経過と共に青空が・・。

   それにしても、今日は静かな朝
  でした。鶯(ウグイス) も鳴かず、
  勿論、小鳥の囀(さえず) りも・・?

   いつものように庭に出て、
  例の薔薇に近寄りましたら・・。
  
   何と葉っぱの下に、蝶がいるでは
  ありませんか。それも、新しいお客様。

   びっくりして、慌てて。
  それでも、大急ぎでカメラを取りに戻り、もう一度・・。
  元の場所に、そっと羽根を休めていました。

   昼間の蝶は、バタバタと羽根を動かし、
  写真を撮るのも一苦労なのですが、
  まるで、眠っているかのよう。

   もしかしたら、葉っぱを屋根に、
  ここで夜明かし? ~なんて。

   静かだったのは、こういう事? と、
  ふと思ったりしたものです。

   あんまり動かないので、ちょっと心配しましたが、
  一回りしてもう一度見た時には、いませんでした。
  ほっと一安心。

   そうそう、今年に限って、著しく成長遅かった
  紫陽花、やっとここまで咲きました。

   ところで、数日前の新聞記事に、私が尊敬してやまない、
  スローライフの絵本作家の訃報記事が、小さく載っていました。
  92歳。彼女の名は、ターシャ・テューダ さん。

   離婚をし、絵本を描きながら4人の子供を育てた彼女。
  米バーモントに18世紀風の農家を建て、自然に囲まれた生活を始めたのは、
  56歳の時だったとか。

   大好きなガーデニングに情熱を傾け、日常生活のほとんどを手作りしながら、
  絵を描き続けた彼女。それは、『赤毛のアン』 をも彷彿し・・。

   彼女の言葉が奮っています。 
  “価値のある良い事は、みんな時間も手間も、
  かかるものなのですよ。”
    
  そしてこれは、アンの次の言葉にも似て、大いに共感させられたものです。

   「持って嬉しいものには何でも、多少の苦労は、
  付きものですわ。」
                     【「アンの青春」 第9章】

   折角ですので、他にも・・。アンとの共通点に驚かされます。
  「今が一番いい時よ。今が人生で一番幸せよ。」
  「楽しい事は、それを待つ喜びも嬉しいのよ。
  春は必ずやって来るのだから。」
 等など・・。
  ご冥福をお祈り致します。

心の目

2008-06-26 16:16:21 | 心の宝石箱


   今日は、晴れの天気になりました。
  ただ、昨日の映画の余韻に浸っている私・・。

   今日だけはどんな空でも、いいような・・?
  そして、思わず耳を澄ましている私がいます。

   小鳥の囀(さえず)り、風の囁(ささや)き・・。微かな葉ずれの音。
  音楽として聴こえて来ないかな・・~なんて。   単純ですね。
  自然界・・どこにだって音楽が存在しているという事は、共感出来ますから。

   心の目もそうですが、心の耳を持つという事も、大切なんでしょうね。
  そうすれば、庭にやって来る蝶や、花達ともお話出来ますもの。

   そうそう、蝶と言えば・・今日、黒地に青い蝶がやって来ました。
  それは、「オオムラサキ」? にも似て・・。でも、マサカ、ですね。

   それが、セージの青い花に止まった時は、“時間よ、止まれ” なんて、
  本気で思いました。こんな瞬間は、ありませんものね。でも、ダメ。

   ヒラヒラ、ヒラ~ッと、優雅に、どこかへ飛んで行ってしまいました。
  いつものアゲハ蝶は、やって来ましたが、あの蝶の二度目の来訪は、まだありません。


【クローバー畑】


【綿毛になったタンポポ & 麦の穂】


【若葉の頃 & 林檎の花】


   ところで昨日は、映画の帰りに、吉村和敏 PHOT BOX
  『プリンス・エドワード島 七つの物語』 の本を買って来ました。  

   この本の事は、新聞広告でも知りましたが、いつもコメントを寄せて下さる、
  アンが大好きな 【めぐみさん】 からも教えて頂きました。

   200ページ余りの素敵な写真は、まさに癒やしですね。
  「クローバー」 がこんなに色鮮やかなものとは、知りませんでしたし、
  「タンポポ」 の綿帽子も、見事です。

   それにしても・・これらの風景は、これまでに何度も見ている事や、
  空想で長い年月、頭の中に描かれていて、いつの間にか・・。
  行った事もないのに、もう既に馴染みの土地になってしまっています。面白いですね。

   最後に。未だに昨日の余韻、覚めやらぬ私の頭の中に鳴り響いている歌声です。
  早速、サウンドトラック版を買いに行かなきゃ・・。



    冬の道を行けば 夜空には星が瞬く
   階段に舞い降りた天使よ 僕の目の前に現れた
   満月の光の下 あの神秘的な夜
   あれから日々は 空しく過ぎて 
   僕はただ甘い夢を 追い求めるだけ
   今の暮らしをやめたら どうなるだろう?
   追い風は吹くか? 君を忘れられるのか? 今度こそ・・・

   僕は長い間 大事な事から逃げていた
   でも地に足を着けて 立つ時が来た
   手を伸ばしたり 諦めたり
   目の前の事に 捉われ過ぎたり
   寒さに震える余り 温もりが欲しくなる
   目覚めて最初に 思うのは君の事
   君の別れの言葉が 頭を離れない
   失った愛を 今も追いかけてる
   もし君が僕を 見つけなくても
   僕は君を見つけてた 君を見つけてたよ
   君を 僕は君を見つけてたよ

映画 「奇跡のシンフォニー」~音楽の魔法

2008-06-25 18:45:39 | 映画の香り


   今日も鶯の声で目覚めました。
  と言うより、目が覚めましたら・・。

   鶯が鳴いていた・・という方が、
  正解かも知れません。

   こんな日は、カーテンを開ける手にも
  自(おの)ずから力が入ります。

   雨は降っていません。
  それどころか太陽も・・。

   となりますと、兼ねてからの予定通り、映画を観に行く事に・・。
  今日は、地元の映画館で。

   という訳で、足取りも軽く? 話題の映画、『奇跡のシンフォニー』 を観て来ました。
  音楽映画と言うと、どうしても観に行ってしまう私ですが、
  (期待すると、がっかりが多い) 今までに観た中では、一番良かったです。

   私の中では、今年最高の映画と言っても、過言ではありません。
  しっかり感動して帰って来ました。

   “ほら、聞こえる? 音楽だ。僕には聞こえる。
  風の中に、宙の中に、光の中に。音楽は側にある。
  心を開けば、聞こえて来る。心の耳を澄ませば・・・”


   のっけから珠玉の言葉に、心を奪われました。
  11年と16日・・施設で育った孤独な少年は、両親に会える事を心から信じています。
  それは音の先に、“愛が聞こえるから”・・だそうです。

   この事からも、不幸の影はどこにも見えません。 
  尤も、少し変わった奴・・なんて、いじめはありますが・・。
  でも、彼はそんな事には負けません。魂の自由がありますから。

   少年が施設に入る事になったのも、何かの理由があったに違いない・・と、
  思わせる何かが、あります。

   事実、少年自身も、そのように言っています。
  「パパとママは、僕を捨てたんじゃない。理由があったんだ。」 と。
  そう感じさせる何かが・・いえ、直感的なものがあるのでしょうね。

   “宇宙には、いろんな音色がある。
  自然が奏でる音、全宇宙の法則が支配する音。
  それらの複雑なハーモニー。
  全身で受け止めなきゃ聴き取れない。

   音は心の耳で感じるものだ。

  3度のメシより音楽を愛せ。人生よりも、自分よりも。
  弾け。両親のために。”


  その少年の両親は、ロックミュージシャンとチェリスト。
  お互いに音に導かれ、満月の夜に出会うべくして出会い・・。
  それは、運命の一夜。運命の人。
 
   研ぎ澄まされた、天才的な感覚を持って生まれた少年の音楽は、
  どうやら譜面上の世界には留まらないようです。

   “ただ聞こえる。
  朝起きた時や、道を歩いてる時にも。
  誰かが僕を呼んでる。楽譜に書くのは返事です。
  僕に音楽をくれた人に。”

 
   人は皆、奇跡の出会いによって、今ここにいる・・。
  そんな信じる事の素晴らしさを、この映画は教えてくれます。

   クラシック音楽だけでなく、ゴスペル、ロックと、
  美しい音楽が全編を彩っていた事も付け加えて置きます。

   そして、脇役ですが、ロビン・ウィリアムズが、とてもいい味を出していました。
  勿論、主役の少年役のフレディ・ハイモアの可愛らしさと澄んだ瞳は印象的でした。

もう一つの花言葉

2008-06-24 16:34:43 | 音聴箱


   こちらは、久し振りに晴れの天気になりました。
  起床時から晴れているなんて、何日振りの事でしょう。
  おまけに梅雨独特の湿っぽさもなく、爽やかです。

   「毎日の事で一番いい事は、
  思いがけなさにあるのだと、あたしは思うわ。
   金色に晴れた朝、こんな風に目を覚まして、
  この日が、どんなびっくりするような小包を渡して
  くれるのかしらと思うと愉しいわ。
   あたしは、いつも起きる前に10分ばかり空想にふけって、
  夜になるまでに起こるかも知れない素晴らしい事を
  山のように想像するのよ。」
             【「アンの娘リラ」 第3章】

   勿論、この思いがけなさは、いい事ばかりでなく、悪い事も起きます。
  でも、いい事を想像する事の方が、何倍も幸せですし、
  想像の段階から悪い事なんて・・考えたくありませんものね。

   (アンではありませんが) “良い天気の日には? 
  良い人間になるのが、たやすい”
気が、します。

   さて昨日に引き続いて、
  「さんざしの花」

   北原白秋作詞の 「この道」 に、
  さんざしが出て来る事は、
  昨日も記しました。

   「この道」 と言えば、
  日本歌曲の中でも名曲中の名曲。

   誰でも一度は耳にし、
  歌った事も、おありかと思います。

   又々、楽譜の出ている本を探しました。
  その本とは、『日本名歌110曲集』。懐かしい本。懐かしい楽譜・・。
  そして、そこには思いがけない懐かしい書き込みも・・。

   アカシヤ=ミモザと、書いてあります。
  なぐり書きですが、そんな事も、すっかり忘れていました。
  そう言えば・・。この歌を歌っていた頃の事も、何となく思い出したものです。

   歌は、遊び半分でしたので、いい加減なものでしたが、
  この歌の背景を先生から聞いたような気が・・。

   「アカシヤの花」 が、あの 「ミモザの花」 と聞いても、
  その頃の私には、花など、全く興味はありませんから、何の事はありません。

   それにしても、この 「ミモザ」。
  ピカソやマチスがアトリエを構えた、陽光溢れる、南フランス・・というイメージでしたのに、
  こんな昔から日本にあったのですね。一体誰が想像するでしょう。

   でも、『赤毛のアン』 に出て来る 「ヒースの花」 が、
  「エリカ」 である事を知ったのも、この声楽の先生からでしたっけ・・。

   ともあれ、たった一つの 「さんざしの花」 から連鎖的に様々な事が分かって来て
  嬉しく思います。そうそう、さんざしのもう一つの花言葉は、「希望」 でしたね。

   この曲は、昭和2年(1927年) に作られたとの事。
  北原白秋が、札幌を旅行した時の印象を詩にしたものだそうです。

   “幼かった日の思い出を懐かしむように、素朴に歌いましょう。”
   ~なんて、この本には書いてあります。では、その素敵な詩を・・。



          この道

 この道はいつか来た道       この道はいつか来た道
 ああ そうだよ            ああ そうだよ
 あかしやの花が咲いている    お母様と馬車で行ったよ

 あの丘はいつか見た丘      あの雲もいつか見た雲
 ああ そうだよ            ああ そうだよ
 ほら 白い時計台だよ       山査子さんざしの枝も 垂れてる

                          【北原白秋:作詞  山 田耕筰:作曲】 

太陽が似合う繊細な花

2008-06-23 17:40:15 | 香る庭の花綴り


   昨日の予報では、
  今日は曇りから晴れマーク。

   それなのに、今日も、
  今にも泣き出しそうな重い空です。

   ただ、昨日ほどの蒸し暑さはありません。
  ちょっぴり肌寒さも感じられ・・。

   おまけに今朝は、鶯の声ならぬ、
  犬の鳴き声で目覚める始末。

   でも、いい事もありました。
  今日もアゲハ蝶が2頭、
  連れ立ってやって来たのです。

   それも並んでチェリーセージの花に止まり、
  羽根をバタバタさせているのです。
  
   写真は撮れませんでしたが・・。
  でも逃げる時も、仲良く一緒。

   何だか微笑ましくなってしまいました。
  今日は写真、ダメでしたが、そのうち撮れますわよね。次に期待しましょう・・。

   「新しい日が窓を叩いているわ。
  あたし達に何を持って来てくれるかしら。」
          
                                        【「アンの娘リラ」 第3章】

   ところで、今年初めての 「黄色のハイビスカス」 が咲きました。
  このハイビスカス、付き合いは長いのですが、その分、色々と気になる存在でした。

   と言うのも・・背が高くなり過ぎ、
  私がバッサリ切ったものですから、1年間、全く花が咲かなかったり・・。

   その後、なぜか虫に好かれ、花は美しいのに葉っぱは穴だらけ・・だったり。
  それが今年は、花も葉も美しく咲いてくれました。

   そうなると、威風堂々としたものです。そう言えば・・。
  ハイビスカスの花言葉は、「私は、あなたを信じます。」  
  信じて良かったです。本当に・・。



   一足早く咲いた、オレンジと赤色のハイビスカスも、
  あれから次々と花芽を付け、私達の目を楽しませてくれています。
  終わった花びらをポプリにする習慣も、健在です。

   さて、アンが大好きで、こちらでも 【先日】 記した、「さんざしの花」
  この 「さんざしの花」 が出て来る歌は、北原白秋作詞、山田耕筰作曲の 「この道」
  にも出て来ます。(“札幌時計台を歌った歌” とは、これもきたあかりさんの情報です)

   しかし、舟木一夫のこんな歌を見つけました。
  こちらは、題名もそのものズバリ、「さんざしの花」。やはり、北国の花なのですね。
  詞も、ロマンティックです。益々、「さんざしの花」 に、興味が湧いて来ました。



           さんざしの花

   北国の街に 咲く花が好きと
   そんな言葉一つ 残して行った人
   胸の思いを 語るように
   さんざしの花びらが
   君の細い肩先に こぼれていたね

   悲しい事など 一度もなかったと
   微笑む横顔が 今でも目に浮かぶ
   季節の流れの 陽だまりに
   さんざしの花びらが 君のように
   いじらしく 震えているよ

   北国の街に 春は行くけれど
   今頃どうしているのか 幸せか
   一人でいたら お帰りよ
   さんざしの花びらが いつかきっと
   あの道に こぼれる頃は

                    舟木一夫:歌 中山大三郎:作詞 中島薫:作曲

ロマンティックな雨

2008-06-22 16:49:43 | 四季のスケッチ


   日曜日の朝は、雨で明けました。
  尤も、その雨はすぐにやみ、今も降っていませんが、
  すぐにも泣き出しそうな、鬱陶しい空に変わりありません。

   梅雨の真っ只中ですから、当然と言えば当然ですが、
  今日も湿度は70%を越え、蒸し暑くなっています。

   でも、ひとたび庭の草花に目をやれば・・。
  先日頂いて来た花は切り花を楽しんだ後、(名前を聞いたのに思い出せません) 
  そのまま植えてみました。どうやら根付いてくれたようです。

   他にも、そのようなものが2、3あって・・。
  こんな風に植物が簡単に根付くのも、梅雨の今の時期だからこそ、なのでしょうね。

   「梅雨」 と言えば・・。この言葉は、江戸時代に生まれたそうですね。
  その説は色々あって、「梅の実の熟する頃の雨」 とか、黴(カビ) が生える時期だから
  「黴雨」(ばいう) とか、およそロマンティックでないものもあります。

   でも、青梅雨あおつゆ という美しい言葉は、“青葉を濡らして降る雨” との事。
  “青” には、幼く未熟という意味もあり、
  そのニュアンスも含んでいると言いますから、奥行きがあります。

   日本人の元来持つ、慎み深さや奥ゆかしさが、
  こんな言葉から確認出来て? 何だか嬉しくなります。

   その雨も、「風の実」 「磨刀雨まとうう」 「天泣てんきゅう」 「余花の雨」
  「私雨」
等など・・。

   倉嶋厚 監修の 『雨のことば辞典』 には、
  “雨” だけで、千語余りも集められていると言いますから、驚きます。
  日本語って、素晴らしいですね。

   この事からも、日本人の暮らしと雨とは、
  昔から切っても切れない関係にあった事が、分かります。
  雨の恵みと災害・・。その両方と上手く付き合いながら、生きて来たのでしょうね。

   そう言えば、「(雨に)濡れる」 と
  いう表現にも文化的、
  風俗的な繋がりが深いようです。

   他にも 「濡れ衣」、
  「濡れ手」 等など・・。  
  
   ところで雨の上がった
  午(ひる)下がり・・。

   お隣から家庭菜園で採れた
  ばかりのきゅうりを頂きました。
  
   農薬を使わないそれは甘くて、
  瑞々しく・・とても美味でした。

   そうそう、冒頭の写真は言うまでもなく、クローバーです。
  最近、一面のクローバーの原っぱを、とんと見なくなった事に気付きます。

   と言うのも、『赤毛のアン』 のこんな言葉に接したからなのです。
  勿論、蛙の鳴き声も・・なのですが・・。

   “ある 6月 の夕方のことだった。
  果樹園には再びピンクの花が咲き、
  「輝く湖水」 の上の方の沼では蛙が低い声で
  楽しそうに歌っていた。
   空気は クローバー の原と、樅の林の香りで、
  馥郁ふくいくとしていた。・・・”
                  【「赤毛のアン」 第20章】

春と夏の狭間で・・

2008-06-21 17:33:07 | リラのお気楽ユメ日記


   昨日の昼間こそ、やんでいる方が、
  多かった雨も、夕方から夜になると、
  本当に良く降りました。

   窓さえ閉めれば、雨音はほとんど
  聞こえませんが、開けていると・・
  それは、すさまじいものでした。

   今朝は、その雨も上がり、
  雨の滴はキラキラと朝日に輝き・・。
  美しい瞬間です。

   「雨の晩でも好きな事があるわ。――
  寝床に横になったまま雨がパタパタ屋根を打ったり、
  吹き降りに松をよぎったりするのを聞くのが好きだわ。」

                                       【「アンの愛情」 第35章】

   アンの言葉には納得するのが常ですが、昨日は、そんな風には到底思えず、
  雨音は、ただうるさいだけでした。心に余裕がなかったのかも知れませんね。

   今日も・・。湿度は高いものの、(ゆうに70%を越えています) 今の所、
  雨は降っていません。(午後5時半現在) 雲の切れ目からは、微かな太陽も・・。

   太陽が出て来ると現金なものですね。例のアゲハ蝶が、どこからともなくやって来ます。
  でも濡れた葉っぱは、嫌いなのか? 
  止まる事はせず、又すぐに、飛んで行ってしまうのです。
  でも、その後も何度か、やって来てくれていました。

   ところで、今日は 「夏至」。
  言うまでもなく、一年中で一番昼が長い日ですね。
  今年も、アッという間に、半年が経ちました。

   こんな風に一年が早く感じられるのは、年を重ねると、
  似たような毎日が繰り返され、日々の変化に興味がなくなるからだと言います。
  せめて・・。

   「美しい春が、去って行くわ・・。」
  「今年の春は、何て楽しかったのでしょう。・・」


   今、その時、その瞬間を精一杯楽しみ、
  小さな出来事にも幸せを感じる心・・。そんなアンのように、なりたいです。

   ところで、昨日の 『赤毛のアン』 の切手から、色々考えさせられました。
  私は、元々字を書くのは嫌いではありません。なのに・・。

   今年になって何度、字を書いたでしょう・・? 
  ほとんど書いていない事に気付かされます。ましてや、手紙なんて・・。
  その事に、今更ながら愕然としています。

   そして極めつけは日本の文化である、
  縦書きがなくなってしまうかも知れないとの新聞記事。
  世の中は、もう縦書きを必要としていないのだと・・。

   その最後の砦が、新聞ですが、それさえも横書きに・・と言った意見があるそうです。
  そこで思い出すのが、アメリカに住む叔母です。

   アメリカで、書を学び、横書きの便箋には、いつも縦書きの文字。
  それは、水茎麗しい行書です。
  外国に住むからこそ、日本独自の文化には、私達以上に、こだわりがあるのでしょうね。

   私も、縦書きにはこだわりがあって、
  これまで手紙を横書きで書いた事は、一度もありません。勿論、年賀状も。

   でも、そんな事を言いながら、最後の手紙を書いたのは、一体、いつなのでしょう・・? 
  このブログに、「宛先のない手紙」 を面白半分に、書いた事はありますが・・。

   このアンの切手で、少しだけでも手紙を書くきっかけになれば、
  それだけでも、この切手は、価値があるのではないか・・と思ったり・・。

   勿論、記念に取って置く・・というのも、あるにはありますが・・。
  いいえ、悲しい事に、その可能性が一番大になりそうな予感さえしています、