![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/ef/77aca5bd7554e9e01bec4f9c5db6f2a6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/41/d758cb80105e3bbff4c3b2162cee8961.jpg)
今日は何と “朝から太陽” です。
庭の木々や草花は、しっとりと
濡れていて、太陽の光を受けて
キラキラと輝いています。
昨、夜半には、それこそ
バケツの底をひっくり返した
ような雨が降っていました。
流石そんな雨は、辛いですね。
繊細な草花などは、
お辞儀してしまいましたもの。
でも、こんな風に雨が上がると、途端に瑞々しく活き々して来たような気がします。
(写真は気持ちの良い青空です)
「夕べは、まるでこの世界が荒野のような気がしましたわ。
今朝は、こんなに日が照っていて本当に嬉しいわ。
でも雨降りの朝も大好きなの。朝はどんな朝でも良かない事?
その日に、どんな事が起こるか分からないんですものね。
想像の余地 があるからいいわ。
でも、今日雨降りでなくて嬉しいわ。」
【「赤毛のアン」 第4章】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/30/b9870bc1dba10e7e65f9489f23fcf879.png)
やっと司馬遼太郎著 「坂の上の雲」 1巻を読了しました。
斜め読み得意の私ですが、音読しましたので、
一字一句、読み残しはありません。
今の所、しっかり頭に入っています。
そう言えば、ゲーテ に、こんな言葉があります。
この音読によって少しでも忘れなければいいのですが・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/40/8b8c70a42da770ea6be42e7c2dd01980.png)
若い時は、興味が 散漫 なため忘れっぽく、 年を取ると興味の 欠乏 のため忘れっぽい。 ~「温順なクセーニエン」 より第5集から |
・・・鑑賞する(俳句)者は頭に地図でも描かなければならず、 描いたところでそれは頭で操作されたものであり、絵画的ではない。 俳句は詠み上げられた時に決定的に情景が出て来ねばならず、 つまり絵画的でなければならず、更に言うならば、 「写生」でなければならない。 ~「坂の上の雲」 第1巻 |
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/da/0033e12314815b2b309d51ee6f3e87ab.png)
1巻では、(先日も少し触れましたが)正岡子規が登場します。
そして幼友達で、良きライバル、親友の秋山真之。日清戦争。
小さな村社会でしかなかった日本が、初めて国家というものを意識し、
列強の国々に抗し、世界に羽ばたこうとした時代です。
極東の小さな小さな島国の日本が、ただ国を強くするという、
一つの目標に向かって、真剣にぶつかって行きます。
それは皆一様に、“志”を持ち、純粋で少年のようです。
不思議な事に、ここでは暗さは微塵も感じられません。
正岡子規にしましても、闘病(肺結核)しながらの執筆活動。
それでも、人生を達観していて暗さはありません。
前述の秋山真之、高浜虚子、夏目漱石等など・・
多くの友人に囲まれ、精一杯生きています。
この本を読んで感じる、ここまでの清々しさは一体何なのでしょう。
印象に残った子規の言葉を記して置きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/arrow_t.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/23/3a3ce4129c5a0ac1d56bab463e8af5e6.png)
写真だって、心に残る写真は、まるで絵画のようですもの。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます