天才の読み方―究極の元気術齋藤 孝大和書房このアイテムの詳細を見る |
齊藤孝氏の「天才の読み方」、
「理系と文系」(http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/9b87a8f2bd25769386eb3d98365f244f)
でも取り上げましたが、示唆に富んでいる本です。
氏は、”単なる天才願望の裏返しから、具体的な努力をしないことを天才の指標としたがる人が多い”、ことを指摘し、
天才を「上達の達人」と定義し直しています。
~ 才能の有無よりも、具体的な工夫を積み重ねることができるかどうか、
自分のスタイルというものをつくっていく意識を強く持っているかどうかこそが、
生きるうえでは重要。
天才のことを、
”5年や10年単位ではなく、もっと長い、100年単位の時間意識を持った人であり、
多くの課題、私たちが持ってるような課題を集約的に抱え込んいる存在である”、と捉えています。
だからこそ、
”(5年、10年で解けてしまう短いスパンの人物ではなく)天才・偉人と呼ばれる人は、そのまま学べる存在である”
と言います。
面白い見方です。
次の具体例など、腑に落ちるところがあります。
~ たとえば、夏目漱石です。彼は近代化していく日本の中で、どのように自我を持ったらいいのか、
日本語とはどうあるべきなのか、という問題などに正面から取り組みました。
この問題は、現代の私たちも抱え込んでいるからこそ、彼の作品はいまでも読まれているのです。
一方で、時間意識、といわれても、
戦争やイデオロギーなどの時代背景が影響を及ぼすものだし、
5年、10年先を読むことも大変な時代に、どうもピンとこないところはあります。
でも、どんなに進歩し、一見ほぼ完成されたかのような社会システムの中にいる時代だと感じられても、
課題がなくなるわけではありません。
僕は、現代の日本での生活は、
封建制度もなく、、他国に比べると格段に安全で、戦争や飢饉があるわけでもなく、
不況だと騒ぎながら海外旅行に行ったりもするし、
人類史上、ある意味、稀に見るほど豊かで恵まれた環境にあると思っています。
それでも社会不安や課題は絶えません。
「あらゆるものに利と毒がある」のですから、文明や文化がいくら発達しても、完璧な世界などありえないのです。
ただ、分かるのは、
その場、その場で、普遍的で新しいものを創り上げていく工夫をしていくのが大切、だということ。
この本では、学ぶ教材としての天才に、ピカソ、宮沢賢治、シャネル、イチローが取り上げられています。
イチローが100年後にどういう評価なのか、意見は分かれるかもしれませんが、
今、彼のことを天才のサンプルとして取り上げることに違和感を抱くひとは少ないように思います。
でも、一般的な天才のイメージからすると、この中ではピカソが最も、いわゆる天才らしい感じがします。
そんなピカソに我々が学ぶことってあるのでしょうか。
続きは、また別の記事にします。