ブログを始めてから知った内田樹(たつる) 先生。
書籍だけでは飽き足らず、ツィッターまでフォローさせていただき、
ブログでも幾度となく採り上げさせていただいておりますが、動画や先生のお姿をアップしたことがなかった。
上を向いてるから生返事をするという、内田先生の師匠、多田先生の話がおもしろい。どぞ。
小田嶋隆×内田樹トークショー「地雷を踏んで生きる」Vol.1
内田先生が帯文を書いてたりすると、つい手にとってしまうことも多い。
名越先生の本にもそんな風にして出会ったのだが、 一見捉えどころのない心というものを観察して、具体的で実践的なアプローチの技法を考えてゆこうとする工夫や文章の表現に共感を覚えます。
心は一瞬にして変わる性質を持っている。
心の速度は光の17倍の速さがある、という仏教での教えもあるという。
我が身ひとつの無常にしても、物質的な体が持つ速度(光の速度)と心の速度という2つの速度から構成されている。
立ち読みでふむふむ、して、家に帰ったらもう一度読みたくなって、Amazonで注文。
陳腐な常套句の並んだものにはあんまり興味が沸かないのですが、
さすが、鮮やかな視点を与えてくれる本だなーとまたもふむふむしながら、読み進めました。
ところが、もう一度読みたかったフレーズが出てこない。どして??
心がスーッと晴れ渡る「感覚の心理学」 角川SSC新書 | |
名越 康文 | |
角川マガジンズ(角川グループパブリッシング) |
心がフッと軽くなる「瞬間の心理学」 角川SSC新書 | |
名越 康文 | |
角川SSコミュニケーションズ |
題名がそっくりな別な本を読んでました。
結果的に2冊ともお買い上げ。
しかし、2冊買っただけの気づきをもたらしてくれました。
先週は泊まりがけの研修があったのですが、2日間泊まりで受けた一流コンサルによる研修よりも、こちらで得たもののほうが、内容としては深い。
(夜中までグループ討議して、たまさか自分がプレゼンするとは思わずに妥協を許してしまったアイデアを、
納得感を持ってもらえるようにプレゼンするというのは、本を読むだけでは得られない体験ではありますが。)
若干自慢めいた話になってすみませぬが、私は子供のころ運動が得意で、
寒い時期になると恒例のマラソン大会がありまして、小学校の頃は5年生までずっと連続して毎年2位でした。
なんだ、1番じゃないのか、と思うなかれ。
成長期にあって背の高さ(=足の長さ)といった体力面の条件や強力な転校生といったライバルの出現などなど、
毎年2位をとる、というのも我ながらなかなかなことでして、小学生にしてある種のプレッシャーがあったのです。
(6年生のときには今度は自分が転校してしまいましたが、1番のやまもと君は結局6年連続1位のまま走り抜けました。
かたやぼくも転校した先では、走っても泳いでも負ける相手がいなくなって、
中学校になっても夏の水泳大会の自由型競泳、秋の体育祭の1500m走、と負けなしで1番でした。)
「自分が苦しい時は人も苦しい」
小学生にして、小学生の私が、当時考えたかどっかから仕込んで来た、自分を励ますフレーズです。
たぶん、この頃が一番アスリートだったのではないでしょか。
(もしそうでないなら、今頃こんなにゴルフが下手くそなわけがありません。)
前置きが長くなりましたが、名越先生の本のなかによく似たフレーズが出てくるのです。
「これもまた過ぎ去る。」
苦しいことや悲しいことにも必ず終わりがある。
辛い体験や感情の執着、マイナスのこだわりから逃れる助けになる言葉として、名越先生は座右の銘のひとつとしているとのこと。
シンプルですが、奥の深い言葉でもあります。
先生曰く、"「これもまた過ぎ去る。」は、言わば、諸行無常を肯定的なニュアンスで捉えたような言葉。"
~ 「幸福なこともまた過ぎさるもの」である。だけど一方で苦しみも同じように過ぎ去るもの、である。
「今、ここ」にきちんと対処するために、心をリセット」する。
諸行無常だとどこか空しい感覚を帯びてきますけど、今にとどまるための言葉として、よりポジティブに使うことができるという感じですね。
(「諸行無常」について。→もっと「振り子」を伸縮自在な拍で)
この2冊にはずいぶん気づきをいただきました。一気にはき出さずに、時折々に取り出せるようにテーマを絞っては書き出していこうと思います。
( ↓ ) 諸行無常ではなく、今にとどまるということ。
柴田淳/カバーアルバム『COVER 70's』 30秒 SPOT
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