ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

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断片のキラメキとはそういうことだったか ~ 断片にある真実と祈りについて

2013年08月18日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

この本の冒頭部、ジョージが自分の生家を訪ねた時に、自分の生まれた1943年を回想する場面がある。

ぼくはオリヴィアと一緒にその家のようすをうかがい、1943年のことを思い描いていた。
魂の世界から抜け出して「ぼく」という存在はその家で、現実の身体を与えられた。
この星全体のことを考えたら、なんとも不思議なことだ。
いや、物質というレベルで考えるのなら、この星以外の星も含めなければならない。

あの時代、あの家、あの家族のもとへ、ぼくはどのようにしてやって来たのだろう、そしてその「ぼく」とは一体何物なのだろう。

これは特別な問いではない、昔から人間が発し続け、いまだ解決されない問いだ。

だから、このような問いを発し、考えることは、哲学的とされ、むずかしい問題だとされる。こんなにシンプルで素朴な問いかけなのに。

心的現実性というものにジョージが言及していることに驚いた。(心的現実性こそが重要である

たとえば、1943年の家族の風景は、ほんとうに現実だったのだろうか。
その時の風景は誰が認識していた現実なのか、その家族以外の誰かが認識していた現実なのか。
その認識は今も生きた視覚として残っているのか、幻想だったんじゃないのか。

現実とは、一定の共通認識のもとにあるもので、そうでないものは幻想かもしれない、
そんな風に考えていくと、多種多様に展開されている世界中の現実はどこまでが現実なのか、よくわからなくなってくる。

現実というのはひとつの観念だ。どんな人にも、その人固有の現実がある。
だがほとんどの場合、だれかにとっての現実なんて、ただの幻想にすぎない。
いつのまにかみんな「この身体こそが自分である」という幻想を持たされてしまっている。
ぼくはジョージではない、本当にジョージではない。
今はたまたまこの身体を借りているだけなのだ。
その身体だって変化を遂げている。
赤ん坊だったり、若者だったり、そのうちに年老いた姿になり、やがては死んでゆく。
でもその奥に何かがある。それこそが唯一の現実なのだ。
誰かが元ビートルたちは現実から切り離されている、と思っていたとしたら、それはその人の個人的な観念に過ぎない。誰かが思っているというだけでそれが真実だとは限らない。そうした観念が集まると、いくつもの層をなした幻想になる。 

~ 平凡な日常を生き、それぞれに日々の雑事に追われている人々に対し、哲学的な洞察を期待するのはいささか無謀なのではないか
― インタビュアーの問いに対してジョージ ハリスンが答える。

どうして? ぼくだって日々の雑事に追われている。
なぜ、一生暗闇の中を歩み続けるのか。
もしみじめな時を過ごしているのなら、ただじっと見つめてみたらどうなのだ。

なぜ闇の中にいるのだ。光を探しなさい。それはとても大切なメッセージだ。

そう思う。ただ追われていてはだめなのだ。 なぜ闇だと感じるのか、じっと見つめてみるというシンプルなこと。

ビジネスタームにも乗らないし、宗教的なテーマはグローバルにも語られにくい。
時として科学や経済上のテーマ以上に切実で、有益なメッセージが求められているのにも拘らず、
今の世界の構造上、表に出てきにくいものになってしまっている。
表面的なテクニカルな問いには答えられても、本当に根源的な問いには正解が与えられていない。
 

だからぼくは歌ったのだ、
「My Sweet Lord、神よ、心からあなたに会いたい。どうして一生怯え続けなくてはならないのか。わたしの中にある恐れを洗い流してくれ」と。

あれ以来、ぼくは懸命になって、幸運にも垣間見ることのできた輝く小さな光を、消さずに守り続けていこうとしている。
そして、その光をもっと、もっと分かりやすい形で周りに示していこうとしている。自分自身がその光になってしまうまでずっと。

それはとても大切なことだ。
ときには神について大声でしゃべりたくなる。
だが、それを説明しようとすると、空虚な言葉の羅列のようになってしまう。

そうか、だから、ジョージの言葉や音楽は断片的なのかもしれないと思った。

説明的に物語を創ってしまうと、嘘くさくなる。 断片的に、シンプルな形でしか伝えることのできない真実があるということだ。

幸福も断片として顕れるのだった。まるごと100%の幸せなんてものは期待しないほうがよい。(「詩人」という生き方 ~ Junk ♪)

断片のキラメキとはそういうことだったか。

( ↓ ) 個に徹すれば普遍に通ず。

「集団から切り離された個人のあえぎ」ともいうべき音楽がブルースだといいます。
誰しもの喘ぎが、断片のような祈りのフレーズになって、大きなうねりのように歌われる。

I really want to see you ,Lord.  But it takes so long , My Lord 

本当にあなたに会いたい
   けれど時間がずいぶんかかりそうだ、私の神様。

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