ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

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読書メモ/遠藤周作

2009年04月13日 | 読書ノート

僕は昔からフィクション(小説や物語)より、ノンフィクション(伝記や評伝、あるいはエッセイ、ノウハウ本やビジネス書や図鑑の類まで)を好む傾向があります。

よって遠藤周作の小説のことはよく分からないのですが、
「自分づくり(生き方編)」という本(題名はイマイチですが、さすがにいいこと書いてます)を読んで、心に留まったことを、もったいないので書き出しておきます。

<生活と人生>
・生活と人生は違う。毎日の生活の中で、普通のひとはあまり人生というものを考えたりしない。
人生の意味とは何かを考えると生活にブレーキがかかる場合もある。

・病気や不幸に見舞われるような時、日常の生活では気がつかなかった人生というものが顔を出す。
また我々が生きていく中には人生と生活のどちらを選ぶか、という二者択一の岐路にたびたび立たされることがある。
人生と生活との岐路に立ったとき、生活を選ぶことが決して間違っているとは思わない。
ただ、その生活の奥に人生があること、人生というものがときとして、
いや、しばしば人間を高めるということは決して忘れないでもらいたい。

・人間関係にも「生活上の相手」と「人生上の相手」がある、ということは知っておく必要があるんです。

・毎日のように会っていても、(お互いに便利だったり、役に立ったりする付き合いや、社会的・組織的な関係であったりしても)自分の心に何らかの痕跡も残らず、精神的に何の影響も受けていないということはよくある。それは人間が社会生活をおくるうえで当たり前にあることで、別に悪いことでもなんでもない。

・だがしかし、人生上の相手とは、こういった生活上の相手とは違う。忘れられないという感情が伴うものです。
あるいは、一回も会っていなくても、そのひとの書いたものや創ったもの(絵、音楽など)を通して自分の心に深い印象を刻んだひとがいるでしょう。

<意識と無意識>
・ひとは意思を重んじる。しかし、意思は自分でコントロールできる意識的な部分だけで決まるようなものではない。

・無意識の部分が、そのひとの考えや意思に大きな影響を持っていることは知っておいた方がよい。

・無意識の部分とは、生活上の小さな意思決定や感じ方、環境の影響を受けながらそれらが蓄積して作られるだけのものではない。
人間の身体と同様に、無意識あるいは潜在意識のなかにも、DNAとして先祖から受け継がれているものがあるのです。

・だから、意思をコントロールしているのは自分独りの力だ、などと尊大になってはいけない。

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