ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
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消えた借景

2011年04月29日 | 日記

ブログを始めて間もなくの頃から、リビングから見える我が家の借景としてたびたび登場してきた柿の木。

金木犀(キンモクセイ)日和のなかの昨秋、10年居て初めて見た実が収穫されている様子、

東日本大震災で計画停電になった月明かりの晩

秋の朝の日射しのなかや、バニラスカイのような柿色の雲と一緒に佇む様子

そして元旦には柿の木と共に昇る初日の出を幾度となく眺めた

それが、今朝いつものようにリビングの窓越しに眺めた光景からは露のように消えていた。 

時空にぽっかりと光の穴があいたようだ。

にわかには信じられなくて、そばに行ってみた。

株もとの傍にはポピーが咲き、
横にあった小さな松の木が逞しく芽をふいていた。

昨日はどこにあるか。一昨日はどこにあるか。
わしの見た野原と山は、どこにあるか。

わしは自然のなかに溺れたいのだ。
岩の頑固な色調や、山の合理的な根強さや、空気の流動性や、太陽の暑熱を持ちたいのだ。

色彩は思想と神との華々しい肉だ。法則の華やかな色だ。
真珠をちりばめた、それらの微笑みは、
失心した宇宙の死の面を再び活々とさせるだろう。

この絵画の中で、これらの色彩の中で、物質化された官能が、沢山加わっているから、
宇宙の意識は、われわれの画の中で、よく不朽のものとなっている。
セザンヌ、画家)

小説、世界の奏でる音楽
保坂 和志
新潮社

住宅造成が進み、発展してゆく街、家の周囲にはいまだ、恵まれた自然が沢山ありますが、
親しんだ木々や風景が失われてゆくのを目の当たりにすることも多い。 

私は時間を絶えず自分につけておかねばならず、
時間は私を支え、その目も眩むような頂にとまった私は、
自分にできるような形で 時間をいっしょに移動させないかぎり、自分も動くことはできないのだ。

言葉はそれほど多くのことを語れるわけではない。
人間の思うことは言葉と共にあるから、言葉で書くことにそんなに苦労はない。
しかし、自然は言葉のない時代からあった。
自然を表現する難しさとはそういうことだと思う。
画家や音楽家は、言葉でも表現できることを絵や音楽にして表現しているのではない。
絵でしか表現できないこと、音楽でしか表現できないことを表現しているのだ。

Lennon McCartney - Seems like Old Times

どうして、こんな美しい曲を未発表にしておくのだろう。楽しげでいて、物悲しくもある。

カキの木の思い出に添えよう。

  (2010/4/24の姿)

 

 

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