今日のお天気は・・・

何気ない日々の出来事をつづっていきます

一週間

2016-04-23 12:10:15 | 雑記
午後は雨の予報だったが、11時を過ぎる頃からぽつぽつと大粒の雨が落ちてきた。

熊本地震から一週間。
被災地の雨は、捜索を困難にし、避難している人たちの憂鬱を増幅する。

                      


14日夜の地震の時は、テレビの緊急地震速報にアイロンをかけ終わったシャツを手に固まっていた。
警報音が終わってから、揺れが来た。
それまで、緊急地震速報が鳴っても実際に揺れたことはなく、「本当に揺れた!」というのが実感。ゆらゆらと揺れたが、ものが落ちるようなことはなかった。
すぐにテレビは地震情報に切り替わったが夜だったので被害の全貌は分からなかった。

父が熊本の親戚に電話すると、棚からものが全部落ちた!と言っていた。
とりあえず無事を確かめたので安心した。

翌朝、テレビに映し出される被害情報に何度もストップモーションになりながら支度をして仕事に行った。
JRが乱れることは予測していたが、博多へはそれほど遅れることなく着いた。
驚いたのは新幹線通勤の同僚が二人とも出勤したこと。
1時間早く家を出なければならない上に、夫が熊本に仕事に行くので大量のおにぎりを持たせてきたという。
大牟田は熊本に近く、揺れも大きく、余震も多いらしい。彼女のたくましさに感心した。


                      


そして、16日未明の地震。
ぐっすり眠り込んでいた私は、夫のケータイの警報音で目が覚めた。
ベッドがゆらゆらと揺れ、揺れが収まってから飛び起きた。

旧家に寝ているなぎぃに「大丈夫?」と声をかけた。
父も起きてきて夫とテレビで地震情報を見ていた。
とりあえず、ものも落ちていないようなので寝ることにした。

それから3回、ケータイの警報音で起こされたが、揺れはそれほどでもなかった。

翌朝テレビで被害の様子を見ると、その惨状に開いた口がふさがらなかった。
ずっと被害の様子を伝えているが、頻繁に余震が起こる。
震度3以上は警報音が鳴るので、被災地ではほとんどずっと揺れているのだろうと想像できた。

別府の親戚に電話してみたら、食器棚も本棚も倒れて大変!と言っていた。

熊本も心配だが、こちらが心配だからと言って電話するのもはばかられる。
父が留守電に伝言を入れると、メールでみんな無事だという連絡があった。



                      


日曜日の夕方にメールが入り、ボディーシートを買って月曜日に持ってくるようにとのこと。
月曜日に出勤すると、15日から支援に入っている職員の情報をホームページに掲載する準備が
始まった。
博多区から熊本へ、15日から毎日支援に入り、小さな避難所を回って必要な物資を聞き取っているとのこと。月曜日は私たちワーカーがそれぞれ持ち寄ったボディーシートがワゴンに積めないくらいに集まったという。
翌日からおにぎり支援が始まった。

早く出られる人は1時間早く出勤し、キッチンスタジオでおかずを作る。
できる人は家でおにぎりを作って持って行く。
職場でもご飯を炊いて、おにぎりを作る。
おかずとおにぎりをセットして、10時に職員が熊本に向けて出発する。
渋滞するので、おにぎりが届いたのは2時だったらしい。

おにぎり支援は毎日続けている。
そのほかに、雨で床が汚れるのでぞうきんが欲しいとの要望に応えて、使い古しのタオルを持ち寄って運んだり、不足している紙皿を買って持ち寄ったりした。
専務曰く「人海戦術」。
一人一人のできることは小さくても、集まれば何とか支援ができているようだ。

朝はエプロンにマスク三角巾姿でおにぎりの準備をして、その後普段の仕事に入る。
しばらくはこの状態が続きそうだ。

支援をしたいと思っていてもできない人が多い中、実際に支援が出来る場にいることはありがたいと思う。


                      


グリーンコープは東北の支援や常総市の水害被害の支援もしてきたが、その中心で動いていた一人の職員は熊本出身。
これまでの経験をフルに使って、故郷熊本の支援に取り組んでいる様子が目に見えるようだ。

毎日の報告に、「初日に、常総市で知り合ったボランティアに出会い、支援物資配布の協力をしてもらった」とあった。きっと彼だと、私も取材で会った彼の顔を思い出した。
取材の時、「もし九州で何かあったらすぐに駆けつけますよ」と言っていた彼が約束を守ったのだと思った。
コメント (2)
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