第462夜 定年退職考

2008-02-27 21:14:00 | その他
2008.2.27(水)

やはり釣友たちもジッとしていない。

昨夜のあの風の中、釣行しているとは思わなかった。
今夜も良い天気なのだが、風が強いと言っていた。明日は高気圧が張り出して良い天気。但し風は解らない。風さえ無ければ明晩釣行してみようと思う。恐らく週末は、調べ物や出勤で釣りにはならないと思うので。

昨日と今日、1年振りかなぁ、我が社のOBであるO氏に出合った。昨日はあまり話せなかったが、今日は近況など聞いた。
退職された今の方が生き生きされていて、何だか若返られたようだ。仕事の方はパートであるため、休めば給料無しなのだが、お陰で病気もせずに毎日が充実しているとのこと。仕事も天職だと言っておられる。それに最近始めたアコースティック・ギターの練習にも余念が無く、最近発表会(コンサート?)にも出られたようだ。聞いていれば見に行ったのになぁ。ゴルフにギター、それに周1~2回のストレッチ、益々元気に過ごしておられる様子。羨ましい限りだ。

退職後の生活設計も今は難しい時代である。職種さえ選ばなければ、結構求人はあるようだが、私には肉体労働はきつい。かと言って、事務職は競争率が厳しくてなかなか思うように採用されないらしい。こうなると自営業の方が羨ましい。

我々が退職の頃は、年金も完全に65歳から支給されるので、定年の60歳から5年間が苦しい。現在ではその5年間に限り再雇用制度があるが、考課による点数制度があり、残れるかどうか定かではないし、残れたとしても仕事が選べるのかどうかもよく解らない。出向先がある公務員や会社が羨ましい。
とまあ、羨ましがってばかりいても始まらないので、当面は前向きに釣りに励むことにしよう。

今日の暦
・新撰組の日、1862年(文久2)新撰組の前身「壬生浪士組」が結成された(中井喜一の映画は良かった)。壬生浪士隊は清河八郎の提案で、京都警護のために江戸幕府が募集して発足したもの。1863年2月に江戸を出発して、京都に着いた途端、清河が壬生浪士隊の目的は尊皇攘夷だと言い出したため浪士隊は分裂、まもなく幕府の帰還命令が出て清河ら209名は江戸に戻る。しかし、近藤勇、芹沢鴨、土方歳三ら24名は京都に残留し、京都守護職で会津藩藩主松平容保の配下に入り、8月に「新撰組」と改称した。その後4年間、京都で尊皇攘夷派・倒幕派の弾圧を行う。
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