21日はお友達みなさんの手づくりコンサートでした。終了後のお疲れ様会にも出させていただいてどうもありがとうございました。機材の準備や片づけをする頼もしいダンナ様たちや、ママのギターケースやいろいろな荷物をせっせと運んでくれる子供たち。みんなでつくったコンサートという暖かさがしみじみ・・(私はご馳走になっただけで、スミマセン・・)
***
このところ、CDをかけることも少なくなって、普段ならニュース一本見終わったらそれで消してしまうTVなのに、CNNやABCやずっと見続けて、次第にもたらされる、兵士や記者の死傷者や、民間の犠牲者の情報を耳にしながら、、、こんな時だからこそ、あったかくて人間らしい食事をつくることが出来る喜びに感謝しなくては、と妙に気負ったりして、、、私は行かなかったけどたくさんの友達が出かけたはずのストーンズ公演の話題にも、なぜだか熱い思いになれなくて、、、春めいた青空が部屋の窓いっぱいに広がっているのを、ただ見てはそれさえもやるせなくて、、、
***
23日、今日は鎌倉芸術館で、仲井戸CHABO麗市さんと夏木マリさんの、詩と音楽の「ふたり会」でした。
一緒に行ってくれたのが、ストーンズ好きな友達。・・会場に行く前に食事しながら、ずっとずっと昔に買ったストーンズのアルバムの話とか、ミックの声が一番素敵に聴こえるバラードは何かって話とかしていたら、ストーンズの来日を素直に喜べていなかった自分の気持ちがちょっとほぐれた。
「ふたり会」のこと、、、ライブレポしてね、って友達に言われていたのだけど、、いっぱいいっぱい思いがありすぎて、今はうまく書けない。マリさんの意外な登場場面からもう、とても胸に迫るものがあって、そこでマリさんは踊り、歌い、叫ぶのだけれど、それはばらばらに壊れてしまった言葉、意味を奪われてしまった言葉だったのです。永遠につづいてしまいそうな、マリさんのこなごなの叫び。。。怖くて、かなしかった。
その意味を奪われてしまった言葉の悲しみが、言葉として回復されていく事を、マリさんは女優だから象徴的に表現したのだと思う。そして、チャボさんは、女優さんのような演技者ではないから、思いのありったけを込めてギターを弾いて、言葉は言葉として、まっすぐに人に届けようとしたのだろう、と思いました。チャボさんの声はどうしてあんなに、あったかくて切ないのだろう。そして、マリさんの声はどうしてあんなに、強くて美しいのだろう。
「今日の会は言葉のための会だから」と何度もマリさんは言いました。
チャボさんは、「ストーンズが来ちゃったしさあ・・」とはにかんで、ブライアン・ジョーンズの事を綴ったエッセイを朗読したり、そんなチャボさんはリバプールサウンドやキンクスやヤードバーズにいかれてしまったロック少年のままだったのだけど、、、
でも、どうしても歌わずにはいられなかった「今」への思い。その苦しさを声にして、言葉にして、ギターの音にして伝えようとするチャボさんから、、、離れて、、、舞台の端の暗がりで無言で踊り続けるマリさん。演奏が終わって、チャボさんが去って、追い出しの曲のルイ・アームストロングの「What a wonderful world」が流れ終わるまで、ずっと踊り続けていたマリさん。
・・・言葉は温かいけれども、言葉は、時に苦しい。
たったひと晩限りの、詩と音楽の「ふたり会」でした。言葉についてともに語らったお友達、見たいなあと言っていた友達にも、、本当に見せたかったよ。今度ゆっくり、たくさん話すからね。やっぱり、言葉を尽くして。。
***
このところ、CDをかけることも少なくなって、普段ならニュース一本見終わったらそれで消してしまうTVなのに、CNNやABCやずっと見続けて、次第にもたらされる、兵士や記者の死傷者や、民間の犠牲者の情報を耳にしながら、、、こんな時だからこそ、あったかくて人間らしい食事をつくることが出来る喜びに感謝しなくては、と妙に気負ったりして、、、私は行かなかったけどたくさんの友達が出かけたはずのストーンズ公演の話題にも、なぜだか熱い思いになれなくて、、、春めいた青空が部屋の窓いっぱいに広がっているのを、ただ見てはそれさえもやるせなくて、、、
***
23日、今日は鎌倉芸術館で、仲井戸CHABO麗市さんと夏木マリさんの、詩と音楽の「ふたり会」でした。
一緒に行ってくれたのが、ストーンズ好きな友達。・・会場に行く前に食事しながら、ずっとずっと昔に買ったストーンズのアルバムの話とか、ミックの声が一番素敵に聴こえるバラードは何かって話とかしていたら、ストーンズの来日を素直に喜べていなかった自分の気持ちがちょっとほぐれた。
「ふたり会」のこと、、、ライブレポしてね、って友達に言われていたのだけど、、いっぱいいっぱい思いがありすぎて、今はうまく書けない。マリさんの意外な登場場面からもう、とても胸に迫るものがあって、そこでマリさんは踊り、歌い、叫ぶのだけれど、それはばらばらに壊れてしまった言葉、意味を奪われてしまった言葉だったのです。永遠につづいてしまいそうな、マリさんのこなごなの叫び。。。怖くて、かなしかった。
その意味を奪われてしまった言葉の悲しみが、言葉として回復されていく事を、マリさんは女優だから象徴的に表現したのだと思う。そして、チャボさんは、女優さんのような演技者ではないから、思いのありったけを込めてギターを弾いて、言葉は言葉として、まっすぐに人に届けようとしたのだろう、と思いました。チャボさんの声はどうしてあんなに、あったかくて切ないのだろう。そして、マリさんの声はどうしてあんなに、強くて美しいのだろう。
「今日の会は言葉のための会だから」と何度もマリさんは言いました。
チャボさんは、「ストーンズが来ちゃったしさあ・・」とはにかんで、ブライアン・ジョーンズの事を綴ったエッセイを朗読したり、そんなチャボさんはリバプールサウンドやキンクスやヤードバーズにいかれてしまったロック少年のままだったのだけど、、、
でも、どうしても歌わずにはいられなかった「今」への思い。その苦しさを声にして、言葉にして、ギターの音にして伝えようとするチャボさんから、、、離れて、、、舞台の端の暗がりで無言で踊り続けるマリさん。演奏が終わって、チャボさんが去って、追い出しの曲のルイ・アームストロングの「What a wonderful world」が流れ終わるまで、ずっと踊り続けていたマリさん。
・・・言葉は温かいけれども、言葉は、時に苦しい。
たったひと晩限りの、詩と音楽の「ふたり会」でした。言葉についてともに語らったお友達、見たいなあと言っていた友達にも、、本当に見せたかったよ。今度ゆっくり、たくさん話すからね。やっぱり、言葉を尽くして。。