「うつろ庵」の杜鵑草が咲いて久しい。
この花は元来、山野に自生する草花であるが、花の少ない晩秋に咲くので、昨今は園芸用にも持て囃されているようだ。庭木の下に植えた一株が、種が落ちて増えたのか、或いは宿根が延びて殖えたのか定かでないが、今では一叢をなすまでになった。
まだ花を付けぬ夏頃には、幅広の下葉が枯れはじめて、そのまま萎れてしまうのかと心配した。
花を付けた秋になっても葉先が枯れて、気を揉ませる「ほととぎす・杜鵑草」だ。
花の姿も花びらの斑点も、独特のものがあって興味深い。
この斑点の模様は野鳥「不如帰」の、腹羽毛の斑点模様によく似ていることから、「ほととぎす・杜鵑草」と呼ばれると言われているが、野鳥の「不如帰」は鳴き声を聞くのみで、鳥の姿を見たことがないのが残念だ。
『ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
ただ有明の 月ぞ残れる 』
百人一首にある後徳大寺左大臣の歌だ。
不如帰の鳴き声は、三浦半島のゴルフコースでも時々耳にするが、昼夜を問わずよく鳴く野鳥だ。左大臣の時代には、邸宅の庭や近くの林からも鳴き声がよく聞こえたことだろう。夕暮れ近く「ほととぎす・杜鵑草」の近くに佇めば、「トッキョキョカキョク」と繰り返して鳴く声が、遠くから聞こえて来るかのように思われた。虚庵居士の空耳か・・・。
杜鵑草は、日本中かなり広範囲に自生しているようだ。
それぞれの自然環境に応じて、花の姿も色合いも多少づつ変化があって、土地の人々がそれぞれ固有の名前を付けているのは、人と自然との付き合いが偲ばれる。山杜鵑・高隅杜鵑・紀伊上臈杜鵑・駿河杜鵑・相模杜鵑・黄花杜鵑など等だ。
手のこんだ細工なるかなこの花の
姿も模様も自然の巧みは
何時しかに草叢なせる杜鵑は
ただのひと株 植えにしものを
下葉枯れ命たえなむいとしくも
我妹子(わぎもこ)植えにし杜鵑草なるに
逞しくいのちを存え杜鵑草は
花付け応えぬ庵の小庭に
ほととぎす鳴く声聞くは空耳か
庵の庭の草叢に居れば
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