「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「神帰月の木瓜」

2011-11-15 03:05:48 | 和歌

 霜月も半ばを迎えるが、季節外れの「木瓜・ぼけ」が咲いていた。

 何時もの散歩は、東京湾に浮かぶ猿島を見ながら、椰子並木の続く海岸縁を二・三キロほど歩くのだが、気分を変えて旧市街の路地裏を辿っていたら、素晴らしい花に出会った。




 曲がりくねった路地は、民家が立て込んで何とも人間臭い空間だが、そんな路地の一画に目も覚めるような、美少女が待ち受けていた。一株の木瓜が、薄陽を受けて咲いていたのだ。

 路地の奥まったごく狭いスペースゆえ、霜月の冷たい風も吹きぬけぬのであろう。
そこだけが小春日和のような環境を保って、木瓜の花を咲かせたのかもしれない。



 

 10月は旧暦では「神無月」という。八百万(やおよろず)の神々が出雲に集まって、日本国中の神々が留守をするところから、神様がおられない月「神無月」と呼ばれた所以だ。
11月には八百万の神々が出雲からお帰りになる月だから、霜月のまたの呼び名を
「神帰月」(かみきづき)とも言う。

 この木瓜は、近くの氏神様のお帰りを待って、「神帰月」に咲いたのかもしれない。
古代から神様は、限りなく人間に近しい存在であったことを思えば、木瓜の乙女が恋い慕う氏神のご帰還を、いまや遅しと待つ心も肯ける。季節外れに咲いた木瓜の花は、氏神様に捧げる花なのかもしれない。そのように思えば、何やら神々しい雰囲気を醸すようにも思われた。

 一緒に散歩していた虚庵夫人にそんな想像話をすれば、「何時もの空想ね」と馬鹿にされそうで黙っていたが、この写真を見せて話したら、頷いてくれるかもしれない。



 

          路地裏を曲がりくねって辿り来れば

          季節外れに木瓜は咲くかな


          路地の醸す人の気配のいや濃くば

          余りに高貴な木瓜の花ぞも


          霜月に季節を違ふや木瓜の花は

          路地の醸せる日和に咲くかや


          神無月出雲の国に八百万の

          神集うとかや神社は留守なれ

        
          氏神に恋ひ慕ふかも木瓜乙女の

          待ちにけらしも花を咲かせて


          神帰月の冷気はものかは乙女ごの

          季節を違えて咲くこころかな


          しろたえとうすくれないのはなびらに

          かみよみまほしおとめのこころを