「うつろ庵」の、いや、むしろ町内のシンボル・ツリー
であった檜の老木が、昨年秋に枯れた。
幹に絡み付いた蔦の葉の風情が捨てがたく、殊に秋の紅葉は、横須賀のような温暖な土地であっても見事であった。浅はかにも身勝手な住人は、絡み付いた蔦をそのまま何年も寄生させて、檜と蔦の双方を愉しんで来たが、どうやらこれが禍したようだ。
素人判断で蔦だとばかり信じていたが、植木職人に言わせれば蔦は「藪枯らし」との異名を持ち、絡み付いた樹木を傷めつけ、遂には枯死させる威力の持ち主だという。檜の樹勢が怪しくなって、葉が枯れ始めてから知ったが、後の祭りであった。
蔦を檜の幹から引き離そううとしたが、ひと筋縄でないことを発見した。蔦の蔓は、ムカデの足よろしく、いたる所から太い根をびっしりと出して、これが檜の樹皮に食い込み樹液を吸いとっていた。寄生植物のすざまじさに、改めて慄然とした。
絡み付く蔦の猛威も弁えず
風情を愉しむ? わてアホやねん!
「藪枯らし」のムカデ根を丁寧に切り取って、檜の幹はキレイさっぱりとなったが、一たび枯れ始めた檜の葉は、再び緑を取り戻さずに冬を迎えた。
檜には大変申し訳ないことをしたと云う、悔恨の念に苛まれたまま、ひと冬を過ごすことになった。
梢まで枯葉を付けたままの檜は、木枯らしにも枯れ枝を張って、じっと耐えているかに見えた。
「春になったら、ひょっとして緑の新芽が萌え出でるかも知れない」と、儚い望みを託して春を待った。
3月を迎え、4月になり、5月の末になっても変化は現れなかった。
悲しくも辛い決断であったが、伐採することにした。
このまま放置して枯れ枝が落下したり、場合によれば倒木という不測の事態をも招きかねないのは、何としても
防止せねばなるまい。
木枯しに腕を拡げてたじろがず
気概を示しぬ 檜は枯れるも
檜との別れの酒を猪口に入れ
涕堪えて鳶に注がせぬ
鳶は身軽によじ登り、手際よく枝を払って檜を丸裸にした。
クレーンのアームを目一杯に伸ばして檜を掴み、鳶は根元に腰を据えた。檜との別れの酒は既に終えているので、鳶は無言でチェーンソーを起動した。心地よい爆音を響かせて、瞬く間に伐り終えた。クレーンで天空高く吊りあげられた檜の幹は、辺りを見回し別れを惜しむかのようにひと揺れして、静に降りて来た。トラックの荷台に納めるには余りにも大きすぎて、鳶はクレーンに吊ったまま難儀な作業を繰り返した。横たわった檜は、木丈の半分以上を荷台からせり出して納まったが、このまま街中を運送出来る筈もなく、この後、更に裁断して荷台へ納めた。
伐られてもなお逞しき我が朋の
い逝く姿を誇る今日かも
鳶が伐採作業を終えた後に、切株の年輪を数えた。檜と杉の樹形はよく似ているが、成長は杉と比べれば格段に遅い。
それゆえに目が詰んで、建築資材としては格段の差がある所以だ。その程度のことは心得ている積りであったが、いざ年輪を数えようと切株の間近に近ずいて、その凋密な木目には改めて感心させられた。
慌てて老眼鏡を掛けて、改めて切株を覗き込み、ところどころ朧な木目を丹念に数えて、驚いた。
何と年輪は73にも及ぶではないか。虚庵居士が横須賀に移り住んで以来、既に30余年になるが、この檜とはそれ以来の長い付き合いであった。
檜の無くなった空を見上げれば、そこの虚しい空間が、これまでの檜の存在感を何よりも物語っているようだ。
腰落し檜の面影探しおれば
なぐさむ風情の桔梗草かな