京都・鹿苑寺では金箔を張りめぐらせた舎利殿の、絢爛たる佇まいが余りにも有名であるが故に、殆どそれ以外について紹介されないのは残念だ。
参道和総門の内には、逞しく根を張った「一位樫」が迎えてくれるが、古色蒼然たる風情には眼を奪われる。また、裏庭の苔むす松林では、絣の仕事衣とモンペ姿のオバちゃんが、晒しの手ぬぐいで「姉さん被り」をして、黙々と仕事をしていた。竹を細く削って作ったしなやかな熊手で、苔を傷つけないように細心の気くばりをしつつ、松葉を掻いていた。苔むす松林をいたわる彼女等の想いとその姿は、足利義満の時代から少しも変わっていないのではなかろうか。
更に歩を進めれば、庵に連なる枯山水に、絶えることない清流を観る思いがした。苔むす一位樫と言い、松林といい、或いは枯山水にも古人の見事な精神性が窺がえる。名もない人々によって営々と守られてきた庭園は、金閣舎利殿をも凌ぐものを語りかけているようだ。
六百年の歳月を越えて、ひたすら落葉を掻き、苔をいたわり、自然の美しさを見事なまでに惹きだし、風情を守ってきた人々の思いを、噛みしめたひと時であった。
金箔の煌めく舎利殿めぐり来れば
松葉掻きおり苔をいたわり
生す苔はながらふ命にあらねども
松葉掻く人の思いを酌みにし
水のなき枯山水に流れ観て
せせらぎ聴くかないにしえ人はも