「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「満開の蘇芳梅」

2014-02-28 00:26:54 | 和歌

 「うつろ庵」の蘇芳梅が、ほぼ満開になった。

 伸ばし放題の梢の先には、まだ沢山の莟が控えているが、これから三月末の彼岸明けまで、略一ヶ月をかけて蘇芳梅のペースでゆっくりと咲き昇り、「うつろ庵」の住人と道行く人々を愉しませてくれよう。

 普段は蘇芳梅の下から見上げるが、二階の出窓から観た蘇芳梅と、「うつろ庵」の東側の十字路の景観をご紹介する。




           常ならば見上げる梅の花なれど

           世俗が透けぬ見下ろす梅花に



 梢の殆どは、バンザイよろしく空に向かって真っすぐに小枝を伸ばすが、玄関の
屋根に肘をつくかのように曲がって、類い稀な一枝が咲き誇っていた。




           玄関の小屋根に肘をつく風情の

           小枝を誇るや梅の花々



 蘇芳梅はかなり長い期間に亘って次々と咲き続けるが、梢に咲くので手の届く高さで咲き誇る花には、なかなかお目に掛れない。 たまたま、一輪が目の高さで咲き
誇っていたので写したが、メガネを掛けていなかったので、ピントが些か甘かった。

 
 目白が小声で鳴きながら、さかんに花蜜を吸いにくるので、梅の木の下には毎朝 かなりの落花が散り敷いて、風情がある。
散り敷いた花と花弁を掃かずに留めたいところだが、その量が嵩むとみぐるしくなるので、箒で掃くのが虚庵居士の毎朝のお勤めだ。

 道行くご夫人が虚庵居士の傍で足を止め、「毎年この梅の花が咲くと、春が来た ことをおしえられますのよ」と、惚れ惚れと蘇芳梅を見上げた。見知らぬご夫人であったが、しばしの立ち話が弾んだ。

 蘇芳梅はごく稀に、梅の実を結ぶこともある。だが、小さなうちに落ちて成果にならぬのが常だ。 花を愉しませてくれるだけで十分だ、その上に何を望もうか。




           かくれんぼ遊びをするにはあらねども

           幹に隠れる一輪見つけぬ


           蘇芳梅の咲き昇る姿はそれぞれの

           小枝さえだに風情を湛えて