「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「斑入りの椿」

2014-02-26 00:29:36 | 和歌

 久しぶりに来た散歩道の脇に、「斑入りの椿」が咲いていた。

 見慣れた単色の椿と比べれば、「斑入りの椿」の花は何とも艶やかだ。 茶事に愛用される「侘助椿」などには見られない、豊満な婀娜な女性を連想させられる。

 世阿弥は「風姿花伝」に、能の世界の「花」について、あれこれと書き残している。
能に限らず、我々の日常生活やビジネス活動に於いても、「花」を感じさせることが如何に大切かを、さる会合でかみ締めた。一般人はそんな「花」の存在に気付かないのが普通だが、例えば講演会や、或いは小グループでの対話に際しても、一人でも多くの皆さんが聞き耳を立て、話しを聞こうとするか否かは、話し手の「花」に依存する。
その「花」を感じさせるには、シテの「機」が大切だと指摘し、「秘すれば花」との名文句を残した世阿弥でもある。

 「斑入りの椿」は「花」を感じさせる素晴しい椿だが、見慣れれば値打ちは半減し、過ぎれば目に余る。 願わくば、常日頃は鉢植などで人目に触れずに手入れして、
「秘すれば花」にしたい椿だ。




           目を瞠る椿の「花」かな「斑入り椿」は

           久方振りの散歩道にて


           何故ならむ世阿弥の言葉が浮かぶのは

           能の秘伝の「風姿花伝」の


           藪椿 侘助に無き艶やかな

           「花」を観るかも「斑入りの椿」に


           願わくば「秘する花」にてあらまほし

           そ文字は控えよ 観てよ見てよを


           観る者のつつしみ忘れた勝手かな

           「斑入りの椿」の 「花」に詫びせむ