「お茶摘み」の季節からは遥かに外れ、「お茶の花」が咲く季節とは思っても居なかったが、それらしき花に出合った。 朧な記憶を辿ってみたが、如何とも致し難く、取り敢えずはカメラに収めて帰宅した。
若葉を摘む頃の「お茶の葉」は、もっともっと瑞々しく小ぶりだった!
お茶の葉は、これ程に逞しかったか? これ程に濃き緑色か? これ程に葉の縁はイカツイか? お花は、もっと小ぶりだったのではなかったか? などなどの疑問が、次々に???を投げかけた。 だが咲き方は、虚庵居士の記憶と合致していた!
帰宅早々に花図鑑を繙いたら、矢張りお茶の花だと確認できた。
頭の働きが悪く、記憶力を争うことを避けてきた虚庵居士には、「お茶の花?」との 出会いで、己の人生の大半を無にして来たのではなかったか、との思いが募った。
日頃の記憶力を誇る虚庵夫人も、「お茶の花?」との問いかけに「??」だったことを悔やんでか、帰宅早々の「お薄」には、心から救われた虚庵居士であった。
ふと見れば「お茶の花?」かも背の低き
緑葉に咲く白妙の花は
今頃の寒気に咲くとは「お茶の花」か?
以前に遭ひしは 温かき頃?
茶摘み頃の葉色は遥かにみづみづし
これほどイカツイ茶葉ならめやも
俯きて茶花の咲ける面影を
いまだに追うかな年月を経て
わぎもこに茶花かと問えば目を閉じて
想いを廻らす風情ぞいとしき
帰り来てお薄をたてるその心を
おもえば救わる心地こそすれ