虚庵夫人の「あら、こんな処に珍しいお花が・・・」との呟きに、思わず覗き込んだ。
小径の脇の草叢の中に、小さなツリガネ状の薄色の花が咲いていた。ごく細い花茎がヒョロヒョロと伸びて、可憐な草花が頼りなげに咲いていた。カメラを携えていなかったのが残念だった。
記憶を頼りに、花図鑑を紐解いたが、其れらしい野草には辿り着いたものの、おぼろな記憶では「これだ」と確かめられずに、悶々とした思いだけが残った。
十日ほど経ってからカメラを手にして、再び同じ場所を探したら、小花は待ちくたびれた様な気配で迎えて呉れた。旬日ぶりの再会で、開花直後の鮮やかさが失せたように感じられたのは、気のせいだけではなかろう。
煌めくような華時を捉えて写してやりたものだが、残念ながら一寸タイミングがズレタかも
しれない。花にも人に接するにもタイミングが大切だが、人との出会いでは予定の調整ミスや躊躇いが、微妙に結果に表れるという教訓かもしれない。
萎れた花柄も残っているが、一センチにも満たない小さなツリガネ花が健気に咲き続けて、虚庵夫妻を待ってくれていたかと思えば感激だ。小径の脇の雑草と捉えれば、心に残るものは片鱗もないが・・・。
先に調べた花図鑑を更に辿って、小花が「姫沙参・ひめしゃじん」だと確認できた。
ごく小さな花ゆえに姫がつくのは理解できるが、沙参(しゃじん)とは読み方からして難解だ。更に調べたら、乾燥した根が強壮、鎮咳、去痰の漢方薬として珍重されているようだ。
可憐で頼り無げだが、気品のある姫沙参に一目惚れの虚庵夫妻であったが、よくよく調べたら沙参は種類が多く、野草の愛好家には「沙参に始まり沙参に終わる」と言われるほどだという。垂涎の愛好家には、数々の品種も売買されているようだが、草叢に咲く小花との出会いが、虚庵夫妻にとっては掛け替えのない悦びだ。
あらここに お花が咲いてとわぎもこの
指さす先に小花の一茎
頼りなくゆらゆら揺れる一茎に
薄色小花は間遠に咲くかな
野に咲ける小花にそっとまた来るねと
ささやく声に肯く素振りぞ
十日ほど間を置き再び会いに来れば
花柄残して待ちにけらしも
じじばばの訪れ遅しと野の花は
うなだれ萎れて花柄残しぬ
幾つかの花柄に会いゴメンねと
挨拶すれば 揺れて応えぬ
じじばばの「また来るね」との約束に
華やぎ保ちて小花は応えぬ