「パンパスグラス」の白穂が、秋の陽射しを浴びて耀き、風に靡いていた。
既に花穂が開いて久しいが、なかなかカメラに収める機会が無いままに過ぎて、やっと虚庵居士のカメラに納まって呉れた。
草丈は人間の背丈のほゞ2倍ほどもあるので、近くに立てば花穂を見上げることになる。澄み切った青空に、陽を浴びて煌めく白穂は感動的だ。 これ程の草丈ゆえ、住宅地の狭い個人の庭では納まりきらない。 広大な公園やゴルフ場が、彼女らの華やぎの場となる。写真の「パンパスグラス」は葉山のものだが、伊豆の虚庵居士のホームコースにも植えられていて、目を愉しませて呉れている。尤もゴルフのプレー中は、白球を追って殆ど「パンパスグラス」を愉しむゆとりはないのが実情だ。
時には、同伴プレーヤーに「素晴らしいね」などと話かけるのだが、彼らも殆どが上の空だ。
スポーツや日常生活、或いは仕事などに追われていれば、残念ながら自然の恵みも目に入らず、周りの皆さんへの細やかな配慮にも欠けることになる。ことほど左様に、草花や景色を愛でる「心のゆとり」を大切にしたいものだ。虚庵居士の様な凡人は、想い返せばその様な「見ても見得ざる」日常の連続であった。
ブログ「虚庵居士のお遊び」を書き続けているが、些かなりとも目を自分以外にも向ける鍛錬の場としたい、花などの些細な変化なども捉えられる感性を、少しでも磨けたらと念じてのことだが、「云うは易し行うは難し」で、お遊びの中で己を戒める日々である。
「パンパスグラス」は、又の名を「銀葦・しろがねよし」というようだ。
白穂が陽に煌めく様を、「しろがねよし」と名付けた古人のセンスには脱帽だ。
「パンパスグラス」の名前が物語るように、原産地を辿ればブラジル・アルゼンチン・チリなどの南米大陸の大草原(パンパス)に至る。眼を瞑り、果てしない大草原にうち靡く「パンパスグラス」を想像してみよう。想像を絶するかもしれないが、何処までも続く「パンパスグラス」の銀の穂波は、将に夢幻世界のものであろう。
眼の前の銀穂を見つめていると、いつの間にかそんな途轍もない、無限の空間に誘われる虚庵居士であった。
目を瞠るパンパグラスの花穂かも
青空を背に靡く白穂は
見上げれば秋の陽ざしに輝ける
白銀の穂のパンパグラスは
又の名を銀葦(しろがねよし)と云うとかや
いにしえ人のトキメキを訊くかも
逆光に煌めく花穂は眩しけれ
パンパグラスの誇りの程なれ
名を訊ね出自を辿ればパンパグラス
その名に留めるふるさと遥かに
目を閉じれば 大草原にうち靡く
夢幻の穂波のパンパグラスは