「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「うつろ庵の白梅」

2010-01-27 12:34:45 | 和歌

 新年早々に蕾が膨らんで、白梅が綻んだのは半月ほども前であったろうか。

 勝手なもので開花を待つうちは一日千秋の思いであったが、「綻び」をカメラに収めた安心感と、忙しさに紛れて、あっという間に半月ほども経ってしまった。年明け早々に忙しくなったのは、「シニアと学生の往復書簡」の取りまとめが、思いのほか手間がかかったからだ。




 「往復書簡」とは、原子力関連の勉強・研究をしている学生とシニアが、学生の選んだテーマについて質問と回答を重ね、率直な意見交換をした貴重な交流の成果を、書き物として残しておこうとの企画である。修士或いは博士課程の学生が、学業と研究の日程、或いは卒業論文の執筆に追われながらも、日頃から抱えてきた疑問や意見をシニアにぶっつけ、シニアは経験や長年に亘って蓄えてきた知見にもとづく熱い思いを、率直に披歴して半年余が経過した。ほぼ半世紀の年齢差を超えて交わされた「往復書簡」は、貴重な記録として残しておきたいものだ。学生が丹念に原稿を起こしてくれたので、シニアがこれを
レビューし、最低限のコメントを返す作業の段階にあるが、虚庵居士が「とりまとめ」を仰せつかって、取り仕切ってきた。

 北海道から沖縄までの十余の大学の学生と、参加シニアもかなりの数に及ぶが、この交流のイメージは、厳しい寒さをも厭わずに咲く白梅の姿と何所か重なるものがある。固い蕾、ふくらむ蕾、しべを放って清冽に咲く白梅、花の向きはそれぞれを主張して付和雷同せず。なおかつ高貴な香りを放ち・・・、などと「比ゆ」するのはチト買いかぶりであろうか。






            くれないと萌黄の衣を押し開き

            しべ放ち咲く梅の花かも

 
            梅が香の高貴なるかな数あまた

            黄金のつぶをしべは捧げて

               
            それぞれに花咲く向きのたがえるは

            確たる己を持つが故かな


            梅が香は寄りそう蕾に花ときを

            つげる語りか君の番だと