「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「京都御所 その五 五節舞・ごせちのまい」

2010-01-05 04:06:27 | 和歌

 参観の順序と写真のご紹介は逆になったが、宜秋門からほど遠からぬ「新御車寄」には、二人の舞姫が厳かに舞う「五節の舞」が、参観者の目を奪っていたに違いあるまい。





 「五節の舞」は、庶民生活とはかけ離れた祭事ゆえ、参考書をもとに若干の解説を書きとめる;

 帝が新穀を「天神地祇・てんじんちぎ」に勧め、また自らもこれを食して、その年の収穫を感謝する
新嘗祭(にいなめさい・新帝即位後最初の祭は大嘗祭という)に際して、帝の御前で舞を披露する年中
行事を「五節」という。永く宮中祭事としては取りやめになっていたが、大正年間に再興されて現代に至っているという。マスメディアの目が及ばない「やんごとなき」際の祭事ゆえ、市民の預かり知らぬ世界のこととして、受け継がれているのであろう。

 「五節」行事は陰暦十一月、中の丑の日に行われる「帳台の試・ちょうだいのこころみ」に始まり、寅の日の「御前の試」、卯の日の「童女御覧」、最終日、辰の日の「豊明節会・とよのあかりのせちえ」まで、
4日間連続して催されたという。

 「五節の舞」は、天武天皇が吉野宮へ行幸し、夕暮れに琴を奏でると、雲の中から天女が降りきて、
「乙女ども乙女さびすも 唐玉を袂にまきて 乙女さびすも」と詠じ、袂を五度翻して舞った、との故事が起源とされている。

 新嘗祭の最終日となる豊明節会は、帝が豊楽院または紫宸殿に出御して、五穀の新穀の御膳を食し、群臣にも新穀、白酒(しろき)・黒酒(くろき)を賜る儀式で、一献で国栖(くず)奏、二献で御酒勅使、三献で「五節の舞」が奏された。

 舞姫は「五節」の名の由来どおり、袂を五度翻して舞う。これが五節舞の本番で、前の3日間の儀式「帳台の試・御前の試・童女御覧」は予行演習ではあるが、いずれも帝の前での舞い故に、舞姫にとっては緊張の連続であったろう。因みに五節の舞姫は、新嘗祭では4人(大嘗祭では5人)が奉仕し、通常は公卿の娘2人(大嘗祭では3人)、受領の娘2人が選ばれ、大変な名誉であったと記されている。

 「京都御所その四」でご紹介した、釆女(うねめ)が御膳などを運ぶ「西階進御膳・せいかいよりおものをすすむ」とは、豊明節会などの節会に際して、御膳を運ぶ様を示したものであろう。公式行事の装い故に釆女も、冠を付けるのは頷けるというものだ。また御膳には、醸せる濃きささの「白酒・黒酒」が添えられていたのは、虚庵居士の期待通りであった。


               公卿・受領・殿上人ゆ選ばれて

               ごせちを舞ふ姫 四人の思ひは


               帳台と御前のこころみ 童女御覧 

               乙女ら舞ふは 厳しき試練ぞ


               乙女らの心を偲びぬ五節舞ふ

               厳しき覚悟と誉れのこころを

        
               豊明の節会の帝のこころをば

               忖度するは畏れおおくも