昨年の年末に、「学生とシニアの対話会」を
長崎大学教育学部にて、ワークショップ形式で開催したので、これに参加した。
学生との対話の前に、是非とも訪ねておきたいところがあったので、前日に長崎入りしてミゾレの中を半日ほど歩いた。
訪ねておきたいと念じていた一番目は、
浦上天主堂だ。 同宿のシニアをお誘いして、爆心地の公園に近いホテルから500メートルほどの、丘の上の天主堂に向かった。
仰ぎ見る天主堂の前に、首を飛ばされた石像
の聖人が苔むして我々を迎えてくれた。
聖堂に入るとパイプオルガンが奏でられていて
クリスチャンではない虚庵居士であるが、
何時かしらず身を清められる思いであった。
出口近くに設えられた木製の祭壇には、頬を焦がし目を失った「被曝マリア様」が祀られていた。浦上天主堂でお目にかかりたいと念じていたお姿に接し、ごく短い時間ではあったが、時空を超えた悠久のひと時を頂戴した。
天主堂を出ると、被曝直後の天主堂と「被曝
マリア様」が印刷されたポスターが、雨にぬれていた。 (2枚ともポスターの画像より)
帰宅した後も、「被曝マリア様」のお顔が忘れられず、彼方此方のホームページなどで探しもとめたが、意に適う写真を見いだせなかった。その中の一枚、"The madonna of Nagasaki"トップ頁の写真を拝借
させていただく。
天主堂からの坂道を降りつつ、「原爆投下」という人類最大の過ちを犯し、神をも畏れぬ行為に、我々は何所まで真摯に対峙してきたかと、改めて想いを致した。この思いは「人類の過ちと原爆のトラウマ」 とのタイトルで、拙稿をブログでもご紹介したが、長崎と日本の誇る永井隆博士の理念「原子力の平和利用」 と併せて、学生との対話では是非とも訴えたいものだ。(太字部は当該頁とリンクしています)
心臓を患った同行のシニアと歩調を合わせつつも、程なく永井隆博士記念館に到着した。近代建築の記念館の庭先に、二畳一間の「如己堂」が当時の佇まいで待ってくれていた。自らの放射線医療の研究で白血病に罹り、原爆で怪我を負いながらも被災者救護に当り、この狭い一間に臥せながら執筆を続け、子供たちに看守られて逝った永井博士の思いを偲んだ。
如己堂わきの金木犀の枝に抱かれて一輪のバラが氷雨にぬれていた。
苔のむすこうべを失ふひじり人の
迎えをうけぬ浦上の丘に
聖堂にオルガンの音の響きけるは
厳かなるかも信者にあらねど
思いきて被曝マリアを崇めみれば
虚ろなまなこは慈悲深くして
如己堂に遥か博士を訪ねきて
君が思ひを氷雨に偲びぬ
二畳一間 看病なされしご子息も
いまはお側か お孫に会釈す
庭に咲く冬ばら一輪とこしえの
きみが心を伝えて已まずも