「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「京都御所 その四 きざはしの・・・」

2010-01-02 00:28:42 | 和歌
 
 「源氏物語お勉強会ご一行様」が、京都御所をどの様な順序で観覧したかは定かでない。このシリーズでご紹介する写真は、虚庵居士の勝手な選択によるので、御所の配置や宮内庁ご指定の観光道順とはちぐはぐになろうかと思われるが、ご容赦願いたい。

 京都御所のなかでもっとも大きな御殿が、この「紫宸殿」だ。
帝の公式行事は専らここで執り行われていたと、ものの本で読んだ記憶が蘇ってきた。殿上人となるのは、古今東西を問わず世の人々の憧れでもあるが、虚庵居士にとっては、また別の興味がある。

 正面の扁額「紫宸殿」の書は誰によるものか知らないが、格調高い公式行事の御殿にしては誠に畏れ多い言い分だが、遊び心に満ち溢れた筆法だ。この扁額を掲げた当時の真意は、どの様なものであったか興味深いが、果たしてヒントになる書き物が現存するのだろうか。何方かご存じの向きが居られたら、ご教授願いたい。





               仰ぎみる紫宸殿の書の扁額に

               託せる思いを測りかねつも 


               瑞雲の湧き立つところかしこくも

               帝の御業を崇めてしるすや




 次の写真は、「内侍(ないし=女官)臨東檻(とうかんにのぞむ)」と言う場面で、節会(せちえ)の際、内侍が紫宸殿南東簀子上にて檜扇をかざして、大臣に昇殿の合図を送る場面だという。

 この写真では階(きざはし)に歩み寄る、大臣の長い裾(キョ)が見れないが、別の資料の写真ではとてつもなく長い裾が映っている。葵祭の近衛使や勅使代の裾を遥かに凌ぐ長さだ。勝手な想像ではあるが、「裾」の長さは、位階や帝との血縁の深さを物語る拠り所であったであろうと思われるので、或いは
光源氏の君の昇殿を模した情景かもしれない。





               檜扇をかざす内侍の心かも

               紐房ゆれるは君に焦がるや




 「紫宸殿」の「内侍臨東檻」とは反対側、西庇は「御膳宿・ごぜんやどり」とも呼ばれたと云う。釆女(うねめ・給仕などをする侍女)が、此処から御膳などを運ぶ「西階進御膳・せいかいよりおものをすすむ」の場面だ。

 源氏物語を手にしたのは略半世紀も昔のこと、おぼろな記憶では「御膳」に係わる記述を殆ど思いだせない。やんごとなき際といえども、食生活には並々ならぬ拘りがあったであろうが、世界中から食材を買い集めて贅を尽くす我々の食生活は、当時の帝の御膳を遥かに凌ぐことは、ほぼ間違いあるまい。

 しかしながら、源氏物語の時代の際だって高い宮廷文化の一端を垣間見るにつけ、この様な文明を既に築きあげていた、平安貴族の雅の世界には唯ただ嘆息するばかりだ。






               おもの捧げきざはし上るは釆女かな

               額のかんむり煌めき揺れつつ


               西の方の釆女の捧げるおものには

               醸せる濃きささ添えてあらまし