単行本版のエピデミックが出た時に、角川のPR誌に作品の自己紹介的文章を書いた。
ずっと忘れてた。
こういうのって、人に書いてもらうことの方が多くて、でも、この時はなにかの事情で自分で書くことになったのだった。
テーマは「フィールド疫学者」。エピデミックのモチベーションのところに、フィールド疫学者ってなんかすごくね?という素朴な感動があったので。
瀬名さんの「インフルエンザ21世紀」を読んで、そのことを思いだし、その文章のことも思い出したので、ハードディスクから発掘してみました。2007年の終わりくらいに出たものですね。
**********
涼やかな感染症バスターたち
国立感染症研究所をはじめて訪ね、一線のフィールド疫学者たちに出会った時、頭の中を涼やかな風が吹き抜けたような、独特の明澄感に包まれた。なんて素敵な人たち!少し話すだけで、もやもやした霧が晴れ、以前から取り組みたいと思っていた感染症小説の枠組みがはっきりと見えてきた。重症急性呼吸器症候群(SARS)の世界的な流行が終結した直後だから、かれこれ四年以上前のことだ。
簡単に用語説明しておくと、フィールド疫学者というのは「感染症の流行・集団発生時に現地で迅速に積極的疫学調査を行い、健康危機管理に対応する」専門家のことで、つまり、なにかの病気の集団感染が発生すると飛んでいって、解決をはかるトラブルバスターだ。日本ではまだ数少ないが、国立感染症研究所の実地疫学訓練プログラム(FETP-J)で、着実に養成されつつある。
日常業務としては、どこかで集団感染が発生すると(麻疹の地域流行、各種院内感染、老人ホームのノルウェイ疥癬、病原性大腸菌O157などなど……なんでもあり)、要請を受けて現地に入り、地元の保健所や病院、各施設と協力して制圧に力を注ぐ。そして、SARSや、今もっとも怖れられている新型インフルエンザがどこかで確認されれようものなら、まさに、陣頭に立つのが彼ら彼女らだ。
ダスティン・ホフマンが主役を演じた感染症映画「アウトブレイク」を思い出す人がいるかもしれない。エボラ出血熱に似た感染症に冒された町に、危険を顧みず飛び込んで、病原体を追究し、人々を救うウイルス学者の話。フィールド疫学者も、いざという時には同様に危険を顧みずに現場に飛び込んで、人々を救うのが仕事だから、たしかにあんなかんじ、といえなくもない。
ただ、ひとつ注釈が必要だ。「アウトブレイク」のウイルス学者の活躍は、映画的な演出であって、現実的にはあまりありそうにない。というのも、既知のウイルスならわざわざ現場に出ていくまでもないだろうし、未知なら未知でわずかな時間でウイルスを突き止め、抗血清やワクチンを作るなど無理だからだ。これとは対照的に、フィールド疫学者は日常的に感染症を制圧している。集団感染の現場のリアリティは、臨床家やフィールド疫学者の側にある。
そして、ぼくはある種のリアリティの中に埋め込まれている物語を掘り起こしたいタイプの書き手だ。だから、ウイルス学者が活躍する映画的な物語より、フィールド疫学者が活躍する小説の方が、ずっと好ましい。彼ら彼女らと話している時に感じるあの明澄感と、知的な興奮をなんとか掬い上げられないだろうか……。
しかし、それにしても、なぜそこまで心に響いたのか。フィールド疫学者の活動は、実は地味だ。顕微鏡をのぞくなど、素人がイメージするような「科学的」なことはせず、そのかわりに、足で稼ぎ、頭を使う。ぼくは、その地味さの中に潜む、究極の科学精神、合理主義に痺れたのだと思う。
集団感染を制圧するには、なにも病原体を特定する必要はない。それを待っていたら、どんどん被害は広がってしまう。だから、どういう感染ルートなのか、潜伏期間はどれくらいなのか、制圧のために必要な情報を手早く集める。言い換えると、目に見えない因果関係の糸をたどり、「今すぐ断ち切れる原因」を探す。緊急の時に「病原体が分からないから対策できません」では困るのだ。まだコレラ菌が発見されていない昔、ロンドンで流行したコレラを、特定の井戸からの水が感染源であると見抜いて制圧した疫学の父、ジョン・スノーからして、「できることをちゃっちゃっとやってしまえ」という精神の持ち主だった(とぼくは思っている)。
つまり、ぼくが素敵!とかんじたフィールド疫学者たちは、極端に実践的な知性の持ち主なのだっだ。彼ら彼女らの周辺では常に涼しい風が吹く。頭の回転が速くて、打てば響く。ざっくばらんで、コミュニケーションスキルが高い。まだ調査をはじめて日が浅く、頓珍漢な質問をしていたに違いないぼくの意を汲んで、一を聞けば十を返してくれたっけ。SARSの時に香港で大量の感染者を出した高層住宅アモイガーデンに調査に入った時の息詰まる体験などをきくと、「危険を顧みずに」というヒロイックな職業であることもひしひしと伝わってきたし、その時、足が震えてしまうような人間味(?)だってある。弱さまで織り込み済みで、率直に述べることができるのもある意味で「徳」だ。
というわけで、フィールド疫学小説、できました。
4年間にわたってたらたらと、書いたり書かなかったり……一時は、もう永遠に終わらないんじゃないだろうかと不安になったけれど、なんとか完成。日本全国にほんの少しはいるらしい待っていて下さった方々、やっとお届けできます。
本邦初、いや、世界初(たぶん)のフィールド疫学小説。21世紀の科学特捜隊、FET(フィールド疫学チーム)の活躍をお楽しみいただけたら、さいわいです。
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ずっと忘れてた。
こういうのって、人に書いてもらうことの方が多くて、でも、この時はなにかの事情で自分で書くことになったのだった。
テーマは「フィールド疫学者」。エピデミックのモチベーションのところに、フィールド疫学者ってなんかすごくね?という素朴な感動があったので。
瀬名さんの「インフルエンザ21世紀」を読んで、そのことを思いだし、その文章のことも思い出したので、ハードディスクから発掘してみました。2007年の終わりくらいに出たものですね。
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涼やかな感染症バスターたち
国立感染症研究所をはじめて訪ね、一線のフィールド疫学者たちに出会った時、頭の中を涼やかな風が吹き抜けたような、独特の明澄感に包まれた。なんて素敵な人たち!少し話すだけで、もやもやした霧が晴れ、以前から取り組みたいと思っていた感染症小説の枠組みがはっきりと見えてきた。重症急性呼吸器症候群(SARS)の世界的な流行が終結した直後だから、かれこれ四年以上前のことだ。
簡単に用語説明しておくと、フィールド疫学者というのは「感染症の流行・集団発生時に現地で迅速に積極的疫学調査を行い、健康危機管理に対応する」専門家のことで、つまり、なにかの病気の集団感染が発生すると飛んでいって、解決をはかるトラブルバスターだ。日本ではまだ数少ないが、国立感染症研究所の実地疫学訓練プログラム(FETP-J)で、着実に養成されつつある。
日常業務としては、どこかで集団感染が発生すると(麻疹の地域流行、各種院内感染、老人ホームのノルウェイ疥癬、病原性大腸菌O157などなど……なんでもあり)、要請を受けて現地に入り、地元の保健所や病院、各施設と協力して制圧に力を注ぐ。そして、SARSや、今もっとも怖れられている新型インフルエンザがどこかで確認されれようものなら、まさに、陣頭に立つのが彼ら彼女らだ。
ダスティン・ホフマンが主役を演じた感染症映画「アウトブレイク」を思い出す人がいるかもしれない。エボラ出血熱に似た感染症に冒された町に、危険を顧みず飛び込んで、病原体を追究し、人々を救うウイルス学者の話。フィールド疫学者も、いざという時には同様に危険を顧みずに現場に飛び込んで、人々を救うのが仕事だから、たしかにあんなかんじ、といえなくもない。
ただ、ひとつ注釈が必要だ。「アウトブレイク」のウイルス学者の活躍は、映画的な演出であって、現実的にはあまりありそうにない。というのも、既知のウイルスならわざわざ現場に出ていくまでもないだろうし、未知なら未知でわずかな時間でウイルスを突き止め、抗血清やワクチンを作るなど無理だからだ。これとは対照的に、フィールド疫学者は日常的に感染症を制圧している。集団感染の現場のリアリティは、臨床家やフィールド疫学者の側にある。
そして、ぼくはある種のリアリティの中に埋め込まれている物語を掘り起こしたいタイプの書き手だ。だから、ウイルス学者が活躍する映画的な物語より、フィールド疫学者が活躍する小説の方が、ずっと好ましい。彼ら彼女らと話している時に感じるあの明澄感と、知的な興奮をなんとか掬い上げられないだろうか……。
しかし、それにしても、なぜそこまで心に響いたのか。フィールド疫学者の活動は、実は地味だ。顕微鏡をのぞくなど、素人がイメージするような「科学的」なことはせず、そのかわりに、足で稼ぎ、頭を使う。ぼくは、その地味さの中に潜む、究極の科学精神、合理主義に痺れたのだと思う。
集団感染を制圧するには、なにも病原体を特定する必要はない。それを待っていたら、どんどん被害は広がってしまう。だから、どういう感染ルートなのか、潜伏期間はどれくらいなのか、制圧のために必要な情報を手早く集める。言い換えると、目に見えない因果関係の糸をたどり、「今すぐ断ち切れる原因」を探す。緊急の時に「病原体が分からないから対策できません」では困るのだ。まだコレラ菌が発見されていない昔、ロンドンで流行したコレラを、特定の井戸からの水が感染源であると見抜いて制圧した疫学の父、ジョン・スノーからして、「できることをちゃっちゃっとやってしまえ」という精神の持ち主だった(とぼくは思っている)。
つまり、ぼくが素敵!とかんじたフィールド疫学者たちは、極端に実践的な知性の持ち主なのだっだ。彼ら彼女らの周辺では常に涼しい風が吹く。頭の回転が速くて、打てば響く。ざっくばらんで、コミュニケーションスキルが高い。まだ調査をはじめて日が浅く、頓珍漢な質問をしていたに違いないぼくの意を汲んで、一を聞けば十を返してくれたっけ。SARSの時に香港で大量の感染者を出した高層住宅アモイガーデンに調査に入った時の息詰まる体験などをきくと、「危険を顧みずに」というヒロイックな職業であることもひしひしと伝わってきたし、その時、足が震えてしまうような人間味(?)だってある。弱さまで織り込み済みで、率直に述べることができるのもある意味で「徳」だ。
というわけで、フィールド疫学小説、できました。
4年間にわたってたらたらと、書いたり書かなかったり……一時は、もう永遠に終わらないんじゃないだろうかと不安になったけれど、なんとか完成。日本全国にほんの少しはいるらしい待っていて下さった方々、やっとお届けできます。
本邦初、いや、世界初(たぶん)のフィールド疫学小説。21世紀の科学特捜隊、FET(フィールド疫学チーム)の活躍をお楽しみいただけたら、さいわいです。
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インフルエンザ21世紀 (文春新書) 価格:¥ 1,313(税込) 発売日:2009-12 |
エピデミック (角川文庫) 価格:¥ 860(税込) 発売日:2009-12-25 |