川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

エキサイティングなPTA史(資料を追記しました)

2007-05-07 09:12:50 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
婦人公論2007年5月22日号(5月7日発売)に、PTA連載第三回が掲載されました。題して「エキサイティングなPTA史」。本当にエキサイティングなんですってば。

ついでなので、仲間内で配布した資料をここに採録しておきます。これと関連することが今回の連載では述べられています。
資料・PTAの歴史!

設立の頃(1947年から数年間)
●1947年に文部省の「父母と先生の会委員会」の設立。背後にはGHQ(連合国軍)
●49年、わずか2年で9割の設立。かなり無理をした発足。以後に禍根を残した?
●設立の目的の二本柱は、「成人教育」(父母・教師が話し合い、学び会う)と、教育環境の整備。つまり、親や教師が話し合い、よりよい保護者・教師になること。また話し合った成果を子どもに還元する、という流れ。
●社会教育関係団体であって、学校の中にありながら学校とは別の団体。(校長はPTAの上司ではなく、一会員、しばしば顧問)。独立した自主団体であることも明記される。
●入退会が自由な任意団体である。
●会社のような縦組織ではなく、すべての会員が役員もふくめて平等な民主組織。役員は「執行部」であって、決定権はない(決定するのは総会)。

ボスPTAの時代(1950~60年代)
●発足より20年間、PTAは学校後援組織だった。資金調達力にたけた地元有力者によるボスPTAの誕生。
●「PTA立小学校」という揶揄。
●まずしい時代の教員支援(給与の一部負担・通勤費の負担)。年間200億円の寄付。
●学校給食はPTAが事実上運営していた(PTAなくして、学校給食なし!)という時代。
●1967年東京都教育長通達によって、学校はPTAからの寄付を受けられなくなった(義務教育に必要なものは公費で負担する原則)。

PTA不要論(1960年代後半より)
●「後援会」としてのPTAが否定されたことで、PTAの存在意義が薄くなる。
●PTAの6つの欠陥(69年に兵庫県教員組合による)
・学級での父母と教師の話し合いが実質的になされていない、
・各段階での連合体が文部省・教育委員会と癒着し、教育行政機関化している、
・地域ボス役員がPTAの後援会的性格を温存させ、力を保っている、
・一部ボスや有力者が人事を含め学校の運営に口出し干渉するほか、進学中心の間違った教育要求をしている、
・地域社会の教育環境作りに立ち上がらない、
・父母の教育への願いを政治に反映させる事ができない

環境浄化運動の時代(1970年代より)
●俗悪番組の告発。「8時だよ全員集合」「スターどっきり秘報告」「見ごろ食べごろ笑いごろ」「ウィークエンダー」「飛べ孫悟空」「噂のチャンネル」「女子プロレス」(1977年)
●「とんがり眼鏡・ざーます口調」でプードルを連れたおばさん。PTAの類型の誕生。藤子不二雄や赤塚不二夫のマンガなど?

PTA本来の意義を問い直す(1980年代以降)
●保護者と教師が学び合うことの意義をふたたび問う運動。団塊の世代が親になることで盛り上がる。高校増設運動など。
●民主的な運営の再確認。世話人制度を採用するところも。
●子どもの権利条約との連動。PTAの活動をそこに位置づけようとする。
●今、PTAについて手に入る論説は、この時にがんばった人たちが書いたものが多い。たぶん今の世代が学ぶべきもの。

21世紀のPTA
●親睦PTA的な活動が90年代より多くなっていた背景。
●安全・安心の時代。子どもの安全をめぐって再結束。しかし、「やりすぎ」は息詰まる世界につながるというジレンマ。
●地域との協同ふたたび。
●PTCAやコミュニテスクールへの動き。