草の葉

高山村にある、緑に包まれたギャラリー

2016-07-04 17:09:30 | おでかけ



伊藤昌美さんの作品を観てきた。
初めてである。

絵画から入られた方だけあってか、
亡くなるまでの20数年間、70点余りの作陶の随所に絵が感じられた。
それは、当然といえば当然なのだろうが、
ワタシのうちに残ったものは、
あちこちにある___線___だった。


眠れない夜、暗闇に目を凝らしていたい藍の世界に眠る猫。
不思議な感覚にとらわれる赤い線、黒茶の線の小さな花活け。
黒地に大胆な土蜘蛛の糸が絡みつく大きな花入れは、
今なら真っ白いアジサイをたっぷりと放り込みたい。
鳥渡る空を引っかくのは雨なのか、それとも風なのか、
はたまた、雲から漏れる薄日なのだろうか。
そして、
DMで見たとき、一瞬、鉄かと思った黒陶のラクダの群像でさえも。
線、線、線、線を感じた。






それら一つ一つをゆったりとした足取りで見ていると、
クレーの絵に促され書いたという、谷川俊太郎の詩が浮かんできた。


     おのずから
     線は繁茂し
     無をさえぎった

     文字はほどけ
     その意味するところの
     ものに帰る
  

    
伊藤さんは、何を見ていたのだろうか。
今となっては聞こうにも聞けやしないが・・・・


     緯度はほどけ
     新しいフローラが
     世界をおおう

     けれどほどいても
     ほどいても魂は
     もつれたまま・・・



いや、たとえ生きておられても、
それを聞くことはできないのかもしれない。
言葉では・・・・






雨の言葉

2016-06-29 17:12:03 | 山の暮らし
あれは夢だったのだろうか。
思わず、以前のブログを開いてみた。
2010年11月14、そして15日と。
ああ、確かに豊かな時間はあったのだ。

あの時のピアニスト、志村さんがひょっこりいらした。
そして、自主制作のCDを置いていってくださった。

志村さんが作られた曲。
たゆみなく雨ふる夕暮れに聴いてみる。
志村さんの静かなピアノの音の上を、お嬢さんの伸びやかな声が歌う。



      わたしがすこし冷えているのは
      糠雨のなかにたったひとりで
      あるきまわっていたせいだ
      わたしの掌は 額は 湿ったまま
      いつかしらわたしは暗くなり
      ここにこうして凭れていると
      あかりのつくのが待たれます

      そとはまだ音もないかすかな雨が
      人のいない川の上に 屋根に
      人の傘の上に 降りつづけ
      あれはいつまでもさまよいつづけ
      やがてけぶる霧にかわります・・・・

      知らなかったし望みもしなかった
      一日のことをわたしに教えながら
      静かさのことを 熱い昼間のことを
      雨のかすかなつぶやきは こうして
      不意にいろいろとかわります
      わたしはそれを聞きながら
      いつかいつものように眠ります
      
            ____ 立原道造『雨の言葉』____     




あの時は思った。
ひとりひとりに在る
それぞれの豊穣なる時。

だが、今は思う。
その時が、キミには在るのだろうか。
そして、
ワタシにも・・・・


今が、
それに繋がるひとつの時であってほしいと願い、祈る。





               

          ぽつぼつぼとぽつ、ぼつぼとぽつぼつ・・・・
          「木々の、花々の、作物の
          いつか来る豊穣の時を、私は知っているのだよ」と、雨がつぶやいた。。



花ざかり

2016-06-22 18:18:47 | 山の暮らし






    たえまなくあちらこちらへ
    花盛りの枝が風に揺れ動く
    たえまなく ゆらゆらと
    私の心が子どものように揺れ動く
    晴れた日と曇った日のあいだを
    欲望と諦めのあいだを。

    花々が風に散って
    枝が実をつけるまで
    心が幼年期に飽きて
    おちつきを得て こう告白するまで
    不安にみちた生のたわむれは
    喜びにみち むだではなかったと。

       ___ヘルマン・ヘッセ『花盛りの枝』___




このあいだまで、満開を誇っていたヤマボウシやナツロウバイは、
今、あちこちで次々と咲いては散るシャラに時を譲り、
その一連の営みは、
毎日、ワタシを飽きさせない。

緑の丸く硬い小さなものが、
白く光沢のある、そう大きな真珠のようになったかと思うと、
ある日、ほわっと気品のある白い花びらを開かせている。
そして、
知らぬ間に、それはぽとりと地に落ちている。
音もたてずに。

その潔さを、
ワタシは飽きもせずに眺めている。
淡々たる営み。
しだいに、穏やかさがワタシの心を領してゆく。


これは、
こんなことは、なんでもないことなのだと。




 
 
 
 
 






             今、わが庭は花盛り。

             ジューンベリーは、
             今年もたくさんの実を付けた。
             鳥もワタシも食べきれないほど。
             ジャムにでもしようかな。。

ザンネン!

2016-06-10 11:25:14 | 山の暮らし
ウォーキングを終え、もうすぐ、ウチ。
と、
なんだか我が家の前が物々しい。
警備員に聞くと、電柱を立てているとのこと。
えっ!
急いで家に向かうと、あらあらあらあら・・・・







9年前、この家を建てるにあたって、
建築家は、あえて西向きに。
それは、
ワタシが、いつも座る場所からの景色が一番美しいから。
でも、そこからの眺めに邪魔なものがあった。電柱だ。
そこで、
ワタシは、電柱が隠れるようにすぐにブナの木を植えてもらった。

ああ、それなのに、それなのに。

今日、その電柱の横にもう一本の電柱が立ってしまった。
悲しいったらありゃしない。


先日、
ここらはAUの電波が届かないというので、電柱を立てるという業者が回ってきて、
ウチの敷地の話も出たが、もちろんNO.
結局、ウチから離れた場所を検討しているといわれ、ほっとしていたのに。




      9年経つと、周りの木々はぐんと伸び、
      道を隔てたナラの木々が邪魔をし、
      確かに、向こうの小野子山の姿は4分の1位しか見えなくなってしまってはいるのだが・・・・

      それでも、ナラの木はいつか切ってくれるかもと淡い期待もあったが、
      電柱は・・・・

      残念、残念、残念。。



     

御巣鷹山

2016-06-08 09:46:34 | おでかけ
あまたの碑の林立する中を歩いてきた。


木があった
風があった
土があった
言葉がなかった

31年が経とうというのに

黒く焼けた大木があった
魂に寄り添う風があった
悲しみを抱く土があった

そして
押し殺した言葉があった


あれから31年が経とうというのに













慰霊の登山を待っていたかのように当地も梅雨に入った。

今年はどうしたことか。
いつまでも寒さが抜けきらず、ストーブの掃除ができずにいる。


霧に覆われた今日は、
薪ストーブの前で、グリュミオーのヴァイオリンをノイズの入ったレコードで聴いていたが、
突然途切れた人生のひとつひとつ、あの日を想い、切なくなってしまった。

     武満徹のノヴェンバーステップスにしよう。。



       
          ゆうぐれの陽のなかを
          三人の児が
          ななめの畑をのぼってゆく
          みていれば なきたい
              〇
          ああちゃん!
          むやみと
          はらっぱをあるきながら
          ああちゃん と
          よんでみた
          こいびとの名でもない
          ははの名でもない
          だれのでもない
             ____ 八木重吉「ことば」____









        


合わない靴

2016-06-04 17:25:49 | 山の暮らし



わざわざ東京まで出かけ、
しかも2時間もかけて補正をしてもらったというのに・・・・

足の指骨折のリハビリに通っている病院で相談したら、
理学療法士が、あちこちに変なものを張り付けて改めて補正をしてくださった。
見た目が・・・・と躊躇したが、
履けないよりはマシかと。

なのに・・・・
やっぱり靴擦れで履けない。


このところ、どうもついていない。

お金をかけて、時間をかけて、
ジュエリー作家にオーダーしたピアスも片方なくしてしまった。
この小さな家、落としたところは限られている。
散々探したが見つからない。

モノを買うなということか。


    というので?
    今回、真〇テキスタイルの緑の素敵なストール、
    諦めたヨ。。

ぬげた靴

2016-04-15 19:09:44 | 雑感
午後8時ころには布団に入るワタシが、
携帯のメール音で目が覚めた。10時半。
「熊本では、みんな無事か?」
何をネボケたことを言ってるのだ。夫は。
と、首を傾げること数分。
またなぜ、こんなメールを・・・・えっ!もしかして。
と、テレビをつけて驚いた。
わがふるさと、熊本に大地震!!

慌てて、安否確認をと思ったが、
すでに、息子や娘が、祖母や叔母に電話やメールをしていたようだった。
何にも知らずに寝ていたのは、ワタシだけ。


なかなか通じなかったが、
今朝になって、母とも連絡がとれ、ほっとする。
一年余前、ホームに入ったのが幸いだった。
もし、それまでのように、ひとり暮らしのままだったらと思うと・・・・
スタッフの少ない夜のホーム。
しかも介護の必要な人が多いようだ。
その中で唯一?元気で、しかも世話好きの母は、
スタッフかと見間違うほど動き回っていたようだが・・・・
それでもやはり、ワタシの声を聴くと涙声に。
冷蔵庫もタンスも吹っ飛んで、部屋はめちゃめちゃで、放心状態のようで・・・・
あの気丈な母がと思う。
相当な恐怖だったのだろう。

余震は続くし、これからも大変だろう。
すぐに駆けつけることもできないもどかしさの中、
「助けが必要な時は言ってね。」と、妹にメールしたものの、
なんて間の抜けなことをと、自嘲する。
一体、ワタシに何ができるというのだ。
母も妹も今まで一人でしっかりやってきたひとだった。
いつも助けてもらっているのはワタシ。
なあんにもできやしないのに何を言っているのだ。



        慌てて外に飛び出したら、
        小石につまずき、靴が脱げてしまった。
       
        履きなおすこともせず、
        為すすべもなく、ワタシは突っ立たままでいる。。
     






返信_____幸福

2016-01-31 11:53:12 | 雑感




  幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎ捨てることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である。


三木清は、『人生論ノート』で
幸福について、
人格は地の子らの最高の幸福であるというゲーテの言葉を引いて、幸福になるということは人格になるということであると云っている。

      
   
三木清の次の言葉を
あなたへの返信とします。

      機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現われる。
      鳥の歌うが如くおのずから外に現われて他の人を幸福にするものが真の幸福である。


      幸福は徳に反するものでなく、むしろ幸福そのものが徳である。
      もちろん、他人の幸福について考えねばならぬというのは正しい。
      しかし我々は我々の愛する者に対して、自分が幸福であることよりなお以上の良いことを為
      し得るであろうか。



そして、これは、
涙で霞んだ眼に
陽に照らされた雪の白さがまぶし過ぎて、
今日は一日、鈴木重子さんのCDを聴きながら過ごしているワタシ自身への言葉でもあります。
ありがとう

みち

2016-01-20 14:26:48 | 山の暮らし
遠い道でも大丈夫
一歩づつ
途中に花も咲いてるし、鳥も鳴くし
と、Tさんは言う。

でも・・・・
その道が
ワタシには見えないのだ。




                    ::::



暖冬だ、暖冬だといわれていたが、
このまま済むはずはないとは思っていた。
それにしても、ひどすぎる。

先日の雪で、ココは50cm以上積もった。
車は半分が埋まってしまい、
3時間かけて道に出られるだけの雪かきをした。
そして、
昨朝、恐る恐る運転し幹線道路に出てみたものの、1kmほどでギブアップ。
ガリガリ凍ってハンドルの取られる道は、ワタシの運転技術ではムリ。
泣きべそをかきながら、Kに助けを求め、Uターンしてもらいウチに引き返した。
それでも、
昼間の天気で硬くなった雪も少しずつは融け、
明日になれば良くなるだろうと思っていた。
なのに、
今朝起きたら、また、雪。
どんよりした空の色は、家の中まで入り込んでいて、
雪かきした道は消えてしまっていた。

100年に一度といわれた一昨年の大雪とまではいわないが、
ワタシがココにきてから、それに次ぐ雪の深さだ。

「高山は寒さは厳しいけれど、雪は大したことないのよ。
一シーズンに20cm位が2度ほどかな」
なあんて、聞く人ごとに豪語していたけれど。
もう言いはしない。




            ひとばんのうちに
            すべてのみちがきえてしまった!
            おおきなみちもちいさなみちも
            まっしろなゆきのしたに

            みぎもないひだりもない
            まえもなくうしろもない
            どんなみちしるべもちずもない
            どこまでもひろがるしろいせかい

            どこへでもゆけるそのまぶしさに
            こころはかえってたちすくむ

            おおぞらへつづくひとすじのあしあとを
            めをつむりゆめみながら

                ____谷川俊太郎「みち」____




                       ::::




先日、飯岡千江子さんの個展を見てきた。
「迷路」と題された作品の前で足が止まる。
真ん中に、眼球が一つ。



どこを歩けば、目的地にたどり着くのやら。
右へ行って、いや違うと引き返し、左に行っては、こんなはずではと引き返す。
それではとばかりに前に進んではみるが、困ったことにすぐにそこは行き止まり。
もう今更後ろには行けやしないのだけはわかっている。
そんな迷路をぐるぐると、もうどのくらいほっつき歩いたか。

もしかすると、
もともと、ゴールなどないのかもしれない。

と、思った途端、
道そのものが消えてしまっていた。
道はどこにあるのか。
ワタシの右なのか?左なのか?前なのか?後ろなのか?
目をつぶり、
見えない道を一生懸命頭の中で思い探す。
そして、
心はいつしか疲れ果ててしまう。





         時に、ごおっと風を誘い
         霏霏の雪は、
         すべての道を消してしまった。

        「いつまでも
         ここにたどり着くことはできないのだ」と、眼球が囁いた。

         
           
  
    

摂理?

2015-12-31 20:41:11 | 雑感



             ものなべてうらはかなげに
             暮れゆきぬ
             とりあつめたる悲しみの日は
                  ____石川啄木____





思念は溢れど、言葉にできず、
ましてや、
文字にすることなど、到底できるはずはなく、
それでも、
この重苦しい日々も、
確かにワタシの生きた時間だったのだと。


静かに暮れゆく今に
それだけを記す。





I proud you

2015-11-29 15:47:45 | おでかけ
 





波立つものが
しばし静まり
こころ穏やかなひと時であった。



昨日のバイオリンコンサート。

長年のウィーン留学を終え帰国したバイオリン奏者は、
娘が、7歳から10年間ジュニアオーケストラでともに活動したSさん。
カノンや、G線上のアリア。
どれもこれも懐かしい。
教会、
そして、クリスマスも近いということで、
複数ものアヴェ・マリア、讃美歌なども。
そうそう、
娘が8歳の時の発表会の演目、タイスの瞑想曲もあった。


素朴で静謐な空間を
オルガンとバイオリンの音色が優しく包む。

I proud you


一切の桎梏を
しばし解かれ
こころしなやかなひと時であった。


      I proud you     
      I proud you

      何度も心の中でつぶやきながら帰途に就く。
 
      目の前の山際には
      寂光の夕陽
      明日は晴れるかな。


      いつかは、
      いつかは・・・・
      晴れるかな。
      
        アーメン

2015-11-08 14:08:38 | 山の暮らし
          秋になると
          なにもかも忘れてしまって
          うっとりと実ってゆくらしい
               ____八木重吉____



          

果物の中で一番、柿が好き。
と、言っていたからだろうか。

あちこちからいろんな種類の柿がどっさり届く。
一日に、5,6個は食べている。
食べ過ぎ?


そんなに好きなら、
柿の木、植えたらいいじゃない?
となるのだろうが・・・・

残念ながら、
ココでは、渋柿になってしまうらしい。
あまりの寒さで。



     




                 それにしても
                 どれもこれも
                 艶やかで凛々しい面立ちだ

Love begins with a smile.

2015-11-04 15:30:38 | 雑感



こころの中に抱え込んだ苦しみ、哀しみ、恐れ、不安、心配、憂鬱・・・・

どうしていいのかわからない迷いを抱えながら、
夢中で言葉を探す。
神谷美恵子、マザー・テレサ、シスター・ジャンヌ・ボッセ、シスター渡辺和子・・・・



蒼穹の下
まがまがしさを振り払い
拾ったものは____

___自分の一生の時間なんて、悠久たる永遠の時間から切り取られた、ごく小さな一部分
___からだにとって空気や水や食物が必要なのと同様に、こころにには生きる喜びが必要
___たとえ心配なことがあっても、なるようになると思って気にしない
___今日、生きていることに改めて感謝しよう
___心配の種はいろんなところに落っこちている。間違って拾ってしまっても、それを養わないように
___不安に感じることが起きても、自分の力で解決できないとわかったら考えすぎない
___自分の命を精一杯生き続けることに大きな意味がある
___自分の存在を喜んでくれる人がいることに気づけるよう
___変えられないことをいつまでの悩んでも仕方ない。前に進むために目の前にある現実を受け入れる
___悩みに対する心の持ちようをかえてみる
___物事がうまくいかないときに笑顔でいると、不思議と問題が解決することがある
___何もできなくてもいい。ただ笑顔でいよう
___倒れても立ち上がり、歩き続けること





               Yesterday has gone.
             Tomorrow has not yet come.
             I have only today.
              Let me start now.
              Smile Smile Smile.



              その日に
              大きな笑顔を向けられるよう
              とにかく今から
              スマイル スマイル スマイル



中之条酒蔵展

2015-11-02 16:03:07 | おでかけ




一日中、雨の降るがたがた寒さの日だったが、
恒例の酒蔵展へ。
メンバーが何人も代わっていた。
いいなぁと思う新メンバーの作品が収穫。
それに、
常連Sさん、お会いできできなかったけれど、
吸いつけられるように、作品見せていただいきましたよ。
これから、どんなふうに変遷していくのか楽しみ。。

へんし~ん

2015-10-30 14:02:54 | 山の暮らし




             母はとってもおしゃれな人だ。
             だが、
             ネックレスやイヤリング、
             そして、指輪などを身に着けた母を
             ワタシは、一度も見たことがない。




                    ::::



             そんな母が          
             なぜか、指輪をくれた。
             もう40年も前になろうか。


美しいものが好きで、
アンティークや作家もののアクセサリーを集めてはいても、
ワタシも同じく身につけることはなかった。

それに、コレ、
いかにも古臭くて、2cm以上もあって仰々しい。
それに、大したものでもないだろうし、
かといって、捨てるのもイヤだしと、
長年、そのまま引き出しの奥深く眠っていた。


のだが・・・・


最近のピアスデビューに伴い、
持っていた真珠のイヤリングが気になり思い始め、
ジュエリー工房で、ピアスに加工してもらった。
その際に、
件の指輪を相談したところ、
「コレは、合成アレキサンドライトといって、モノ自体は高いものではないが、
結構、今では貴重なものだし、金属部分はK18だから、思い出として創り変えたら」と。
リングのサイズを小さくしても、指輪はしそうにもない。
まあ、ブローチなら、着ける機会もあるかもしれないとも思ったが、
店主は、ペンダントを勧めた。
そういえばK18のチェーンを持っていたなぁ。


というわけで、
これに変身したのだ。


リングの部分で新たに、バチカンと裏を補強。
くすんでいた金もピッカピカに。

さてさて、ワタシが早速、身に着けるかどうかは別にしても、
いやいや、クラシカルで、
まあまあ、いいじゃない!?


母に見せたら何というかしら?
まず、贈った本人、覚えているかしら?
身に着けた姿を見せたい。
けれど・・・・

お互い歳を取って、
会える時に会っておかないと、
と思いつつも、
もう5年近くも帰省できないでいる。




               輝きを取り戻した赤味を帯びた紫の光の中に、
               ワタシの知らない若き母の姿を想像してみる。

               いつ、会えるだろうか。


               それまで、
               せめて、
               また、こうしてたまには着けてみましょ。。