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『ワカタケル大王』を読んで

2016-02-02 | 読書

『ワカタケル大王』を読んで


黒岩重吾 著 『ワカタケル大王』(文芸春秋社 発行) を読んで、
その世界を地図にしてみました。

地名を増やし、河川名を加えれば、もっとその世界がはっきりしてきますが、
今日はこの辺で・・・

B5判 600頁ぐらいの分厚い本で、読み切るのにひと苦労しました。


5世紀半ばの大王で、允恭天皇の末っ子、後に雄略天皇と呼ばれています。

この本は、ワカタケル王子が大王に成るまでの、権謀術数の数々を物語ったものです。

特に感じたことは、


仁徳天皇稜に代表される巨大な前方後円墳の存在です。

以前、私は百舌のこの稜の後円部の前に立ったことがありますが、
その、巨大さに、唖然とした覚えがあります。

 

「倭の王族や有力者達は、百数十年にわたり、大和や河内に、巨大な墳墓を作っている。
百丈級(300m)の墳墓を作るのに、延べ数万の民で数年かかる。  
この労役の民は、半数はこの地域の農民で、ほかは服従した国の奴らしい。」

大変大きな力がないと、これだけの人は動かせません。
 

「大王家や王族の威厳を民に知らせるのは、
墳墓の巨大さが一番。

昔は、大きければ大きい程、神に近づくという信仰もあったそうだ。
大きな墳墓は権威の象徴として考えられている。
それは海に囲まれてる国のせい。
陸続きであったら、いつ敵が攻めてくるかも知れず、
のんきに墳墓など作っておれないはず。

これは権力の誇示。
しかし、時が経つに従い、
権威の象徴は別のものに代わるだろう。」

 

「倭の島々が大和の王の下に纏まったのは、
卑弥呼女王の神託、宗教が最も新しく、優れていると
諸国の王に認められたから。
祭祀的な威光に百余国が纏まったわけ。
朝鮮や中国が、宗教よりも政治的な力によるのと違います。}

 「四世紀の王は祭政一致で神の意が大事であった。

五世紀の『倭の五王』の辺りから、政治の主導権は大王に移った。
神は豊作を念じたり、吉凶を占うくらい。」

 「倭の王権は漸く司祭者よりも武力の大王が必用であると知り、
新しく樹立した河内の王権は、国内の統一の必要を痛感した。」

「五世紀の応神・仁徳王朝といわれる倭国の大王は、国内統一戦を使命とした。
四世紀に比べると武力の大王である。ただ専制大王はいない。
まだまだ力をもっている地方の豪族がいる。
今、王権が二つに割れて戦うと、地方の豪族が動揺する。
毛野国、越国、吉備国、筑紫国など・・・」

 話が、前後してるが、要するに

前方後円墳が造られた意図、その力で田畑を開墾したほうが・・・
倭の国は、まだまだ統一されておらず、
せいぜい大和一円のみが支配下、
葛城、河内、それと、毛野、越、吉備、筑紫など、
面従腹背の国々に取り囲まれていた。

そこに、大化の改新が必用であった。、