『心』と『技』と『体』、つまり、心技体の中で、心がなぜもっとも重要視されるのか?
『心』の本質とは何か?
心のあり方は、目的そのものを決定させるものです。つまり、目標設定とは、心のあり方が決めるものなのです。目標設定を言い換えると、志の設定なのである。
『技』の本質は、目的を達成するための手段なのです。
つまり、『心』が目的、『技』は手段。。
しかしながら、『心』は、目に見えない、『技』は目に見える。
人間は、目に見えるものを重視しがちになり、見えないものの中に、本当に重要なものが隠れていてもそれに気づかない。従って、これに気づいた人は、見えないものの中にある重要性を説き続けなければならない。
ある意味、宗教もこれと同じ原理である。『気づいた人』は、『いまだ気づいていない人』に気づかせる義務が生じるのである。従って、布教とは、『気づいた人』の使命となるのである。
私自身は、宗教的な意味で『気づいて』いるのではない。(誤解がないように・・)
経営の本質とは、生き方の本質と同じであると気づいただけである。
『心』が重要なのである。そして、その本質が『志の設定』であれば、『志』は高くなければならない。
『技』の本質が、手段であれば、もっとも有効な手段にするために、研ぎ澄まさなければならない。
従って、
『心』は高めるものであり、
『技』は磨くものなのである。
心のあり方が全てを決めてしまうのである。
『心』の本質とは何か?
心のあり方は、目的そのものを決定させるものです。つまり、目標設定とは、心のあり方が決めるものなのです。目標設定を言い換えると、志の設定なのである。
『技』の本質は、目的を達成するための手段なのです。
つまり、『心』が目的、『技』は手段。。
しかしながら、『心』は、目に見えない、『技』は目に見える。
人間は、目に見えるものを重視しがちになり、見えないものの中に、本当に重要なものが隠れていてもそれに気づかない。従って、これに気づいた人は、見えないものの中にある重要性を説き続けなければならない。
ある意味、宗教もこれと同じ原理である。『気づいた人』は、『いまだ気づいていない人』に気づかせる義務が生じるのである。従って、布教とは、『気づいた人』の使命となるのである。
私自身は、宗教的な意味で『気づいて』いるのではない。(誤解がないように・・)
経営の本質とは、生き方の本質と同じであると気づいただけである。
『心』が重要なのである。そして、その本質が『志の設定』であれば、『志』は高くなければならない。
『技』の本質が、手段であれば、もっとも有効な手段にするために、研ぎ澄まさなければならない。
従って、
『心』は高めるものであり、
『技』は磨くものなのである。
心のあり方が全てを決めてしまうのである。
体はどのようにするものなんですか?
心技体の内心技は書いていますが体については書いておりません
そのためには、『体』は鍛えるものになるのでしょう。
『心技体』の話を相撲で考えると・・
元々、力士になる人は、子供のころから体が大きく、友達と相撲をすれば、当然勝ちました。
つまり、相撲で勝つには、『体が大きいこと』『体が一番』という価値観がしみこんでしまいます。
さらに、相撲倶楽部や柔道部などにはいると、益々、強くなっていきます。このときの価値観は、『体が一番、技が2番』となります。
アマチュアのうちは、これでよいのですが、いざ、プロの道に入ると、体も大きく、技もある人ばかりとの勝負になります。
ここで、根本的に価値観を変えないとプロにはなれません。つまり、今までの価値観は、
①体 ②技 ③心は無関心
しかし、プロは、①心(精神力・哲学・プロマインド)②技 ③体 の順に重要性を逆転させなくてはならないのです。
プロを目指す力士に最初に教えることが、プロとしての考え方であり、一言で言えば、『心技体』となるのです。
経営で言えば、『体』の部分は、力士ほど重要視されないので省略して解説しました。もっとも、上記の話は、この解説を知っている人であれば、必要なかったかもしれません。