映画 スティーブ ジョブズ見ました
初日に見たのですが、数日が経って改めて自分を動かすエンジンについて考えました。
スティーブは両親の宗教が異なる事から結婚が許されず
かつ 望まれて生まれたわけでもなく
そのため、生まれる前から養子に出されることが決まっていました
これが、かれの人格形成と完全主義を作ったのでしょう
映画のキャッチに使われた
最低の人間が最高の物を作った
とありましたが、これはまさに原因と結果の法則とも言えます
先日 アフリカにいった時に、当社のインド人スタッフが一足先にこの映画を見ていたらしく
ジョブズは私に似ていると言っていたのでどこが似ているかと考えて見ましたが
人に対する関心が薄く、常に自分勝手なところはまさにそっくりというか、スティーブは、それ以上でしょう。
特に、自分の子供を認めないところなど、子供の頃、親からの愛情不足のある人の特徴的行動であり、
私は足元にも及びません。
しかし、この映画を見て、自分自身が持つエンジンとその欠点についても明確になりました。
私自身、スティーブに似た人格異常で人格破綻した部分があることは否定しません。
そもそも、創業経営者はそのような普通ではない人が非常に多いと思ってます。
私の場合、おそらく、ADHDでもあると思います。
子供の頃、じっとしていることができなくて、いつも授業中に騒いでいました。
小学校の時の恩師にも将来、どうなるかと思っていたと、つい数年前に言われまた。
その頃の自のことを思えば、今はかなりマトモな人間になったと思います。
学びによってある程度は繕うことができます。
さて、ADHDはともかく、私の人格は兄との関係において作られた事がこの映画を見てはっきり分かりました
私には学年で9歳上の兄がいます
農家の長男なので最も期待されたのでしょう
これに対して私は、農家の次男として最も不要な存在なのかもしれません
実は後から知ったのですが、私と兄との間にもう一人いたそうです。
当時は家計も苦しく間引きされたそうですが、祖母に知らせず行ったため、それを知った祖母は、大激怒し、
結果として私が陽の目を浴びました。
お陰で末っ子として母親の愛情は独占して、とっても甘ったれな内弁慶として育ちました。
しかし、常に兄とは比較され 次男である自分の運命を思い知らされたことが
小学一年になる時に起きました
普通、小学一年生になる時には、全てが新しくなります。
新しい洋服、新しいランドセル
そして、新しい机、、、
一足先に新しい机を買ってもらった友達はみんな自慢げに見せてくれました。
それはみな、宇宙船のコックピットのようであり、小学生になることに私も胸を膨らませていました。
自分にはどんな机が来るのか、、、、
しかし、自分には机は来ない事を親から知らされました
新しい机は、九つ上兄が高校一年になるお祝いに兄にいくというのです。
そして、私の机は兄のお古という訳です
今まで兄のお古ばかりきていても全く気になりませんでしたが、机だけは本当にショックでした
兄は小学一年性になる時に新しい机をもらい、さらに高校一年生になる時にも新しい机をもらうのです。
私は全てお古です
なぜか?私が次男だからです
これが私の運命なのです。
この運命に逆らうかのように私には、兄に対して競争心が芽生えました
兄より良い高校、良い大学、良い就職先を目指したのだと思います
私のエンジンは、この競争心だったのです
そして、これが数多くの弊害を産んだのです。
私の人格異常はこうして形成されたのです。
初日に見たのですが、数日が経って改めて自分を動かすエンジンについて考えました。
スティーブは両親の宗教が異なる事から結婚が許されず
かつ 望まれて生まれたわけでもなく
そのため、生まれる前から養子に出されることが決まっていました
これが、かれの人格形成と完全主義を作ったのでしょう
映画のキャッチに使われた
最低の人間が最高の物を作った
とありましたが、これはまさに原因と結果の法則とも言えます
先日 アフリカにいった時に、当社のインド人スタッフが一足先にこの映画を見ていたらしく
ジョブズは私に似ていると言っていたのでどこが似ているかと考えて見ましたが
人に対する関心が薄く、常に自分勝手なところはまさにそっくりというか、スティーブは、それ以上でしょう。
特に、自分の子供を認めないところなど、子供の頃、親からの愛情不足のある人の特徴的行動であり、
私は足元にも及びません。
しかし、この映画を見て、自分自身が持つエンジンとその欠点についても明確になりました。
私自身、スティーブに似た人格異常で人格破綻した部分があることは否定しません。
そもそも、創業経営者はそのような普通ではない人が非常に多いと思ってます。
私の場合、おそらく、ADHDでもあると思います。
子供の頃、じっとしていることができなくて、いつも授業中に騒いでいました。
小学校の時の恩師にも将来、どうなるかと思っていたと、つい数年前に言われまた。
その頃の自のことを思えば、今はかなりマトモな人間になったと思います。
学びによってある程度は繕うことができます。
さて、ADHDはともかく、私の人格は兄との関係において作られた事がこの映画を見てはっきり分かりました
私には学年で9歳上の兄がいます
農家の長男なので最も期待されたのでしょう
これに対して私は、農家の次男として最も不要な存在なのかもしれません
実は後から知ったのですが、私と兄との間にもう一人いたそうです。
当時は家計も苦しく間引きされたそうですが、祖母に知らせず行ったため、それを知った祖母は、大激怒し、
結果として私が陽の目を浴びました。
お陰で末っ子として母親の愛情は独占して、とっても甘ったれな内弁慶として育ちました。
しかし、常に兄とは比較され 次男である自分の運命を思い知らされたことが
小学一年になる時に起きました
普通、小学一年生になる時には、全てが新しくなります。
新しい洋服、新しいランドセル
そして、新しい机、、、
一足先に新しい机を買ってもらった友達はみんな自慢げに見せてくれました。
それはみな、宇宙船のコックピットのようであり、小学生になることに私も胸を膨らませていました。
自分にはどんな机が来るのか、、、、
しかし、自分には机は来ない事を親から知らされました
新しい机は、九つ上兄が高校一年になるお祝いに兄にいくというのです。
そして、私の机は兄のお古という訳です
今まで兄のお古ばかりきていても全く気になりませんでしたが、机だけは本当にショックでした
兄は小学一年性になる時に新しい机をもらい、さらに高校一年生になる時にも新しい机をもらうのです。
私は全てお古です
なぜか?私が次男だからです
これが私の運命なのです。
この運命に逆らうかのように私には、兄に対して競争心が芽生えました
兄より良い高校、良い大学、良い就職先を目指したのだと思います
私のエンジンは、この競争心だったのです
そして、これが数多くの弊害を産んだのです。
私の人格異常はこうして形成されたのです。