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末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

深大寺 その1

2013-06-19 08:15:32 | 
神代植物公園散策の後、これも前々から一度は行きたいと思っていた

深大寺にご夫妻が連れて行って下さいましたので、その時の写真を掲載します。

深大寺の主たる建物は下記の図(調布市観光協会HPより借用)の通りですが

今回はお参りをしただけですので、見なかった場所も沢山ありますが

インターネットの情報を利用して、少し細かく紹介します。


深大寺の主たる建物

植物公園は図の直ぐ上にあるため

深大寺の裏手門にあたる乾門より入り境内に入りました。

乾 門

境内では元三大師堂、本堂にお参りして、その付近を少し見廻った後

正面門の山門から其の前にある深大寺通りに降り

お蕎麦屋さんでお蕎麦を食べました。


深大寺について

深大寺は東京都では浅草の浅草寺に次ぐ古刹で

かっては多摩地方一帯から川崎にかけて 三十をこえる末寺を有した

天台宗の寺院であり、日本三大だるま市の一つで知られています。

なお神代植物公園は旧寺領でした。

沿 革

天平5年(733)に法相宗の寺院として満功上人(まんくうしょうにん)が開山し

859年に天台宗に改宗しました。

1646年と1865年に火災に遭って建物の大半を失っており

現在の本堂は大正年間に再建されたものです。

この地は天平時代、深沙大王の霊地とされており

豊富な泉水は昔この地に住む人々の心に水神信仰をもたらしていました。

なお深沙大王は仏教の守護神の一人で、玄奘三蔵が旅の途中

砂漠で一滴の水を得ることができず息絶えようとしている時

流砂の中より現れて護ったと伝えられる神です。

そして満功上人が750年に深沙大王の像をこの寺に安置したため

「深沙大王寺」と呼ばれ、それが縮まり

何時の頃からか「深大寺」という名に変わりました。

元三大師堂

元三大師堂

大師堂は本堂とならび、古来より深大寺の中心的役割を果たしていた建物で

慈恵大師(じえいだいし)=元三大師(がんさんだいし)像を安置しています。

この像は高さ2mに近い大像で秘仏となっており、拝観することはできませんが

25年に一度、御開帳の行事が行なわれ時に一般に公開されます。

ご開帳中の元三大師像(深大寺HPより借用)

なお大師堂は幕末の大火で類焼しましたが

被災直後の1867年に再建されました。

堂の中の元三大師と書かれた額

慈恵大師は正月三日に入滅したため、

元月三日の大師さま、通称「元三大師」と呼ばれています。

元三大師は荒廃していた比叡山諸堂の復興など数多の功績を上げた

第十八代天台座主慈恵大師良源大僧正であり

比叡山中興の祖としても崇められています。

生前は人並みはずれた霊力により数々の奇跡を起したことから

やがて大師にまつわるさまざまな説話が生まれ

比叡全山のどこでも種々の伝承をもつ大師像が祀られるようになり

その信仰は中世以降、畿内はおろか遠くの関東の大寺にも及んだのです。

ここの大師像は、991年に慈恵大師の自刻像が

叡岳より深大寺に遷座されたものです。

大師堂と本堂を結ぶ廊下と池

大師堂と本堂は廊下で結ばれており、その下には綺麗な池があります。


廊下と池

丁度池に鴨が遊んでいました

深大寺本堂

本 堂

江戸時代に建てられた本堂は火災で焼失した後

大正8年に今の本堂が完成し、平成15年に改修されています。

本堂の正面中央の向拝は唐破風で、梁の木鼻には獅子・像の彫りもの

正面三段の、虹梁の間には龍.・鷺、破風板の下には鳳凰の彫り物があって

江戸時代らしさが表現されています。

色々の彫物が見られる本堂向拝

本堂内部の正面奥には阿弥陀仏三尊像が安置されています。

本尊阿弥陀如来像は恵心僧都(えしんそうず)作と伝えられています。

なお恵心僧都は平安中期の天台宗の僧で『往生要集』を著し

以後の浄土宗信仰の展開に大きな影響を与えた僧です。

阿弥陀如来像は像高69.3㎝で、鎌倉時代前期の制作と考えられています。

本堂正面の僅かに空けられた部分から内部を僅かに見ることはできますが

本尊の姿や内部の装飾までは見えません。

幸いインターネットで内部と本尊の写真がありましたので借用して掲載します。

本堂内部

阿弥陀如来像