デジカメぶらりぶらり

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ウィンブルドン

2013-07-08 08:03:17 | Weblog
ウィンブルドンで連覇を狙うセリーナ・ウィリアムズさんは米国の貧しい街で育った。「だれかがその辺で銃を撃つような所でテニスを続けるのに必要なのは、集中力。私は上品なクラブで育った選手じゃないの」。

四大大会を全制覇したのは、圧倒的な力と速さに加え、逆境で鍛えられた精神力あってのこと。その31歳の女王も脱帽だ。「あの年でプレーしているなんて、考えられない」42歳のクリム伊達公子さんが、ウィンブルドンで2勝目を挙げ、テニスの聖地で3回戦に進んだ最年長の女子選手となった。

大会ホームページも「公子が歴史をつくった」と称賛した。26歳で引退し、復帰するまで12年。自分にとりテニスとは何なのか。

時間をかけて答えを見つけ、戦いに戻った強さは半端ではない。4年前のウィンブルドン復帰戦の直後にこう言っていた。「昔は勝ちにこだわってテニスがおもしろくなかった。今は楽しんでやっている」。

次の対戦相手はセリーナさんもラケットを置いたことがある。家族が銃撃で殺された失意で、外出もできなくなり、試合から遠ざかった。苦しんだ末に、気づいたという。

テニスをするのは、ただ他人を喜ばせるためではなく、自分自身のためだ。自分が心底プレーしたいと思うからこそ、復帰しょうと、本当にテニスを愛する二人の、名勝負は・・・。

プルトニウム

2013-07-06 06:04:38 | Weblog
プルトニウムを発見したグレン・シーボーグ博士は、元素周期表に刻まれている。原子番号106のシーボーギウムは、彼の功績をたたえて命名された。

この米国人科学者は、実にちゃめっ気のある人物だったらしい。プルトニウムは冥王星(プルート)にちなんで名付けた。その元素記号はPIが妥当なのに、Puにした。

英語でプーは幼児言葉で、うんち。臭い物の響きを、あえて元素記号に取り入れたのだ。さすがに非難の嵐を覚悟していたが、なぜかすんなり認められたという。

博士はプルトニウムを使った原子爆弾の開発でも、重要な役割を果たした。それが長崎にどれほどの惨劇をもたらしたかは、言うまでもない。そして今、危険なプルトニウムを核兵器の5大保有国以外で最も多く持っているのは、日本だ。

原発の使用済み核燃料を再利用し、プルトニウムを取り出して、再び燃料として使い続ける。そんな夢の「核燃料サイクル」計画は既にほころび、プルトニウムがたまるばかり。

国際社会の懸念は高まるばかりだ。プルトニウムとウランを混ぜてつくったMOX燃料が、関西電力高浜原発(福井県)に届くという。もやした後にどう処理するかも定かではない厄介なシロモノだ。

「トイレなきマンション」と言われる原発事業で、増え続けるPu。「臭いものにふた」をいつまで続けるのだろうか。


うなぎ

2013-07-04 07:58:54 | Weblog
まずは、江戸の小咄から。ある男が上野の弁天様をお参りした帰り、亀を売る商人に出会う。「亀は万年。間違いなく万年生きるのを一匹もらう」という客に、商人は「これなら万年間違いなし」と請け負って渡す。ところが、この亀、明くる朝には死んでいた。

男が文句を言いに行くと、商人はしれっと、「きのうがちょうど万年目」かつて寺社や橋の辺りには、「放し亀」「放し鰻」を商う者がいたという。飼うため、食べるためではない。買った客が池や川に放してやることで功徳を積む「放生」である。

殺生なしには生きられぬ身であることへの、せめてもの、小さな罪滅ぼし。ご先祖さまが常日ごろから大事にしていたそんな心掛けも、大量消費の世にかすんでしまったのだろう。

生命力旺盛なニホンウナギも、今や絶滅危惧種だ。その鰻を守るために、浜名湖では、現代版「放し鰻」をする話が進んでいるという。湖で水揚げされた天然鰻から、産卵期に差しかかって入るものをより分けてすべて買い取り、体力を回復させてから、海に放流するというアイデアだ。

財源など詰めなくてはならないことも多いと聞くが、ニホンウナギを日本の河川に取り戻すため、うなぎ丼をわが家の食卓に復活させるためにも、ぜひ実現させてほしい、平成の世が、鰻が死に絶える「ちょうど万年目」になってしまっては困る。

ロボット

2013-07-02 06:35:30 | Weblog
<俺は殺されることが、嫌ひだから、人殺しに反対する。従って戦争に反対する、自分の殺されることの 好きな人間、自分の愛するものゝ殺されることのすきな人間、かゝる人間のみ戦争を 参加することができる>白樺派の作家、武者小路実篤の詩「戦争はよくない」の一節だ。

自分は殺されたくない。愛する人がころされるのをみたくもない。夫や子を戦場には行かせたくない。そんな思いこそは、戦争を防ぎ、不幸にしておきた戦争を終結させる最大の力だ。

米軍の無人機のパイロットたちを送り出す妻が、夫の戦死を案ずることはないだろう。無人機が飛ぶのは米国から1万キロも離れた戦場の上空だが、操縦は本土の基地で行う。

仕事を終えたら、テレビの連続ドラマに間に合うようにマイホームに帰る。そんな戦争の新しい形を支えているのが人工知能だ。『ロボット兵士の戦争』(P・シンガー著)によれば、米国内で人工知能研究に費やされる資金のうち、8割は米軍が提供しているという。

自ら敵を探し、仕留める。当然ながら、何の疲労も葛藤も感じないまま。そんなロボットの開発は凍結すべきだとの勧告が国連に出された。勧告は「ロボット兵器に殺人を許すことは、命の重みを軽んじかねない」と指摘する。<殺人されることが嫌ひ>という感情こそは、ロボット開発に必要な「安全回路」だろう。