デジカメぶらりぶらり

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番付け

2010-09-10 06:30:22 | Weblog
私たちは番付けが好きである。全国の名所や人気温泉地の番付けがある。ヒット商品には、番付けも、よく見掛ける。

観光地には、方言番付けの土産品が決まって並ぶ。ご存じ森の石松の物語に、清水一家の子分の番付が出てくる。

酒とすしを振る舞いながら、石松が江戸っ子に尋ねる。「一に大政、二に小政・・・」。目の前の当人の名前がさっぱり出てこない。「おい、大事なヤツを忘れちゃいないか」。番付を間違えて、ひと騒動起きる。

長寿番付というのもある。敬老社会の自慢のタネとして毎年、国や自治体が発表するのだが、とんだ水増しやら不祥事が発覚した。

「バカは死ななきゃ治らない」という文句が石松騒動のオチだが、死んでも治らないバカなことが本当にあった。

相談

2010-09-08 08:03:18 | Weblog
夏休み中のラジオ番組「こども電話相談」をカーラジオでよく聞く。「幸せって何ですか」との難問が飛びだし、各回答で知られた先生も答えに窮したのを思い出す。

今なら、お年寄りからも質問が来そうだ。「肉親って何ですかね」「家族とはなにか」などと、肉親がそのまま家族ではない。

親兄弟が音信不通になることも少なくない。夫婦も元は赤の他人、兄弟は他人の始まりとも言う。この夏、各地で露呈した高齢者の所在不明は、そんな人生の不幸を思い出された。

死亡を隠し、年齢搾取で逮捕者が出るまでに発展した。幸せが何か即答できなくても、不幸の形は具体的だ。だが、子どまたちに人生の裏側ばかりを教えるわけにはいかない。

休み中に、父母や祖父母のふるさとを見て来ただろうこどもたちは、自分の命が孤立しているのではないことを感じたに違いない。それが「幸せとなんですか」との問いの答えのひとつかもしれない。

大都市の片隅での所在不明に加え、猛暑の高齢者の孤独死が伝えられるのも辛かった。かっての名回答者の先生方に聞いてみたい。「夏の終わりは、なぜ寂しいのでしょうか」。

手紙

2010-09-06 06:45:34 | Weblog
野口英世博士の母シカの手紙が掲載されていた。子を思う心があふれる有名な遺品である。「おまイのしせにわ。みなたまけました」は、判読できる。

お前の出世には皆たまげました、である。誤字、脱字だらけの稚拙な手紙だが、読む人の心を打つ。読み書きに無縁の人が懸命につむぎだす言葉は、重みが違う。

手紙に「かねを。もろた」とある。博士の仕送りであろう。そのことは誰にも聞かせません。そんなことをしたら「みなのれて。しまいます」と続く。

「のれて」は「飲まれて」か。酒代をせびられる心配を記し、「はやくきてくだされ」と帰郷を促す。いつの世も、カネの苦労や争いは絶えない。

政治とカネを巡って、またひといくさである。引いたはずの人が「不肖の身」や「大義」を口にする。この国の指導者を自認する人たちは、なぜ何の重みもない言葉を使って、恥じないのだろう。いまさらながら、「たまげました」と、ため息が出る。

ゴキブリ

2010-09-04 07:43:38 | Weblog
一家の台所に、ゴキブリが出た。奥さんが退治を命じていたが。ドジな主人は、取り逃がしたに違いない。

不衛生の象徴として、とにかく嫌われる生き物である。主に台所に出没するせいか、女性の方が憎悪の念が強い。

直ちに撃退を命じるが、簡単には仕留められない。それが憎しみをあおる。氷河期からの生き残りで、人類の先輩格に当たるが、みじんも敬う気持ちにはならないのは、広く流布する「予言」のせいか。

ヤツらはしぶとく、人類が滅んでも生き残る。いや人類に代わって、地球の支配になるというのである。その恐怖と警戒が、ヒトの遺伝子にすり込まれているのかもしれない。

寒さに弱いとされる生物だから、冬も暖かい暮らしが、繁殖をもたらした。ヤツらの出現は、温暖化の警鐘にほかならない。

だから目先の数匹を退治しても仕方がないのだが、そんな理屈よりも憎しみの感情が先に走る。数匹の退治に成功すれば、大仕事を終えた気になる。少しの仲間をいけにえにして、生き延びる。敵は手ごわい。

誕生日

2010-09-02 06:47:22 | Weblog
支持率低下に悩むオバマ米大統領は今月初めに49歳の誕生日を迎え、各地で祝賀会を兼ねた政治資金パーティーを開いたと外電は伝える。

クリントン国務長官も先の大統領選挙期間中に迎えた誕生会が、資金集めのパーティーになったという。これが米政界の慣習であり、誕生日もそれぞれの使い方があっていい。

別に文句を言う筋合いではないが、こんな日本の話を思い出す。定期的に節談説教をする僧侶がいた。毎年決まって語るのは、水戸の黄門さまが自分の誕生日には梅干ししか口にしなかったという逸話である。

誕生日とは母親を一番苦しめた日であり、その苦労をしのぶため絶食したという、誕生日には、ごちそうを食べることしか思い浮かばない者には印象深い話だった。国や宗教に違いがあれば、誕生日の過ごし方も様々だ。

金を集めようが、梅干しでがまんしようが、勝手である。それでも、オバマさんが一言「母への思い」を語ったら、ずいぶん資金が集まったろうと推測した。

が、これも親孝行をカネに換えることになる。いい話を聞いたのに、清々しい発想にならない身が悲しい。