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ズボン

2013-02-17 08:09:16 | Weblog
パリジェンヌがそろって「無法者」だったとは、驚きだ。パリには女性のズボン着用を禁ずる条例があり、政府がこの有名無実の禁止令を正式に無効としたのは、つい先日のことという。

二百年以上も前に女性の社会進出を阻むために制定され、1892年と1909年に乗馬と自転車に限り着用を認める、と改められた。してみると、柔道界の先見性は相当なものだった。

講道館が初の女性門下生を受け入れたのは1893年。パリでズボン禁止令がモノを言っていた時代に、柔道は女性に扉を開いたのだ。が、女子柔道では長らく試合が禁じられた。世界選手権や五輪への道を開いたのは、米国人ラスティ・カノコギさんだ。

その生涯を描いた『柔道の恩人』によると、女性は1959年、ある大会で優勝しながら、メダルを剥奪された。ただ「女性の出場は想定していない」との理由でその悔しさに突き動かされ、後に自宅を抵当に入れてまで初の世界選手権を開催した。彼女がいなかったら、女子柔道が五輪種目になるのは20年遅れたといわれる。

「こんな思いを後輩にはさせない」という一念で道を開いた先駆者の姿が、必死の思いで監督の暴力を告発した女子選手たちと重なる。多くの名選手を輩出しながら、全日本柔道連盟には、女性の理事がいない。「女性の参画は想定していない」からなのだろうか