BCLとベリカードの楽しみ

海外短波放送や国内放送を聴き、放送局からいただけるベリカードなどを紹介。近頃は、自分が楽しいと思える事柄も書いています。

色いろいろなベリカード FEBC Manila (1967-1972)

2015-01-17 | 海外局ベリカード
「FEBCマニラ」局から、1967-1972年にいただいたベリカードです。

地球にイナズマのデザインは共通ですが、刷色がいろいろありますので、個々に取り上げてみました。
大きさは、ポストカードより小型で、紙質は薄い仕様です。

最初のカードは1967年ので、右下にコールサインが入っています。

DZF2は11.92MHz送信機に付けられたコールサインで、このほか、日本語放送としては、DZF5, 9.715MHzがありました。

紺色に、右下にピンクの長方形があるものです。

コールサインごとにカードを印刷する手間を省くため、ここに、コールサインを書くように作られたようですが、書かれていないのもあります。反対面の受信データのところには、コールサインも書かれますので、これも手間だったのでしょう。

紺色です。


水色です。


緑色です。


緑色で、FEBCの文字が黄色です。


うぐいす色で、文字が黄色です。


茶色で、文字が黄色です。


ピンク色です。


黄色です。


赤色で、文字が黄色です。


受信データ面では、FEBCの文字が小さいMCS表示のと、その後の、文字が大きくてMHZ表示のが、あります。
周波数を、メガ(キロ)サイクルと言っていたのが、メガ(キロ)ヘルツと呼ぶようになったためです。


FEBCが1960年に買収し、KGEIのコールサインで運用していたサンフランシスコ局も、同じデザインのカードが発行されていました。


受信データ面です。

KGEIは「友情の声」(The Voice of Friendship) と名乗っていましたが、“LA VOZ DE LA AMISTAD”とスペイン語で書かれていますので、中南米向けの放送用に用意されていたのでしょう。

1973年11月に日本語放送を始めた、翌月のものです。急に放送が始まったようで、まだ東京支社では対応していないようでしたので、直接、レポートしていただきました。
その後は、しばらく聴かなかったので、これがテスト的な放送だったのか、ずっと続いていたのかはわかりません。また、途中で放送が中断したこともあったのでは?

これと関連があるのかどうかはわかりませんが、1972年5月の沖縄県の本土復帰に伴い、日本の放送法では宗教団体による放送局の設置が認められていないため、沖縄にあった極東放送(FEBC)は廃止となることが決まり、しばらくの移行期間しか、放送出来ないことになりました。

ちなみに、KGEIは1939 年にジェネラル・エリクトリック社がつくった局(米国西部地域のコールサインK+GE International)で、当時、太平洋やフィリピン、日本などで聴くことができた唯一? のラジオ局でしたので、太平洋戦争中は、米国からの戦時放送の役目を大いに果たしたようです。

コメント
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